日本国の安全保障―国民からの問題提起―」 櫻井よしこ先生基調報告  

大変ご丁寧なご紹介を頂きましたが、日本国の最後の砦はこの女一人では余りにも心細くございますので、皆様方ご一緒に最後の砦になって頂きたいというふうに思います。実は今日は国民の立場から日本国の安全保障をどのように捉えていったらよいのか、普段、様々な方々のお話を聞きながら、もしくは取材をしながら感じることを問題提起という形で述べさせて頂きたいというふうに思います。

問題提起その1:根本的欠陥―本質と全体像の欠落―

安全保障問題に限らず「私たちの国」は一つ大きな問題に直面していると、常々感じています。それは、問題が有るのはどこの国も同じなんですけれども、日本国にはもしかして問題解決能力が著しく欠けているのではないかと。問題は有っても全然構わない。人間にも社会にも国家にも問題があるのは当たり前でございますけれども、それを解決する力もしくは意思というものがない時は問題が山積するわけでございまして、少しも前に進んでいかない、もしくは、沈没してしまうという運命になるわけです。わたくしは、日本国が安全保障問題をはじめとする種々の問題を何故解決できないのか、そこから解きほぐしていきたいと思います。

理由の第一は、恐らく日本人が非常に忘れ易いということがあると思います。言い換えれば、物事の全体像を見ることが非常に苦手である。目の前の事象を見ることは非常に敏ではあるんですけれども全体像を見ることができない。従って本質を理解することができない。

今、中国の脅威ということを司会の方がおっしゃいましたが、わたくしは中国問題に関しても、ホントに1972年の日中国交回復以来のわずか三十数年間の歴史を見るだけでも、あの国とどのように付き合ったらよいのか、あの国の本質が何処にあるのかというのは、明確にはっきりと見えるわけであります。けれども、それを日本人は見ようとしない。そして例えば日本と中国が文明的に文化的に非常に近いのであるから、話せば解かるというふうな幻想に未だに多くの人たちが染まっている。政界を見ても「中国とは、とにかく仲良くすることが大事なのである」と考えます。先般の温家宝首相の訪日を非常に高く評価した人も大変多くおられました。温家宝氏の泊まっている宿舎には衆議院議員、参議院議員、財界人などがあとを絶たずに訪れたというふうなことが報告されておりますけれども、これは、例えば日本の同盟国のブッシュさんが来てもそんなことは無いのであって、如何にわが国の、各々の分野のリーダー達が中国の本質を見ていないか、温家宝氏の現在の中国の意図を見抜いていないか、ということを示すものだと、わたくしは感じました。

中国を一言で言うならば、軍事力だけを頼りにしている国。今ようやく経済力がついてきて、巨大なマーケットがあるという認識が世界中に広がっておりますけれども、毛沢東らの建国の足跡を見ると、あの国が一にも二にも重視したのは軍事力以外の何ものでもないわけです。軍事力、とりわけ核兵器の持つ力というものを非常に重視して、軍事力を強め、核兵器を開発するためにはどれほどの国民が餓えて死のうとも構わないというのが中国の基本戦略でありました。軍事力の後(あと)に政治力というのがついてくる。そうした諸々の力の後(あと)に経済力がついてくる。これは戦後日本の進んできた道とは正反対の道でございます。私たちは経済力から始まった。けれどもそこで止まっていまだに足踏みをしているわけです。中国は反対側から国家建設に入って軍事力を突破し、政治力を突破し、経済力を突破し、そして今や、彼らは世界の超大国になるという野望に手をかけた。そこまでたどり着いた。日本人は、中国のこの基本路線は全くどの時代になっても変わらないということを見なければならないわけです。しかし、中国が微笑外交に転換すると、そのあたりで私たちは騙されてしまう。

全体像を見ないというのは、例えばアメリカに対しても同じであろうかと思います。アメリカが何故イラク戦争を始めたのか。アメリカのイラク戦争は、今、治安がうまくいっておりませんから批判が方々から起きております。ブレアさんもその批判の嵐の中で支持率を落として、退任をせざるを得ない状況が生まれています。日本はブッシュ政権のイラク戦争というものを日本の国益から見なければならないだろうとわたくしは思います。

