日本の「叡知」(遷宮年を寿ぐ) その二
平成25年2月
1日 | 日本人の「心のふるさと」 |
このように伊勢神宮は日本人の「心のふるさと」であり「魂のルーツ」である事は、否応のない歴史的事実なのである。神宮の「神々しい」までの美しさ、日常を超越した存在に、参拝した人々は「凛としたもの」を感じ日本人であることを意識する。将に宗教の根底に触れられるのである。 |
2日 | どのように神道を語るか |
どのような角度で伊勢を、神道を語ろうかと思案中である、建築物だけでは本質的でない、そうかと云って神様のことだけ触れても日本神道を語り尽くせない。 |
3日 | 高く評価する 今年の遷宮 |
今年の遷宮を私が高く評価するのは、歴史的な、そして、日本の祖先の蒔いたこの叡知ある遷宮儀式を今年迎えたのは格別な意義がある。 |
4日 | 格別に意義がある今年の遷宮 |
今回は、民主党政権の愚かさにより近隣外交的敗北による日本の威信喪失、そして経済の失墜と自信を失った日本であるから格別に意義があるのだ。 |
5日 | ここに祖先の叡知を見る |
今年は、また出雲大社の遷宮60年儀式の年であり。古事記ブームである。この二つの儀式により、若い、戦後教育を受けた人々も古事記を契機として日本歴史に目が注がれているからである。これも偉大なる遷宮の効果だと痛感する。ここに祖先の叡知を見る思いがするのだ。 |
6日 | 「常若」の思想 |
伊勢神宮に生き続けている精神に「常若」の思想がある。常に若々しいことである。遷宮は二十年ごとのものであり、言うなれば太古の頃の姿そのままで正に常若して行くのである。神様の住まいを常に新しく清浄にしておく事で生命力の蘇りの意義もあろう。それは民族の蘇りと同義語なのである。ここに祖先の叡知があるのを気づかれよ。 |
7日 | 素直な感性 |
この伊勢神宮の、あの大自然の中では、あらゆる現象が、人為を越え、科学を越えた、何か圧倒的なものに動かされるのを覚える。なにごとのおわしますかは知らねども、忝さに涙こぼるるの思いに至るのである。 |
8日 | 連綿と新しい日本人 |
だから、式年遷宮という発想は実に凄いことだ。大江君が死んだって、ただそれまで。だが、伊勢神宮はこうしてあらゆる人為を越えて連綿と新しい日本人に次々と生き残る。 |
9日 | 遷宮は何時頃から始まったのか |
この遷宮は何時頃から始まったのか。七世紀後半は第四十代の天武天皇がこの制度を定められたと言われる。中央集権国家の確立を推進した天武天皇は、大御神に仕える「斎王」制も復活させ神宮祭祀の整備をされた。 |
10日 | 豊受大神宮遷宮も |
「太神宮諸雑事記」の天武天皇の条に「二所太神宮之御遷宮の事は廿年に一度、まさに遷御せしめ奉るべし。立てて長き例となせ」との宣旨がある。だが、見解に混乱もあり、結局は天武天皇の皇后であり次の持統天皇の御代二年(688年)のこととされている。式年遷宮制の確立である。持統天皇の下で豊受大神宮遷宮も始まっている。 |
11日 | やむごとなき神事 |
古代でさえも、時の政情により、この伊勢遷宮も遅延したり遂行できなかった事も多かった。この「やむごとなき神事」の遅れを取り戻すために、臨時賦課とか、内裏造営を後回しにして優先して遷宮もしていたのである。古代皇族、貴族たち為政者の心根に畏敬の念が息づいていたいのである。 |
12日 | 遷宮の危機 |
遷宮の危機は、中世には見られる。だが、鎌倉幕府創始者の源頼朝は遷宮は「しっかりと心得ている」との主旨が記録に残っている。 |
13日 |
承久の乱で佐渡に流された順徳天皇は歴代天皇の禁秘抄にある如く、子々孫々遷宮を受け継いで欲しいとの執念。室町期後期には式年維持が厳しくなる。花園天皇の時代には11年遅れて神主らの焦燥が窺える。だが、この時期から神領民が遷宮用御用材の「御木曳」奉仕が始まった。 |
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14日 | 長き例となせ |
近世の江戸時代になると落ち着いてて、20年遷宮が安定する。以後、現代に至るまで20年遷宮は「長き例となせ」通りに行われて誠に喜ばしい。 |
15日 | 魂の再結集行事 |
まさに、日本国の、20年毎の、さわやかな新風のような一大行事である。民族の魂の再結集行事である。 |
16日 | 千古の自然 |
