闘鶏神社 和歌山市
<闘鶏神社>
闘鶏神社は、允恭天皇8年(419年)の創建、古くは新熊野鶏合大権現(いまくまのとりあわせだいごんげん)と呼ばれていたが、明治維新の折、今の闘鶏神社に改称した。前の呼称のほうが、重々しくていい感じである。
壇ノ浦合戦で源氏を勝利に導いた熊野水軍の伝説が今に伝わる神社で、名の由来は、平家物語壇ノ浦合戦の際、源氏と平氏の双方より熊野水軍の援軍を要請された、武蔵坊弁慶の父であると伝えられる熊野別当湛増が、どちらに味方をするかの神意を確認するため、神社本殿の前で赤を平氏、白を源氏に見立てた紅白7羽の鶏を闘わせたことによるものである。境内の一角にはその様子を再現した湛増と弁慶像がある。
そのほかにも、神社の社務所には源義経が奉納したといわれている笛、弁慶産湯の釜、弁慶の父湛増が使ったとされている鉄烏帽子や鉄扇等の宝物が展示されている。弁慶生誕の地として、この神社近くの大福院にあるとい。