宮脇淳子氏の名著「悲しい歴史の国の韓国人」より

平成27年2月  実に的確に真実を指摘されておるので一部引用する。

1日 韓国の反日論調に就いて 韓国が「七奪」だと日本を非難しているのは、
「主権」、
「国王」、「人名」、「国語、「姓名」、「土地」、「資源」の
七つを日本が奪ったというものです。
韓国の反日論調の常で、先ず結論ありきで、日本が奪ったということに当てはまりそうな事柄を探すわけです。
2日 韓国人、中国人ははウソでもそう思いたいだけの民族

処が、本当のことなど、どこにもないのです。韓国人は、本当でなくても、そう思いたいからそう言うのです。韓国の教科書もそうやって教える。だから、これからも、日本と韓国の歴史認識は平行線のままでしょう。「本当のことさえ言えばいつか分かってくれる」という日本人の考えは通用しないと思います。そうしたら、韓国人が韓国人でなくなるからです。中国人も同じです。日本人の言うように真実に目覚めたら中国人でなくなるからです。

3日 日本人は、裏表無く幸せ

日本人は、裏表無く本当のことを言っておれば、一生困らずに生きていけます。それはとても幸せなことです。日本人は幸せな民族であり、日本は幸せな国なのです。

4日 中国、韓国は、そもそもがフィクションでスタートした国家

ところが、中国、韓国は、そもそもがフィクションでスタートした国家ですから、本当のことを知った時に人格崩壊の危機に直面せざるを得ません。ウソとゴマカシにまみれた歴史によって、かろうじて民族としてのアイデンティティを獲得している、可哀想な人たちなのです。
清国の属国だった李氏朝鮮に主権は元々無かった。
韓国が日本に奪われたと主張する「七奪」についてまず「主権」について検証しましょう。

5日

七奪 
その一「主権」のウソ

清国の属国だった李氏朝鮮に主権は元々無かった。

「主権を奪った」というのはウソい゛、全く逆で、清の属国だった李氏朝鮮を独立させたのは日本です。日清戦争で勝利した日本が、下関講和条約の第一条で、朝鮮の独立を清朝に認めさせたからです。
それ以前に、李氏朝鮮には主権があったと現代の韓国人や朝鮮人は言いますが、歴史をきちちんと調べてみれば分かります。李氏朝鮮は清朝と柵封関係にあって朝貢していました。それは清朝の属国だと言うことで、独立国ではありません。主権を奪ったと言うけれども主権など元々無かったのです。
6日 100万人の国民と韓国皇帝が
日韓合邦の嘆願書を提出

日露開戦時、大韓帝国では李容九が一進会を結成し、政党を作ろうとしました。日露戦争後、一進会100万人会員の名前で日露開戦時、大韓帝国では李容九が一進会を結成し、政党を作ろうとしました。日露戦争後、一進会100万人会員の名前で合邦声明書が出されています。
韓国皇帝、統監、首相に対して、日韓合邦の嘆願書を提出しています。だから、日本は、一応民間の意見も聞くかたちで合邦しているのです。が出されています。韓国皇帝、統監、首相に対して、日韓合邦の嘆願書を提出しています。だから、日本は、一応民間の意見も聞くかたちで合邦しているのです。

7日 明治維新が羨ましかった韓国人

親日派は中人(ちゅうじん)階級(両班の下層)が多くいて、本当に日本との併合を望んでいました。四民平等を実現した日本の明治維新が羨ましくて仕方がなかったのです。

8日 脱亜論

金玉均が福沢諭吉の援助を受けて親日派が生まれていました。しかし、清国の袁世凱が指揮する清国の軍隊が入ってきて親日派は粛清されます。金玉均は殺されて遺体はバラバラにされて晒されます。これを見て福沢諭吉は激怒した。国の将来を憂えている有為の知識人を見せしめのように残虐な殺し方をして晒す。そんな悪鬼夜行のような国とは、もう縁を切れというのが「脱亜論」になるわけです。

9日 日本は自国防衛上、見るに見かねて手を出し、お金を出し、口を出した

日本では既に江戸末期から、下級武士の中からも有為の人材を育てて近代化を進めていました。朝鮮に於いても、そういう人材を育てなければいけなかった。処が、優秀な人材は両班(りゃんはん)階級に潰されてしまう。日本は見るに見かねて手を出し、お金を出し、口を出したのです。

