日本考」―徳永圀典三年前の「講演の一部抜粋」 

これは、平成18年、某全国的研修会で約400名の管理者に二時間講話した時のほんの一部である。

・・・・前略・・・・

英国王室は1066年、アメリカの建国は1776年。日本国は2000年前です。 

会田雄次、元京大教授によると、イギリス王室は自分の先祖が海賊出身だと言うのを誇らしげに言うと書いている。 

VIP、ベリーインポータントパーソン。インポート、輸入する、海賊というのは他人から略奪していい物持って帰るからインポート。その英国の王室はそれを誇らしげに言うと書いてある。


ここ五百年間の欧米の白人を見ると、略奪資本主義と言える。

(にわ)か成り金」ほど、けばけばしい。ナリ金の家に行くほどけばけばしい。
玄関にはもう、ちゃちな物がいっぱい置いてある。


処が本物の金持ちになると、部屋は、閑静で質素だが、奥村土牛(とぎゅう)の掛け軸など、さりげなく掛かっている。本物です。 

白人は金銀宝石指輪で飾りまくる、これナリ金主義。白人は世界五百年の成り金である。 

英国は植民地強盗成り金だった、と私は思っている。大英博物館なんか他国から略奪してきた物ばかりではないか。あんな物に感心してはダメ。


白人はここ二百年から五百年の成り金。日本の方がはるかに老舗で文化が高い。

だから明治以降のやり方が悪い。敗戦以降が特に悪い。

バッキンガム宮殿でもベルサイユでも、成り金趣味。
しかしその成り金がここ500年の世界の屋台骨を支えてきた、一神教原理でやっている。


しかし今や彼らの世界を見るとユダヤ、キリスト教を中心に宗教世界は闘争から闘争に明け暮れて、もう疲れ果ててしまっているやに見える。 

これは人間と自然との関係を排除してきたからだ。 

自然と人間。人間と人間の調和、共生を求める日本の古道神道に回復しなければ人類は救われない。

500年間の、その欧米の原理も遂に終局の断末魔に入ってきたようだ。

それに比較し、日本の皇室はというと。

あの皇居の正殿の間。ガラーンとしている。天皇様の椅子を置けばそこが玉座となる。

由緒ある皇室は世界最高の旧家、本物です。 

本物だから質素極まりない。

神道と同じで、神道は本当にすがすがしい、簡素、清潔、清楚。

私、皇居にいったときに車で二重橋の奥の吹上御所を全部見せていただいた。

そのときに三代将軍家光時代から伝わる五百年の盆栽とか、昭和天皇が勉強しておられた学問所も拝観したが、普通の民家みたいな小さいのがあった。 

だから、伊勢神宮、皇室、どちらも、簡素、質素ですよ。

この欧米と日本の原理の相違に誇りと価値観を見いだせない日本人が多くなったのは情けない。

日本の価値観は普遍性が高い。


ゴッドと日本の神様は違う。

江戸時代は、キリストはゼウスと申していた、それを明治時代から神様と言い混同してしまった、
日本の神様と一神教のゴッドとは根本的に違う。

ローマ法王が過去異民族に悪いことしたと謝罪してましね。三〜四年前でしたか。

ああ、二千年を経て初めて謝罪してると思った。
キリストの名のもとに異教徒を殺害してきています。

それが彼らの国歌には出てますね。日本の国歌の曲の格調と言い歌詞といい世界最高のものですね。
白人や中国などは、血生臭い国歌ですね。あれこそ軍国主義でしょう。
 

ゴッドの本質は和辻哲郎を読んだらよく解かる。引用してみよう。 

「砂漠における遊牧人間は自然の恵みを待つのでなく、能動的に自然の中に攻め入って、自然から僅かの獲物を取る。これは直ちに他の人間世界への対抗と結びつく。自然との戦ひの反面は人間との戦ひである。この戦闘様式は古代から常に砂漠的人間の特性で、部落の敗北は個人の死につながると言う発想。
だから一人一人は極度に力と勇気を発揮せざるを得ぬから過激となる。だからイスラム教なんか見ると一生懸命やっている。あれをしないと彼らのグループでは生きていけない。感情の異常さを考える暇のない、ふだんの敵視の緊張、戦闘的態度が不可欠なのが一神教の原理だ」

と、これは和辻先生の有名な「風土」に書いてある。
 

一神教の本質を見事に喝破してある。


そう言うものから出た彼らの国家の支配原理、とても日本とは違います。だが、私はその白人の原理、即ち西洋の原理は地球的規模で終わりを迎えつつあるように思える。 

私は聖書を、若いときによく読みました。実によく読みました。あの荒れた地域、わかるんですけどね。

日本は雨に恵まれて湿極って言ひますけれどもね。

聖書によって出てくる紛争地区、あのパレスチナの辺り、カナンの地、ここはもう、地球の割れ目。
死海なんて海面下四百米。あれはもう本当に地球の裂け目。もう本当に荒野のカナンの地。
聖書に「荒野をさまよふ」といふ言葉が出てくる。さういう生活の世界なんです。
 