日本の新聞などを見ますと、ブッシュさんがイラクで失敗すればいい気味だとでもいうべき報道が溢れている。ブッシュの失敗をまるで歓迎するかのような報道が数多く見られます。その反対に、何としてでもアメリカは中東で成功しなければならないのである、少なくともイラクを安定させた上で撤退すべきである、という論調はなかなか日本には無い。アメリカの共和党でさえもこの点については割れているわけですから、そのような見方を日本がしないことはしょうがないという言い方もあるかもしれません。けれども、安全保障に関心を持つ人であるならば、イラクにおけるアメリカの立場を日本は絶対的に支持しなければ、困るのは日本だということは直ちに理解できます。その点を見なければならないだろうと思います。

例えば、イラクでアメリカが治安を回復することもできないかたちで、惨めな撤退をせざるを得ない状況になると仮定致します。その後に生まれるイラクというものはどういう国家なのか。これはシーア派のイスラムの原理主義者たちの塊(かたまり)の国家になるだろうと思います。クルド族はもっと迫害されて彼らは独立の動きを見せるでしょう。もっとひどい内戦が進んでいくでしょう。シーア派はイラク・イランの国境を越えて結びついていく。つまりイラクとイランが一緒になっていくということです。そして彼らは、世界の経済を左右する膨大な量の石油を支配することになります。

石油はその途端に、今でも石油というのは政治的資源ではありますけれども、もっともっと高いレベルでの政治的な資源となって、世界経済の命運がイスラム原理主義者たちの手に握られてしまうという事態も起きるわけです。そうしたらわが国は一体どうなるのか、9割の石油、9割以上の石油があの地域から来ているわけですから、日本はイスラム原理主義者たちの主張に屈服するのか、アメリカとともに歩むのか、自由世界とともに歩むのか、これは想像を絶するような難しい選択を迫られるような場面も十分に考えられるわけです。

こうしてみると私は、ブッシュ政権のイラク戦争を批判するのもいいけれども、日本の安全保障、軍事的な安全保障のみならず国家全体の安寧というものを考えたときに一体どうしたらよいのかということを考えなければならないわけで、その観点からの安全保障論議というものが成されなければならないと思います。けれども、わが国では、久間さんという、現職の防衛大臣が、二度にわたってアメリカのイラク戦争を批判しました。しかもその人がクビにならない、しかもこの人は普天間の基地の移転のことについてもわけの分からないことをいう。こういった方々が日本の安全保障政策の中心に座っていますから、国民も、大臣までがアメリカを批判するようになってしまった、あのイラク戦争はブッシュ政権の完全な間違いなんだと考えてしまうでしょう。この類(たぐい)の影響には非常に深刻なものがあるだろうと考えます。このように全体像を見るということをしないためにわが国の安全保障論議はどうしても観念論になっていくんですね。

 

問題提起その2:問題以前の問題―自衛隊は「違憲合法」―

で、実は今朝、非常に今日のテーマに相応しいようなエピソードがございました。ある新聞社がですね、今日[2]、国民投票法案が可決するけれどもそのことについて、二、三のところから取材の電話がありました。日本を代表する全国紙からの取材で、電話をかけてきた記者が「国民投票法案というのは『平和憲法』を改憲する道につながるのではないか」という質問をしたんですね。で、「それでは『平和憲法』とは何ですか?」とわたくしが聞きました。「憲法改正なら分るけれども、平和憲法改正というのは何ですか?」と聞きました。そうすると、「憲法九条です」と言う。そこで「『憲法九条』が何故平和なんですか?」と聞きました。「それは『戦争しない』というふうに謳っているからだ」と。「戦争しないということが平和なんですか?」と聞きますと、「戦争しないということだから平和なんじゃないですか。」「なるほど、じゃあ中国の国内で、中国政府の軍事力、もしくは抑圧によって沈黙を強いられている少数民族は平和であります。『戦争がないという意味』では平和ではありますけれども、そういう平和を私たちは望んでいるんですか」と聞いたら黙ってしまいました。で、わたくしは、「物事を考える時には、なるべく形容詞を排除した方がいいですよ」と言ったんです。

