年末例会「雑感」 

今年も終わりとなりました。歴史的な年となりました。

先ず

1.   コロナ、ワクチンが普及するまで忍の一字、基本に忠実に日々過ごすしかない、人類の過去には何度もありバタバタ死んでいきた。

我慢しかない、私は、日々常に頭によぎるのだが、

人間は大自然の生き物として特別の存在ではない。

゜正に生きるとは「苦」が本質です。 

苦しい時でなくても、私は時々思い返します。 

徳川家康の遺訓です。

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。



 人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
 不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
 心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
 がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
 勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
 自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
 足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。

2.   坂田藤十郎

 亡くなりました、88歳、扇千景の旦那、千景は参議院議長やりましたが、胆力ある魅力的な女傑だが女房としても優れていましたね。 

一、古典の確固たる素養、

何事も素養が大切です。

二、その上に、精神と肉体の、瑞々しさ

三、進取の気性を併せ持った人物と言われるのは

  あの顔に現れていますね。まさに達人。

四、舞台姿は、濃厚にして、清々しい、古典でありながら新しい。そして「はんなり」した風情と迫力ある演技と言われた。

五、芸には一ミリの妥協も許さなかった。だが素顔は、穏やかでいつも笑顔の人であった。凄いと尊敬しておりました。

五、座右の銘は「一生青春」でした。

 

惚れ惚れする人間力、芸への打ち込み。華やかに芸に生き抜いた人であのくしたね。合掌

 

3.   昭和天皇の御歌に思う

昭和天皇のみならず私が歴史的大歌人と思う美智子皇后もであるが、

皇室は

大自然の中の生きとし生けるものを愛おしみ、その一部としての人間の共生を尊ぶ思いに満ち溢れているように思う。これは万葉時代から、否も日本人の根底的人生観であろう。

 南方熊楠という凄い粘菌学者がいた。

紀伊半島の島、神島―かしまー熊楠が樹林伐採を阻止して後に天然記念物に指定されたか上陸して貴重な生態系を観察し粘菌採集をした。

 この島の前の宿に泊まったことがある。

神島に熊楠の歌碑があった。

   一枝もこころして吹け沖つ風

      わがすめろぎのめてましし森ぞ

 昭和天皇はその神島を見て詠まれた

   雨にけふる神島を見て

     紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ

 御製に個人の名前を入れるのは異例中の異例。

よほど熊楠を懐かしまれた、ほのぼのとした話ではあります。

 4.   美智子皇后のお歌

天地―あめつちにきざし来たれるものありて

  君が春野に立たす日近し

 平成天皇の心臓手術の後の歌。

医師団は結論が出なかったが。美智子皇后は

「神の手はいつまでも神の手ではありません」

これで手術の踏ん切りがついたらしい。

 5.   自然との共生

 歌会始の召人―めしゅうどー上田正昭の歌

  山川も草木も人も共生も

    いのち輝け新しき世に

 いつも私が申すように人間も動植物も全て命あるものとして大自然の中では同格です。

改めて限りある命を思いつつコロナに対処して参りましょう。

          令和2127  鳥取木鶏会 会長  徳永圀典