麻生総理を占す 

(ずい)   澤上(たくじょう)雷下(らいか) 沢雷随(たくらいずい) 

「順応と自得」。魅力を感じて、人が争って付き随ってくる象である。成年の男子が乙女に随喜する象である。やはり貞なるに(よろ)し。この時、好い気になって共に遊び過してはならぬ。時が来れば、さっさと退いて、休養せねばならぬ。随の卦のきびきびした動的意義は大きい。

(さい)に返る

政党の領袖(りょうしゅう)に追随者が沢山でき、首尾よく組閣したような場合など、これが適用されるべき切実な例である。即ち時義(じぎ)大なるものがある。この時、首相たる者の皆と一諸になって愉快愉快では談ずるに足りない。夜になったら、さっさと政客の群を去り、(さい)に返ってゆっくりとくつろぎ、有益な書を読むなり、会心の友と食を共にして清話(せいわ)するようでなくてはならぬ。

今までの仕事が(かわ)ることがある。従前通り道を守ってゆけば吉。私党を作らず、正しい人々と弘く交はればよろしい。堂々と大義の為に随うべきである。卑しい結託をすれば、大切な人から見放されるであろう。

この地位は最も私心無く、上下の結びとなるべき所である、故旧(こきゅう)同人(どうじん)(そむ)き易い。志操(しそう)(かわ)らぬことが大切である。

(けん)(よう)の地、道義的に(ちか)う所なくてはならぬ。興亡の理はここに在る。

どこまでも善を育ててゆくことである。

随も極まると()た人心の離散となる。結局は、いかにしてこれを(つな)ぎとめ、結びを強くするかである。連綿として続いて来た自民党も、末に至って、天下解体し、人民離散しようとするのか、新たに人心を(つな)げるかどうか。 

興亡の理、ここに深く省察すべきものがある。