『平和憲法』と言うと、なるほど「この憲法は平和を目指すのか」と。「じゃあ世の中に『平和憲法』に対極するものとして『戦争憲法』はあるんですか?」と聞きました。「何処の国にも『戦争憲法』というものは無いわけであります。何処の国でも形容詞をつけて憲法を語ることをなるべく避けようとしています。大事なことは、条項がどのようになっているのか、条文がどのようになっているのかという事実で、事実関係をもとに見ないと物事は見えてきませんよ」と言いました。するとその記者はですね、たぶん社会党的な考え方の人なんだと思いますが、「じゃ憲法改正が戦争につながる可能性がありますが、えーそのことについてどう思いますか?」と。私は、もう一回聞きました。「ところで、私の悪い頭では、『憲法改正』がどういうプロセスを経て戦争につながるのかというのが判らないから説明してください」と言いました。「どういうプロセスで改正したら戦争につながるのか」、その記者は黙ってしまったんですね。

わたくしも黙ってジーッと受話器を握ったままおりましたら、こう言いました。「いや社会党、社民党などがそういって主張していることについて櫻井さんはどう思いますか」という聞き方に向こうが変えてきましたので「では、わたくしは貴方に、社会党及び社民党の主張の変遷についてお尋ねしたい」と、こっちが逆に聞きました。社会党は以前は『自衛隊は違憲合法』であると言った。最初は違憲だと言っていたのがそのうち石橋さんの時代の頃から『違憲合法』という・・・わけの判らない定義をするようになった。法律というのは憲法に基づいて定められているわけですけれども、その大きな根幹である憲法に違反しながらも法律的には合法っていうような、こんなことがあり得るんですかね。

ま、いずれにしてもこの矛盾した「違憲合法」という考え方でずーっと何十年間もやってきた。ところが、「村山富市というとんでもない人が、総理大臣になったときに党内論議もしないで一夜にして『自衛隊は合憲の存在である』と言ったのを覚えていますね?」と記者に言ったら「覚えています」と。その村山富市さんが、観艦式でシルクハットをかぶってモーニングを着てですね、自衛隊員たちに訓示をなさった。そこで「諸君は国家のために命を犠牲にする崇高な使命に邁進せよ」という趣旨の演説をした。わたくしは自衛隊員がホントに可哀そうだと思いました。こんな馬鹿に「君たちの命を国家に捧げよ」なんて言われる所以は何処にも無いんですね。いわんや、これまで「違憲合法だ」などと言っていた政党の人間にですね。

しかし、間違いを認めたのであるならば、自衛隊は合憲であるというので改めたのであれば、それはそれで宜しいんですけれども、村山富市なる人物はですね、首相を辞めたとたんに社民党に戻って、そして何と言ったか「総理大臣の時には合憲と言わなきゃいけなかったから仕様がなかったけども、よくよく考えたらやっぱり自衛隊は違憲である」と言ったんですね。違憲に戻ったわけです。これは秘密でもなんでもない。日本のメディアに事実関係が報道されていることです。わたくしは、一連のこういう話をして「その社会党、そしてその先にできた社民党が言っていることは、今、申し上げたとおりで、貴方、これおかしいと思いませんか」って言ったら「オカシイデスネェ」と言う。「で、その社民党が、今、憲法九条が改正されたならば戦争につながると言っているといっていることはどうなんですか?」と、逆に質問したら、もう何も言わなかったんです。(苦笑)

つまりスローガンが一人歩きをしている。『憲法九条』の改悪は戦争につながる。でも、一つ一つ、論理的にとまでは言いません。論理以前に、最低限、事実関係を継ぎ合わせていくとですね、「どうもオカシイナア」ということが様々なところから見えてくるんですけれども、そういった知的作業ということさえも多くの日本人はしないのではないか。

 