10日 外国に占領させるわけにはいかなかった朝鮮半島

朝鮮が自ら国を近代化して独立国になっていれば、日本も手を出す必要はありませんでした。処が、当時の世界情勢を考えれば、放っておけば、釜山まで清国になってしまう。或いは釜山までロシアになってしまう可能性が高かったのです。そうなれば、日本の安全保障が脅かされてしまいます。朝鮮半島は日本の咽元に突きつけられた剣のような存在なのです。決して外国に占領させるわけにはいかないのです。

11日 不幸な関係の半島

朝鮮半島に親日的な国のできることが一番望ましかったのですが、呼応してくれる人たちは生まれず、致し方なく日本人が出てゆくことになった、そういう不幸な関係だったのです。

12日 やらせて見た結果、うまくいかなかった朝鮮

朝鮮半島は勿論、満州にしても、日本の政治指導者たちは、現地の人間に任せるべきか、任せても大丈夫かどうかについてずっと議論していました。相手国の民衆に強圧的だと見られたら日本にとって損ですから、取り敢えず先にやらせてみようとしていたのです。然し、やらせて見た結果、うまくいかなかった。明治時代の政治家が論争した史料が沢山残っています。研究価値は十分にあるので、これから真面目に研究すべきテーマだと思います。

13日

七奪 その二「国王を奪った」のウソ

日本は朝鮮王家を尊重して、李王家を皇室の一員として遇した。

「七奪」の二番目は「国王を奪った」のウソです。

然し、日本は、李王家を日本の皇族の一員に迎えて、毎年180万円(現在のお金で200億円)の李王家歳費を計上しているのです。日本の皇族に比べても格段に高い費用だそうです。清国やロシアに併合されたら李王家が生き延びることすら出来なかったでしょう。しかも、李王家の王世子李垠(りぎん)殿下に梨本宮方子女王が嫁がれています。日本は朝鮮王家を尊重して李王家を皇室の一員として遇したのです。

14日 華族になって東京に住むようになった両班たちは、そのまま日本で生活して、恐らく全員が日本人になった

さらに両班を華族にしています。然し、これは余りにも日本的な対応だったかもしれません。李氏朝鮮で王家は朝鮮人から尊敬されていたと、日本人はつい思いがちですが、実際には王家や両班は朝鮮の民衆には嫌われていただけだったからです。

華族になって東京に住むようになった両班たちは、そのまま日本で生活して、恐らく全員が日本人になったと思います。とりわけ、戦後には朝鮮に帰っていいことは何も無かったからです。戦後の日本では出自を問題にすることはありませんでしたから恐らく彼らは日本名を使うようになって日本人になっているでしょう。

15日 どうすれば、そんな数字になるのか不思議

今では韓国人の80%以上が「私は両班の子孫です」と言っています。処が併合までは両班は人口の3%しかいないのです。どうすれば、そんな数字になるのか不思議でなりません。 

16日

七奪 その三
「人命を奪った」のウソ

大間違い、却って人口増大した

「七奪」の三番目は「人命を奪った」のウソです。
人命を奪ったどころか、日本統治下で人口が増大した。韓国の教科書は「韓国では1894年から1945年までの50年間、日韓は戦争状態にあり、日本軍は朝鮮人数十万人を殺した。東学党は日清軍と9ヶ月間交戦して、死者は30万人にのぼった」と書いていますが、とんでもない記述です。歴史を勝手に書き換えてもいいと言うのが韓国の歴史認識だとしか思えません。朝鮮で、東学党の乱が起きて、まず朝鮮王が清国に救援を依頼したことから、日本も派兵して日清戦争になりますが、日本は朝鮮人と戦争したわけではありません。

17日 餓死者は一人も出ていません

日韓併合後、米価が上がって朝鮮人が飢えたと韓国の教科書に書かれているそうです。それは日本のほうが米が高く売れたので、米を日本に輸出してしまったからです。ですから、米が減ったことは確かです。しかし、36年間の日本統治で餓死者は一人も出ていません。その理由は朝鮮は満州から穀物を買っていたからです。つまり高い米を日本に売って、安い穀物を満州から買っていたのです。

18日 工業製品などを

米が食べられなくてコウリャンを食べていたからひもじい思いをしたかもしれません。然し、米を売ったお金で工業製品などを日本から買っているのです。そういう近代的な経済原理を持ち込んだことが朝鮮人には気に入らなかったと言えばそれまでですが、それは搾取や収奪というよりは、近代化の一貫として朝鮮半島を日本の経済圏に組み込んだということです。

