宗教の本質に関して その二   岫雲斎圀典

平成24年2月度                                                    

 1日

お釈迦さまの、この考え方は、日本の仏教に脈々と伝っていた、過去形である。例えば、天台宗の開祖・最澄は「私の供養のために、仏像を作ることはない。写経することもない。私の遺志だけ継いでくれればよい」と言って亡くなられた。

 2日

浄土真宗の開祖である親鸞は「私の遺体は賀茂川の魚に与えよ」と云った。曹洞宗の開祖・道元はお釈迦さまの教えに忠実で、「死者の追善法要などは在家の人がやることである。僧侶のやることではない」と教えている。父母の恩を思うことは大切だけど、それと形式的な葬式は関係ないというわけである。

 3日

時宗(じしゅう)を開いた一遍は遺言で自分の葬儀のことを次のように述べている。「葬礼を改まって行なう必要などない。私の遺骸など野にうち捨てて、ケダモノに施してやれ。ただし、在家の信者が弔いをしたいというのであれば、させておけ」。

 4日

本来、仏教は生きておる人の苦を無くし、楽を与えるための教えである。これを「抜苦(ばつく)与楽(よらく)」という。あくまで生きている人たちが主である。

 5日

前述のようにお釈迦さまも、仏教の開祖・高僧もみな「葬式や法事のような形式的儀式なんて要らない」と言っていたのである。そんな仏教が、今日のような葬式専門の仏教になぜなったのか。最大の原因は、江戸時代に檀家制度が出来たからである。江戸幕府は、キリシタン禁令を口実に「宗門改め」という庶民が必ずどこかのお寺の門徒にならなければいけないとした。

 6日

それから人々は、どこのお寺の檀家なのかを(にん)(べつ)(ちょう)に掲載され、それが一種の戸籍となったのである。この結果、江戸時代になると仏教は本来の姿を失ってしまった。なぜなら、坊さんは托鉢し布教の努力をしなくても庶民は仏教徒になってくれるから、教えを広める必要がなく、遂には僧侶も妻帯を始めて堕落したまま現在に至っている。だから仏教は信仰の場でなく葬祭場になったと云える。

 7日

元来、日本は世界で最も仏教が熱心な国で「十三宗五十六派」と言われるほど様々な宗派が開かれている。宗派とは日本独特なものである。それだけ、どうしたらこの世の苦から抜けられるか仏教者が必死になって模索した結果でもある。江戸時代になるとその熱気と情熱は急速に薄れた。檀家制度により宗教の「自由競争」が無くなったからである。為に江戸時代には宗教が堕落して檀家の葬式と法事だけしかしない住職となった。それで檀家は幕府の命により寺から逃げることが出来ず、それが今日まで続いている

 8日

本来なら寺とは「いかに生きるべきか」を伝えるべき場所でなくてはならぬが亡くなった方にお経をあげるだけの場所と思われている。現在、悩みを抱えている人を、鎌倉時代の祖師の如く仏教は救済しなくてはならぬ。処が葬式と法事だけのお寺に成り下がっている。檀徒は先祖を担保に取られているからで信仰の真の自由は無いのである。

 9日

お釈迦さまは、弟子のアーナンダに遺言された。「お前達は自分たちを明かりとしなさい。人をよりどころにするな。仏教をよりどころにして、他を頼るな。自分が死んでも、自分の銅像を拝めとか、一番弟子のいうことを聞けとか云われなかった。あくまで頼りにするのは自分だ。自分がしっかりしなくては誰も助けてくれない。自分で自分の心を鍛錬しなさい、自分の姿を反省して正しい行いをしなさい」言われた。これが自灯明(じとうみょう)である。

10日

バツカリという弟子が不治の病で倒れた。友人に「私の命はもう尽きる。お釈迦さまのお顔を拝見したい、だが体力が無い、恐れ多いがお釈迦さまにお出まし願えないか」と。お釈迦さまはバツカリの家に行く、泣いて喜んだ。その時、バツカリにこう説法された。         

11日

「バツカリよ、私の老いさらばえた身体を見た処で、何の役に立ちはしない。大切なのは私ではない。仏教だ。仏教を守り信じるのだよ」と。バツカリははっと悟った。お釈迦さまはご自分を神格化されなかった。私は近代的知性を感じるし親近感がある。

12日

現在の葬式仏教は依然として進歩もなく極楽に行けると云う。お釈迦さまの臨終には何の奇跡も起こらない、ベッドの周りの四本の沙羅双樹の樹が亡くなると同時に真っ白になり枯れただけ。あれだけ素晴らしいことをされながら、普通の人と同じように老い、病に倒れ、亡くなられた。

13日

お釈迦さまは「人生は苦に満ちている」と認識しながらも「この世は美しい。人の命は甘美なものだ」という美しい言葉を残しておられる。これこそが仏教の教えである。

14日

人生は悲しいことの連続である。生まれてこなければとさえ思うこともある。だからと云って人生を諦めてはいけない。人生は諦めてはいけない。人生は自分の心がけ次第で変えることができる。だから人生は素晴らしいというのがお釈迦さまの教えである。