そう言うところから出た宗教を母体としたユダヤ教とかキリスト教といふのは、人類の普遍的原理にふさわしくないと思う。 

それはユダヤ民族というのはあそこに閉じ込められて、隣のエジプト、メソポタミア、チグリス・ユーフラテスとかは非常に繁栄し、隣で羨望しとった彼らはどん底生活であった。

だから、彼らの神は彼らが他民族から「富を搾取する機会を約束する征服の神」であったのです。
「目には目へ」の報復の原理が支配している。それは、近世500年の世界支配の原理でもあった。
 

彼らの宗教を見ると、モーゼの十戒、キリスト教の原点ですね、

その戒律は、殺すなかれ、盗むなかれ、だますな、姦淫するな、

聖書五章のマタイ伝でも、殺傷するな、盗むな、だますな、姦淫。

これ動物的な掟ですよ。これ野蛮人向きの掟です。
 


日本なんかそんなこと言わなくても、
 

「忠孝、夫婦愛和し、朋友相信じ、恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし。」 

レベルが違いますね。

かかる処に日本人は目覚めて、本当に自信を持ったらいい。

資質は日本人の方がはるかに高い。 


文明とは何ぞや、皆さん、朝から変な話しますけど、お尻を紙でふく、これほど文明なことないです。
だって動物ふきません。

日本人がお尻を紙でふき出したのはいつか御存じですか。

実は平安時代なんです。1180年代からお尻を紙でふき出した。

ところがヨーロッパ人、いつごろから紙でお尻をふき出したか、これね、五百年遅れです。
1620年代。しかもブルボン王朝というヨーロッパの一番大きな王室の王様が拭き出したから庶民はもっと遅い。

これほどの文明の違いは無いぢゃないですか。
お尻を紙でふくのは日本人は白人よりも五百年早かった。文明に自信を持ってください。

第一、日本人は和紙がありましたからね。紫式部がああいう「源氏物語」をつくった。これ、1003年です。 

ヨーロッパの雁皮紙、羊の皮です。あの紙は和紙五枚くらいの厚さなんです。だから彼らがつくった紙で尻は拭けないんですよ。日本はもう和紙があった。 

その「源氏物語」に相当するような小説は西洋では、「カンタベリー物語」ですね、これ、源氏の五百年あとだ。 

日本に五百年前にキリスト教が来て、まだ1%しかクリスチャンがおりません。日本人は分かっているのですね。

聖書は教養の書としてはとてもいい。

だが、第一、日本の神様にはお供え物は野菜、一神教の神様は血の滴るものを姿をお好み。
生贄とかいって、もう血の滴る羊が大好きな神様なんですね。何か市場経済の投資会社の原理と似ていますね。
 

皆さん、キリストの十字架、あれは(はりつけ)の血の滴る姿ですね、

これを見た明治の元勲・佐々木高行が異様な感じがしたって、これ、実に新鮮な感覚ぢゃないか、最近の日本人の感性は、皆さん、鈍感になってる。


十字架を見て、佐々木高行が明治の初年にヨーロッパに行って、キリスト教のキリストのはりつけを見て、血の滴る姿を洞察してゐる。なんと野蛮だと。

今の日本人は何かペンダントをしたり嬉しそうにしとるけど、これ、血の滴る姿です。日本人の感性が麻痺してる。

ところが日本の神様は、御存じのように天皇陛下も田植えされるし、皇后陛下は養蚕されるし、イラクに行った自衛隊の番匠隊長でしたか。みずから汗流して働くから、イラク人に、大歓迎を受けました。 

新聞はこういう事を書きませんね。日本の新聞なんてもう読まんでもいい。産経以外は。

白人は将校になると働かない。日本人は率先して働くからイラクでうまくいった。

この日本の文化、これにどうして誇りを持てないか。国史に誇りがない。国歌ひとつを見ても歌詞が違う。
本当に異国の神様は血なまぐさい。


このように日本には二千年の縦軸があるのに、座標軸が揺らいでいる。

それを日本人みずから勉強してない。怠慢である。 

歴史を見も、英国は十九世紀、大繁栄した当時の女王がビクトリア女王でしたね。

世界歴史学会では日本の明治天皇は国家元首としてビクトリア女王と同格に並んで評価されている。

みんな知らないのは戦後の「甘ったれ日本人」。

だから物を知る白人から日本人は笑われている。  

                             ーーー後略ーーー
 

目を醒まさなくてはなりません、愚かな戦後日本人です。

不景気は、日本の原点に還る大チャンスかもしれない。
 

       徳永日本学研究所 代表 徳永圀典