19日 統治時代、
毎年確実に増加した朝鮮半島の人口

朝鮮半島の人口統計は、1905年の第二次日韓協約のあと、はじめは勧告統監府、日韓併合後は朝鮮総督府による調査が毎年行われています。1907年に1167万人であるのが、毎年確実に増加しシナ事変のあった1937年には2168万人と倍近くになり、1944年には2512万人になっています。このほかに自発的に満州と日本に出て行っているわけですから人命を奪ったという根拠は全く無いのです。

七奪 その四「国語を奪った」のウソ
20日

日本語を強制するどころか、朝鮮語辞典も作った日本。

「国語を奪った」というのも完全な間違いでウソです。

日本語ができる朝鮮人がどれぐらいいたのかと言うと、日韓併合後30年、つまり一世代たった1941年になっても日本語を「やや解する」「普通会話ができる」人は390万人しかなくて、全人口の16%に過ぎないのです。残りの日本語を話せない人に日本語を強制したことなどありません。地方の村なども、二ヶ国語でやっています。全員が日本語を理解できるわけではないのです。むしろ日本語の分かる人のほうが威張っていました。そこで彼らの彼らたる所以です。1945年の日本の敗戦の時も朝鮮全土でアナウンスは両国後でやったことが記録として残っています。

21日 朝鮮語辞典を完成させた日本

むしろ日本人は朝鮮語の研究にも取り組んでいます。日本の朝鮮総督府によって1920年に本格的な朝鮮語辞典が完成し、1924年に京城帝国大学に朝鮮語・朝鮮文学講座が開設されています。日本は朝鮮語を朝鮮人に教えさせることにも熱心だったのです。

22日 ハングルを普及させたのは日本人

また、韓国は日本は、ハングルも奪ったなどと言っていますが、これも全くの逆で、ハングルを普及させたのは日本人なのです。李氏朝鮮で政治の実権を握っていた両班階級がハングルを普及させなかったというのが真実です。両班の支配原理は漢字を独占するところにあったのですから、一般民衆でも容易に理解可能なハングルの普及は彼らの支配をゆるがすからです。むしろ仮名文字を発明した日本人のほうが、ハングルに興味を持ったのです。

七奪 その五「姓名を奪った」のウソ
23日 「創始改名」は
朝鮮人からの強い要望

「創始改名」は朝鮮人からの強い要望で実現 

「姓名を奪った」もウソで全く事実無根の主張です。
日韓併合の翌年
1911年、朝鮮総督府は朝鮮人が日本式姓名を名乗ることを禁止しています。日本人と朝鮮人の区別がつかなくなると行政上困るからです。朝鮮には戸籍制度すら整備されていなかった為に、日本の朝鮮総督府は先ず戸籍調査から始めなければなりませんでした。

24日 満州の朝鮮人は日本名を使いたがった

処が、日韓併合から29年後の1939年に朝鮮戸籍法が改正されます。これは朝鮮人満州開拓団からの強い要望があって、朝鮮人が日本名を名乗ることを認めざるを得なくなったからです。
1932年に満州国が建国されましたが、満州人と中国人は朝鮮人が嫌いです。彼らは朝鮮の支配者だったという意識がありますから、朝鮮人を馬鹿にしていました。それで朝鮮人より日本人であったほうが現地で強い態度に出ることが出来たので満州の朝鮮人は日本名を使いたがったのです。

25日 朝鮮人が威張っていた満州 五族協和を理想とした満州国ですが、現実には各民族間での軋轢が絶えませんでした。とりわけ朝鮮人が威張っていたことが大問題でした。満州で軍閥を率いていた張学良は朝鮮人を追い払おうとやつきになっていました。
26日 やりたい放題の朝鮮人

先に説明したたように満州事変にまでなって行くのも朝鮮人たちがやりたい放題やって満州人や中国人と揉めたことが大きな原因になっているのです。

27日

日本政府の外交官や政治家は、朝鮮人と日本人は違うのだから朝鮮人の揉め事は日本人とは分けて考えて中国とうまくやって行くほうが大事だとという意見が多く、そういう指令を出していた。

28日 朝鮮人はみんな日本人だと言って問題を解決したがった

ところが現地の軍関係者は、朝鮮人もみんな日本人だと言って問題を解決したがった。軍のほうが平等主義です。他方、外交官や政治家は世界情勢を知っているので、もう少しリアリステックだった。そういう差がありました。どちらが良かったのかはわかりません。日本の軍部が政治を分からず、世界情勢に対する理解もないままに突っ走ったのは、私も反省するべきだと思います。然し、日本人は反省ばかりしています。処が中国や韓国は反省しなさすぎるのです。彼らには自らを省みてそこから教訓を学ぶという真摯な態度が全くありません。