伊勢神宮の宮域は五千ヘクタール。千古の自然が四季折々を彩る。訪ねるたびに違う異なる表情、この自然の中に神の息吹きを感じる。五十鈴川河畔の桜は生命の力強さに溢れている。夏ともなれば、木洩れ日が差し込む中を玉砂利の参道を進む、真っ直ぐに伸びた神杉の木立に目を奪われる。 |
17日 | 日本人の原風景
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秋、神宮の神田の稲穂が頭を垂れる。稲は天照大神より国土、御神体と共に授けられたものである。ここには日本人の原風景がある。そして元旦、宇治橋から望む鳥居からしずしずと太陽が昇る。日本、日本人誕生の瞬間である。 |
18日 | 眼に見えぬもの |
眼に見えぬものに感謝する。人目がなくとも礼節を守る。これが「純な日本人らしさ」であり、その源にあるのが神道である。 |
19日 | 宗教の根幹は「心」 | 宗教の根幹は「心」であると洞察している。色んな宗教がある、だが、神道以外の宗教には必ず教義がある。そして戒律を持ち厳しく信者拘束している。仏教とて例外ではない、日本人がそう感じないのは仏教が葬式仏教に堕落しているからである。仏教では地獄に落ちると言い、イスラムでは一日に五回の大地に頭をすりつけて聖地への礼拝を義務づけている。キリスト教でも煉獄に落ちるとか脅す。キリスト教に至っては死者は牧師の足元に安置させられて神との交流は牧師が仲介している。仏教では死者へ戒名という極めて差別のあるものを付与している。処が神道では、誰でも死ねば「命」或は「尊」となり神となり平等極まりない。日本の神様はみな人間なのである。 |
20日 | 馴染めないキリスト |
キリスト教などは、血の滴る十字架を礼拝させる。とても本質的には日本人に馴染めるものではない。 |
21日 | 己れの心を写す「鏡」 |
日本の神様のご本尊はおおかたは「鏡」である。それは己れの心を映すものである。 |
22日 | 神道の真の真たる所以 |
第一、大自然とか大宇宙には「恣意」なるものはない、特定の人間に特定の恩恵など有り得ないと徳永は思っている。祈りは、願いは、自分の心、それは潜在意識を通じて繋がっている自己の根元である祖先とか大自然への働きかけであろう。念じ念じて、願望実現の発動機となり物事が成就するのである。 |
23日 |
かかる意味に於いて神道は他の宗教と異なり実に自然であり人為的でない。神道の真の真たる所以である。 |
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24日 | 神社に行くと心が落ち着いて安らか |
なんだか、よく分らないが神社に行くと心が落ち着いて安らかとなる、というのが日本の神様のお社である。それは森林であった。頭で考えるものではない、それで清々しくなって、アマテラス神を見たと叫んだのが那智大滝や伊勢神宮でのトインビーであり若いフランス人の伊勢体験であった。西行の「なにごとの おわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」の歌なのである。 |
25日 | 神道と日本人 |
色々と思考を重ねるうちに、どうやら戦後の日本人は余りにも即物的となり「眼に見えぬものに感謝し、己れを戒める」と言うことを捨ててしまった。人が見ようと、見まいと、守るべきことは守る。人目が無くとも礼節を守る、それが「日本人らしさ」であると思う。中国人とか韓国人にないものである。それが真の「日本人らしさ」である。 |
26日 |
その日本人らしさの原点、根源にあるのが神道であろう。古代より日本人は、そのようにして育まれていたのである。今も意識が無いのかも知れぬが、我々の暮しの中に脈々と息づいている神道である。日本の神様とは日本人は分かつことの出来ない絆がある。 |
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27日 | 感じる宗教 |
だが、分りにくいという外国人の言葉にある如く、それは日本の風土に住まないと分らないと言うより、感じられぬものなのであろう。教義や経典が無いのだから感じる宗教なのである。 |
28日 | 日本人の宗教観 |
伊勢神宮でトインビーの発した言葉を見て理解できるように、叉、西行さんが始めて伊勢神宮にお参りして、余りにも厳かで神々しい佇まいに感動して歌った「なにごとの おわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」で理解できるように、ここに日本人の宗教観が象徴されている。 |