問題提起その3:観念論―非現実的思考と知見欠乏

安全保障問題に関心のある人の安全保障論議もその影響なのでしょうか、非常に観念論的になっていますね。

例えば、核の問題があります。北朝鮮が核を開発しました。中川昭一さんが「核の保有について日本も議論すべきである」と言った。私は、中川昭一さん、ホントによく言ってくださったと思うんですけれども、情け無かったことに、あの時、中川昭一を応援する人は政界からも財界からも殆ど出てこなかったわけですね。殆ど出てこなくて、本当はあの発言をきっかけに大いに議論されていかなければならなかったわけですけれども、殆ど議論されなかった。

そこで日本で行われた核の論議というのはどういったものか。例えば、台湾の人とこの前話していたら「『台湾には、中国の核が二百基も三百基も、台湾に狙いを定めて設置されており、これが方角を変えて日本のほうに来たら日本も危ないんですよ』という言い方をすると、日本の方は皆『そうですね』と言ってくれる」と台湾の方は言うんですね。「そうですねー!」と言ってくれて、でも、そこで、思考が日本人は止まってしまう。じゃどういうふうにしたらいいのか。方角を変える、方向を変えるといっても、それは軍事論的に見ると一体どういうことなのか。それを迎え撃つには、日本はどういうふうにしたらいいのか。そして政治的な抑止力をどう構築していくのか。日本が核兵器を持つことはどういう意味があるのかということになると、もう、一ミリも議論が深まらない。

例えば日本のどの基地にどういう核を配備するのか。それは日本国の独自の核なのか。それともアメリカの核なのか。例えば、ドイツが70年代にですね、ソヴィエトが中距離核をベルリン、ドイツに向けて配備した時に、ドイツは、自分たちは核を持っていない・・・日本と同じですね・・・ドイツは独自の核を持っていない。どうしたらいいかというので、アメリカに、ソヴィエトの中距離核に対応するものとして、アメリカも中距離核を作ってくれと。アメリカには当時は無かったけれど、大急ぎで作った。それがパーシングUです。それをドイツ国内に配備することによって、ソヴィエトの対ドイツ、対ヨーロッパの中距離核を無くすという戦略を採ったわけです。日本人にはそのような発想が有るのか?

そのような発想が有るとしたら『非核三原則』の三番目の「持ち込ませない」、「イントロダクション」の条項などは、とっくの昔に整理をつけておかなければならないわけですけれども、今だに、これまた、防衛大臣がですね、変なことを言うような現実がございます。ですから日本における核論議、北朝鮮までもが核を持っている。その前に中国は、日本を何十回と破壊するだけの核を持っている。インドもパキスタンも持っている。アメリカもロシアも持っている。日本周辺というのは核大国で埋め尽くされているというのに、この戦後長きにわたって私たちは、殆ど、核の傘の中に在ってまさか日本を核攻撃することはないだろうという何の保証もない楽観論の中で過ごしてきた。

防衛庁が防衛省になりました。防衛省になって名前は変わりましたけれども、ホントに防衛省は日本を護るに値する頭脳と力というものを持とうとしてるのかどうなのか。その辺が、わたくしは、まだまだ十分には見えてこないというふうに感じております。例えば、軍人がいろいろものを言うのは、かつての戦争の記憶が有るために宜しくないというふうな議論があるのかも知れませんけれども、議論という意味では様々な発言が許されてしかるべきだと思います。そして安全保障に関心を持つ政治家たちがもっと軍事的な知識をもって安全保障論をたたかわせないといけない。基本的な軍事知識が無い人たち、これは、わたくしも含めて全く同じなんですけれども、軍事の知識が無い人が軍事論をたたかわせるときにどういうことが起きるかというと、焦点が外れた議論になってしまうと考えます。

例えば、F-15の戦闘機を何処に配備するか。中国の脅威を考えれば、沖縄に配備するしかないわけですけれども、今、沖縄に配備されている戦闘機は、すごく古い三十年も前のものです。いろんな方に聞いてみたら、中国の戦闘機よりもF-4とか沖縄にある古い型はスピードが遅いし、回転する半径の径もすごく長い。どうしても敵機に後ろに回られてしまったり、上にいかれたりして日本が攻撃を受けてしまう。それしかないと。でも、北海道にはF-15など最新鋭のものがあるので、それを沖縄にもってくればいいだけの話なのに、そこのところが柔軟に対応できない。沖縄に配備するのが、あと一年か、二年か、三年か先のことだというふうにうかがいました。じゃあ、その間に有事になったら、日本や沖縄はどうなってしまうんだろうと考えます。