15日

お寺に行きてお布施をあげればいいのではない。仏様に甘えて祈ればそですむものではない。自分の人生は誰にも頼らず、自分自身の努力で変えなさい、というのが仏教の教えだと私は確信している。

16日 あさきゆめみじゑひもせず  
仏教は不生(ふしょう)不滅(ふめつ)、生と死は別ではない、生死(しょうじ)一如(いちにょ)などと説く。又、この世を無常なもの泡沫の如きものと観る。事物は相互に関係しながら存在する、即ち他を縁として生起(しょうき)し、他と相関しながら変動していく。人間の苦悩は欲望から起きる。欲望は無明(むみょう)、事を明らかにできる智がない為に生じる。物には縁によって起こる原因即ち縁起があるから人間が安楽の境地(涅槃)に入るには無明に囚われている己を自覚し、欲望に執着せず、全てありのままの姿で受け取る平静な心で生きることだと言う。
17日 つまり縁起の道理に基く中道の実践により輪廻(りんね)の世界から解脱し涅槃の境地を得るのだが、生身の体は欲望があるからこそ生きておるという矛盾との葛藤だ。
18日  涅槃とは執着を超越し、この世で実現すべき心の状態の謂いであり、現世でこそ実現しなくてはならぬ「心の浄土」であると、私の「(せい)の哲学の理」に於いて確信する。宗教は「生の哲学」でなくてはならぬ。
19日 すべての物に実体、自性がないことを(くう)般若(はんにゃ)は空なる真理をつかむ智慧を意味し、空と同義語。悟りの智慧であり、般若(はんにゃ)(くう)とはとらわれないこと、側面的には色即是空(しきそくぜくう)空即是色(くうそくぜしき)
20日

形あるものも認識がなければ空。般若の空に徹すれば(せい)のはかなさを知り同時に生の貴さを知る。はかなさゆえに貴い生である。空に徹するとは石に噛りついても生を立派に実現する事であろうか。人間の生死は無相、空である。死を怖れず、死を求めずは味わうべき真言。

21日 空は否定と肯定、無と有の二つを弁証法的に統合している。在るがままにあるのが空であり、仏の(すがた)であろう。
22日

空海は即身成仏(そくしんじょうぶつ)()において生命は宇宙的生命だとし大宇宙そのものを仏とみた。一切を包容する宇宙を仏・大日如来とした、太陽を象徴した仏である。我々の生命は宇宙そのものでありすべて同じ生命を生きているものとした。宇宙原理と人格原理の一致、(ぶつ)(ぼん)一如(いちにょ)である。

23日

大自然の中に仏を見る生命哲学であり生命を讃美する。大日如来は太陽の如くすべてを生み出す仏で虚無的な性格はなく肯定である。大日如来は三ッの姿で秘密の姿を示す。(しん)()()である。(しん)(みつ)-身体、()(みつ)-言葉、()(みつ)-心、で大生命の姿とする。

24日

自然崇拝は日本固有信仰と一致する。鎌倉の祖師達はこの三蜜を各自一蜜に専念した。道元は身蜜を強調し只管打座(しかんたざ)。口蜜の強調は法然と日蓮のお題目、南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経。意蜜、法然は口に出す念仏に重きを置いたが弟子の親鸞は信心だけで良いとし心を強調した。

25日 空海は知を強調、五ッの知を配して体系化、物質原理と精神原理の一元化を果たした。科学の知恵はこの一ッに過ぎまい。知恵と生の一致が密教の理想、生を上においている。密教は秘密仏教、なぜ秘密か、おのれを隠し姿を現さぬのが生そのもの、生は解明されない何かを宿している。人間がそのまま仏となる密教、仏の形は人間の形、大宇宙の生命は人間の形となって現れる、空海の法は生きている!
26日

私の究極の(ことわり)
縷々(るる)「私の仏教理」なるものを開陳したが、私の(ごとく)した「究極の(ことわり)」は何か。

27日

釈迦の言葉と現在の仏教は大違いに思える。祖師達は釈迦を自分なりに解釈して宗派を作った。不思議なのは釈迦像でなく始祖像が仏壇の真中に鎮座しその見解が中心になり過ぎていることだ。極端な例があの世のことや葬式のこと、釈迦はこれらに就いて何も云われていない。私は仏教を学ぶ原点は釈迦に帰るべきだと言いたい。

28日

釈迦は伝道の旅路で亡くなった。しみじみと遺言された。「法を光、燈明として仰いで学ぶことにより、自分も光り輝き他を照らすことができる。法を聞き自分を光り輝かすことだけを頼りそれ以外のことに依頼心を持ってはならぬ」と、「自燈(じとう)(みょう)(ほう)(とう)(みょう)」である。

29日

「おのれこそ、おのれのよるべ、おのれを()きて誰によるべぞ、よく調えし己こそ、まこと得難きよるべをぞ得ん」と法句(ほっく)(きょう)にある通りだ。