安岡正篤の言葉 平成27年2月 鳥取木鶏会
人間生活の秘訣
人間生活の秘訣は、全て自分の精神をある何ものかに集中することにあります。我々はいつでも、意義ある、感激ある仕事に自分の全身全霊を打ち込んで暮らすに限るのであります。精神を、ある一つのことに集中すると、霊感や機智が生ずるもので、そうすると異常なことができるものであります。 運命を創る
真の女性の減少
女性というものは男の持たない良いもの、例えば優しい情、謙虚、礼節あるいは献身というような美徳を持っておる、男よりも一般的には、あるいは家庭では模範的なものでなければならぬと信じているのですが、寂しいことにそういう婦人がだんだん少なくなって参りました。文明と社会の堕落と言ってしまえばそれまでですが、現代は我々の父母が作っておったような真の家庭らしい家庭が少なくなりつつあることは確かなようです。家はあるが、それは一日の面白くも無い勤労に疲れて帰る男女の休息と慰安、蘇生や勇気を与えられる家庭ではなくて、男女が単に飲食を共にする合宿所にすぎません。
子供も見てくれは大変良くなっておりますが、多くは惰弱で神経質になっております。その大きな原因の一つは、母が母らしい母でなくなりつつあることであります。 孟子
糠味噌女房の意味
糠味噌女房という言葉、これは古臭い鼻持ちならぬ女房というような言葉に、そのまま解されているようでありますが、これの本当の意味は、気のきいた女房の礼賛でありまして、どんなご馳走を食べても、最後はお茶漬けであり、お茶漬けの一番美味しいのは気のきいた香の物を食べさせてもらうことであります。即ち、気のきいたお漬物を出すためには女房は、常に最も糠味噌に注意しなければなりません。
これは捨てておいては直ぐ駄目になるものでありまして、しかも非常に冷たいものである。冷たく臭い糠味噌に始終手を入れて引っ掻き回して、絶えず糠味噌を新鮮にし、美味にするために気を配り、注意を怠らないというのは最も気のきいたた女房であるというので糠味噌女房という賛辞が生まれたのでありますが、これがいつの間にやら大変失敬なことになってしまいました。話せぬ人間の多い証拠です。 朝の論語
煎茶と人間味
煎茶は三煎する。湯加減して一煎で甘味が出て来る。
二煎目で苦味、この苦味の中に甘味がある。苦いタン
ニンの中からカテキンという甘味が抽出されている。
三煎でカフェインの渋味が出る。これを味わうのが煎
茶の法だ。これを無視すると、文字通り、滅茶苦茶に
なる。
このように甘味というものは苦味の中から滲み出て
きたものが一番よい。同様に人生の辛酸を嘗めてそこ
からにじみ出て来た甘味・渋味を持った人間が味わい
深い。単なる甘っちょろいというのは駄目である。
照心語録
東洋の家庭の原理
西洋は主我的、東洋は没我的であるということは著しい特徴でありまして、そこで個我的な精神の当然の発展として必ず権利観念、平等思想というものが生じます。
西洋の家庭生活においては夫婦というものは平等であります。各々自己を知り、相手を理解し、そうして共同生活を営んでおります。子供は子供、夫は夫、妻は妻、父は父というふうに明瞭に個人的生活が行われています。
東洋はそういうようには行かぬのであります。東洋の家庭というものは決して夫なり妻なり親なり子なりというものが明瞭に相対的、平等的なる自覚の共同生活をなしているのではない。いずれかと言えば、お互いに没我的になって相愛し合うというのが原則です。親は子のために自己を忘れ、妻は夫のために全く己を忘れる。そうして夫や子供の喜ぶのを見て喜び、悲しむのを見て悲しむ。だから西洋と違って、夫が物を貰えば妻が礼をいう。子供が物を貰えば親が礼をいう。そういうことは日本の家庭でなければ見られぬことであります。 日本精神通義