ただ、戦闘機があればいいということではなくて、どういう性能を持った戦闘機、どういう性能を持った軍備が何処に有るのかというふうなことも含めて考えることができるようになるためには、政治家も、一般の専門家と言われる方々も、もっともっと軍事の知識がなければならないのであって、そのためには、今まで私たちの国が直面していた安全保障を語ることの、一種の、タブーを積極的に打ち壊していかなければならないと思います。

 

問題提起その4:国家観―日本と中国―

もっと大事なことは、実は軍事力というものは、ものごとの根幹ではあるけれども、国家の根幹の一部に過ぎないということです。さっきわたくしは、中国は国家の根幹を軍事力に置いた。そこから中国は力をつけてきたという話を致しました。でも中国はただ単に軍事力を使ってきたのではありません。彼らが使ってきたレトリック、彼ら流の論理というものは、並々ならぬ狡知に満ちています。例えば、歴史問題を彼らはどのように論ずるか。歴史的にみて中華人民共和国という政府が如何に正当性の有る政府かというフィクションを作るのに彼らは非常に長けていると思います。私たちは中国の主張が何故世界に通用するかという謎解きもしなければならないわけです。彼らはただ単に力が強い、軍事力が強いというのではなくて、常に、「中華人民共和国側に正義が在る」、「大義は中華人民共和国の側に在るんだ」ということを印象付けるんですね。このことを安全保障の一つの柱として日本はやらなければならないと思います。私が言わんとしていることは、もう、皆さん方、ピンと来ていると思います。今の日本が取り組まなければならないのは歴史問題であるということなのです。

アメリカも、中国も、日本国の命運を左右する二つの大国でございます。この二つの国と日本がどのように切り結んでいくのか。心の中で、言葉の上で、文明という次元において、どのように日本が、中国、アメリカと切り結んでいくのか。これはどのような軍事力を構築するのか、軍事戦略を持つのかということと同じ位大きな力を発揮すると思います。その意味において、わたくしは、日本人は戦前の歴史、日本が敗戦を迎えて、GHQに占領されて、戦後の日本社会に突入する前の、それよりずーっと前の歴史に思いを致して、日本の力というもの、日本の特徴というものをそこからくみ出していかなければならないというふうに考えます。

例えば、ブレジンスキーは、日本についてこう書いています。「二十一世紀、日本は、決して政治大国にはならないだろう」と。これは、アメリカで多くの人たちが抱いている日本観でもあります。「日本は政治大国にはなれない。何故ならば、戦後の日本を見ると事実上のアメリカの被保護国であるから。日本は、しかし、経済力に長けている。だから日本は経済活動に特化して、そしてお金を儲けて、儲けたお金を国際機関に寄付すればよい。それを二十一世紀の政治大国として地球をリードしていく国々が活用します」という趣旨のことを書いている。日本人が一生懸命汗水たらして働いたお金、儲けたお金を寄付して、それを使ってくれる国は何処か?もちろん一つはアメリカであって、もう一つは、これはブレジンスキーの定義によると中国なんですね。で、彼の中国観というのは「中国こそが偉大なる政治大国」であるというものです。「中国はやがて台湾を併合して、二十一世紀、世界の偉大なる政治大国としてアメリカとともにこの地球社会をリードしていくであろう」という見方をしているわけです。

