道もとより活物(かつぶつ)(がく)(また)活物(かつぶつ) 

(いっ)(さい)先生の「(げん)志録(しろく)」は実に立派な書物でありますが、その後録(こうろく)の中にこういうことを言われております。

 

道もとより活物(かつぶつ)(がく)(また)活物(かつぶつ) 

我々が実践すべき道というものは、人間はそれによらなければ目的地へ到着することができませんから、これは活きものである。 

同じように学問も、死んだもの、機械的なものは駄目であって、活きものでなければならないと言うのです。 

何でもない簡単な言葉のようでありますが、極めて大事なことです。 

道だの学だのというと、ともすれば議論倒れになり、論理的知識、功利的知識になって、現実処理にむかぬことが往々です。それでは活きた人間を養うことが出来ません。 

僅か数字に過ぎませんが、無限の内容を含んだ見識のある言葉であります。 

翻って我々はどれだけ活学してきたか、活道に従ってきたか、ということになりますと、甚だお恥づかしい次第でありまして、こういう世相でありますだけに、一層この言葉が味読(みどく)されるのであります。 

安岡正篤先生の言葉