政治不信の極限を極めた民主党内閣
国民は、民主党を政権につかせたことで、最悪の結果を招いた。民主党に投票した国民は、自己の無知を痛切に反省しなくてはならぬ。
民主党議員、筆頭の小沢、鳩山、菅にしても、一口で言えば「見識が無い」と言うことに尽きる。
その好例を示して見よう。
私が予てから、「鵜首の男」という江田元参議院議長、現法務大臣。鵜首の男は経験的に人物学的に、「軽薄で、信、置き難し」なのである。
彼は、明々白々の菅の一派であるが、議長として実にお粗末なものであった。
現参議院議長の西岡氏の「見識」は流石であり、それなりの政治哲学を保有しており「胆識」がある。自民党議員時代からの研鑽がある。
西岡氏には、政治家として、天下国家を思索してきたものがあり、即ち政治的素養が培養されてきているのである。それは、責任ある国家的地位に就いたら、「どうあるべきか」の思索の有無が招来した結果なのである。
処が、野党にいて、反対・反対と「自己主張」を繰り返えすばかりで、為政者としての素養の完全に欠落した民主党の鳩山とか菅とか仙谷とか江田とかは、責任ある地位に就いても、今なお反対を叫び、大衆や反対党を扇動するような挑戦的発言をするばかりで、謙虚さが毛頭見られないから、国政がスムースに進むわけはないのだ。それすらまだ気づかないのである。
現に、菅直人は今国会の施政方針演説で、野党は反対ばかりでは国益に反し国民の為にならぬとほざいている。これは反発を招くとは当然である。
菅直人クンは、上に立つものの素養・哲学が欠落しているから物事は進まない。
これは、その他の仙谷とか、労組のトップばかりの内閣だから、同様なことになる。
彼ら、左翼・リベラルは、反対を唱えて生きてきた連中である。国民大衆を扇動して生きてきた人間である。
経営者のように「物を生み出す」というソフトを持たないのだ。
彼らは上に立つ、為政者の哲学がなく攻撃的言葉で生きてきたが、頂点を極めてもまだ分らない連中であり、辞めてもらうしか救いは無い連中ばかりである。これは日本の不幸である。
民主党には、為政者としての器量ある議員は不在、且つ支離滅裂な政党である。
一日も早い退陣こそ真の国益に適う。
それが喫緊の国民的課題である。
平成23年2月1日
徳永日本学研究所 代表 徳永圀典