じゃあ中国は日本に対してどのように観ているか。中国の日本観というのは、恐怖と侮りのないまぜになったものだと思えばいいと思います。心の底では日本の力を恐れている。同時に、心の底で日本人を侮り続けてきました。何故日本人は侮られるのか?それは、日本人が中国人をわれわれと同じだと見て、そして、同じ次元において日本的な感覚で中国人を測ろうとして、常に言葉のたたかい、心のたたかいに敗れてきたからです。中国人は日本人をコントロールする術(すべ)をマスターしていると考えている。だからこれからも日本人を御(ぎょ)していこうと考えているわけです。その中国共産党は、1950年代の対日分析、98年の対日分析、いくつか節目々々で日本を分析してきましたけれども、どの分析を見ても一本同じ筋が通っている。それは、「日本という国はホントのことを言うと素晴らしい国だ。技術的にも、経済的にも、頭脳の面でも素晴らしい国である。しかし、日本人は、御(ぎょ)す、われわれ中国人がコントロールすることができる存在なのである。日本人の塊(かたまり)である日本という国家を、まるまる中国のために役立てるような対日政策を作らなければならないし、日本人をそのように仕立てていかなければならない。つまり日本人をコントロールしなければならないのであって、コントロールする道は二つある」と書いてあるわけですね。

これは、もう、私よりも専門家の皆様方がとっくの昔にご存知のことだと思いますけれども、98年の江沢民訪日の前に、中国共産党が分析をした『二十一世紀の中日関係の展望』という文章の中では、日本をコントロールする方法として二つ書かれていて、一つは「アメリカを通して日本をコントロールする道である」。もう一つは「日本の国柄を利用することである」。「日本の国柄というのは『日本は押せば引く国である』」。そう書いてあるんです。「日本国は押せば引く国である。それが日本の国柄である」と中国は考えている。ただ、「理由も無く押すことはできない。日本を押す最善の材料は歴史問題である」と書いてあります。彼らの手の内を読んでしまえば非常に分かり易いのでありまして、なる程、この歴史問題で中国に屈服する限り、私たちは中国のコントロールの下に入るのであって、中国にとっては、靖国問題も、慰安婦問題も、全ての歴史問題はそのこと自体が問題なのではなくて、日本をコントロールするための手段に過ぎない。政治的な道具に過ぎないということがよくよく分るわけであります。

こうしたことを系統立ててずーっと事実関係として積み上げていけば、中国に対しても、アメリカに対しても、わが国がなすべきことの一つは、日本人は決して歴史的に見て単なる加害者でもない。単なる被害者でもない。日本人が間違いを犯したとすれば、その同じ間違いをアメリカも犯しているのであり、中国も犯しているのであって、日本人だけが悪いのではないということを言わなければならない。日本の歴史を振り返ってみれば、むしろ日本人は中国人よりも遙かに倫理において、道義において優れた国民である。国家としても中国とは比較にならない位道義的国家である。アメリカと較べても全く遜色は無い。むしろ正直すぎるのが欠点な位である。というふうな認識を私たち自身が持たなければならない。

そのようなところに立っているにも拘らず、日本の国内には「日本が反省することが良心の証しである」とでも言うかのように、いろんな人たちが変なことをおっしゃっている。そして、現職の大臣の中にも、そのような考え方に同調する人がいないわけでもない。これは大いなる間違いなのでありまして、私たちは、その間違いを一日も早く訂正しなければならない。その意味において、靖国神社問題も、慰安婦問題も、決して過小評価してはならないことだと私は考えています。

今、軍事力を整備することと、それから軍事戦略をキチンと持つこと。そのためには各国の軍事力に対する考え方や、常識というものを正確に捉えなければならない。それから、それぞれの国の戦略を系統立てて、全体像として見なければならない。いろんなことを申し上げましたけれども、歴史認識の問題も申し上げましたけれども、こうしたもの全てが合わさって安全保障というものは担保されるわけです。

最後に中国が安全保障、つまり、日本風にいうと、国民の生命財産、領土、領海、国家の名誉を護るという安全保障を中国がどいうふうに捉えているか

中国は、四つの要素で安全保障が担保される、国境線もその四つの要素によって変わってくると考えています。一つは軍事力である。一つは政治力である。一つは経済力である。一つは国民の意思の力である。この四つの力を中国は、合わせて国家の総合力と呼んでいます。この総合力の強さ如何によって国境は動くというのが彼らの考え方です。彼らは、国境は固定されているものではないと信じています。国家の総合力、軍事力、経済力、政治力、国民の意思の力が合わさって強くなれば国境は外に膨張していく。それが弱くなれば縮小していく。だから国境というものは、確定されているものではなく、彼らは国境を戦略的境界、動くものであると考えています。第一列島線、第二列島線[3]のお話はもう皆様ご承知のとおり、でございます。日本も国民の意思の力ということにもっともっと焦点を当てなければならない時代に入っていると考えます。 

問題提起その5:米国について

今朝の新聞を読んでいて、なる程、アメリカがこのように変わっていくときに、日本はますますアメリカから信頼される国家にならなければ、本当に何処かで置いていかれてしまうかもしれないという感じを抱きました。それは、アメリカとイランがですね、三十年ぶりに正式の二国間会議を行う。大使級の会議になるらしいのですけれども。皆様ご承知のように、革命が起きてパーレビ国王が追放されたときから、アメリカはイランと国交を断絶して今日に到っております。ですから、そのイランの核開発の動きにしても、アメリカは直接的には交渉していない。イランとの交渉は、イギリス、フランス、ドイツがこれまでずっと中心になってやっているわけであります。しかし、アメリカがここに来て、いよいよその直接交渉に乗り出す。イランもその直接交渉に応じる、という局面になりました。といっても、イランは、一度アメリカとの交渉をキャンセルしておりますので、今回の6月に会うという交渉[4]がですね、実現するかどうかは予断を許しません。

この動きを見て、良きにつけ、悪しきにつけアメリカの外交の柔軟さというものを感じます。今までは「悪魔」とか「悪の枢軸」というふうに名指ししていた国とも、ぱっと、必要であれば手を結ぶことがアメリカの外交にはこれまで度々ございました。それがかつてのニクソンの訪中でございます。民主党はともかく中国びいきでリベラルな考え方の人が多いのですけれども、共和党も二つに分かれているんだということを私たちは認識しなければなりません。

共和党の二つのグループというのは、一つはブッシュさんたちが代表する「価値観」を重視する人たちです。ネオコングループの人々も同じだといってもいいと思います。民主主義とか、自由とか、人道とか、人権、法の支配、私たちが信ずる価値観を大事にして、この価値観を軸にして同盟関係を築き、それを世界に広げていきたいという考え方ですね。だから、戦後六十年のときにブッシュさんが、あのモスクワで開かれた戦勝国の六〇周年の記念の式典に行く前に、ラトビアの首都リガに寄って、リガ演説[5]を致しました。彼はそこでアメリカが犯した戦後最大の間違いはヤルタ協定を結んだことであると語りました。つまりそれは、「価値観が違うソヴィエトを受け入れて、そして戦後の国連も、ソヴィエトが常任理事国になって大きな力を持つ共産圏を許容するような政策を採ったことがアメリカの犯した最大の間違いである」という意味です。ならば、日本はこのブッシュさんのリガ演説を受けてですね、「そうなんですよ」と言わなければいけなかった。ソヴィエトがやっていることは何なんですかと。ソヴィエトは、戦後、日本から北方領土を違法にとったじゃないかと。南樺太もとったじゃないか。千島もとったじゃないか。北方領土もとったではないか。これは明確な国際法違反なのであって、アメリカはこの国際法違反を訂正させる責任があるんだというところまで詰め寄ることができていたならば、私は、日本は、もっともっとアメリカから敬意を抱いて貰えただろうと思います。もうその辺の価値観が日本には全然無い、知識が全く無いのです。

ブッシュさんら価値観を重んずる人たちがいる一方で、もうひとつの共和党のグループがあります。彼らは現実主義者であり、「悪魔」とでも手を結ぶ人たちです。イランと手を結んで外交をやろう。これが今のライス国務長官らのグループ、で、この人たちは、例えばジム・ベーカーにつながるでしょう。お父さんブッシュの国務長官ですね。そしてずーっと遡っていけば、ニクソン、キッシンジャーにつながるわけですね。この人たちは、価値観よりも現実の利益というものを重視する共和党のグループです。だから佐藤政権のときに、中国と手を結んで日本を置き去りにして、台湾を置き去りにして中国に走った。何故かと言えば、ソヴィエトを封じ込めるという現実の利益のために、それまで全然交渉の無かった、そして、それまでは敵視をしていた中国と手を結んだ。「結ぶ」そのことを一夜にしてやり遂げてしまうというのが共和党のもうひとつの伝統でございます。だからこそ日本がシッカリしていなければこのアメリカの現実志向の外交の前に親日的な共和党政権と言えども、いつ日本に対して寝返りするか分らない。

これは国際政治の中で、当然あることなんです。反転したからといって、私たちが、「アメリカはいけませんねェー」ということを言っても詮無いことなのです。日本国としての安全保障、日本国の安全を担保するには、大国というもの、大国でなくても、いかなる国家であろうとも、国家というものは自国の利益のために、このようにすることがあるんですよ、我が国の同盟国であるアメリカ、そして民主党よりもはるかに日本に対して理解を抱いていると思われる共和党でさえも、そうしたことをやるんですよ、ということを念頭に置いて、そのような行為にアメリカが決して出ることがないようにするにはどうしたらいいのかを考えなければならないわけです。そのためには、日本を裏切ったら大変な損失になる。日本を捨てたら大変なことになるというような国家に日本を仕立てていかなければならないわけであります。

いくつか方法は有ります。例えば、今、日本がやらなければならないことは、アメリカに対して、中国という国の本質をよくよく分らせていくことですね。そのためには、まず、言葉による説得が必要です。中国が如何にずるい国であるか。中国が如何なる野望を持っているか。中国が如何にアメリカにとっての脅威となり得る国家であるかということをきちんと、筋道立てて説明していくと同時に、もうひとつは、その中国を封じ込める実質的な力を日本が構築していかなければならない。

例えば、台湾をどうするのか。中国が、今、一番狙っているのが「台湾併合」でございます。台湾を取られたときに、アメリカはどのような損失を被るのか、日本がどのような危機に落ち込んでしまうのかということを考えて、日本とアメリカは、既にツウ・プラス・ツウで台湾の平和的解決ということを謳っているわけですから、それを担保する方策というものを日本が静かに、しかし、着実に実現していくべきであろうと思います。それは、アメリカ式の台湾関係法であっても宜しいでしょうし、台湾関係法と言わなくても種々の法律作り着実に実行していけばいいだけの話です。  

台湾と手を結び、インドともっと連携し、所謂、海洋国家の一群、東南アジア諸国も含めて、オーストラリア、ニュージーランドも含めて、日本がもっと意識を持って外交関係、安全保障の問題、自衛隊との交流を深めていく。合同演習などもやっていくことによって、アメリカに日本はこれだけの意識を持ってやっているんですよと、米軍再編の精神を引き継いで我々もテロリストたちを封じ込め、その延長線上にある、今、世界の暗黒の国々を支持している国、中国を共に抑制していく。アフリカにおいても、南米においても、中国こそが暗黒の国々の背景に在ることに関して、日本は手をこまねいてはいないということを示していくことです。

中国抑制のために、日本がどういう力を発揮しているのかということを、逐一アメリカに見せていくことが、アメリカが日本をないがしろにできない、させないことになっていくと思います。アメリカから見ても「日本はなかなかやるじゃないか」というふうな国家になれるように安全保障論議、外交を展開していかなければならないと考えます。

どのような場面においても、自分自身の考え方をシッカリ持って主張する人は、どのような立場に在っても尊敬され、一目置かれます。それと同じで、国家というものも、自国の安全保障や存続を他国に頼りっぱなしで、あの国がいなければどうなるのかなどという国家は、どの国からも尊敬されないのが当たり前の話です。そのような側面が日本に色濃くございます。そういったものを払拭していくことが大事です。そして、自衛隊が本格的な省になったことに誇りを持って、自衛官、軍事の専門家たちが、今まで自分たちの視野を狭めていた様々なタブーから解放されて、より広い視野で考えていくことが大事だと思います。

どうも有難うございました。 

   (録音書き下ろし執筆責任:『季報』編集事務局[6]