(せい)(めい)造詣(ぞうけい)

学問、修業の始めは、まだ垢抜けない、これを野人(やじん)()という字で表す。
それが暫くすると、こなれてくる。これを(じゅう)という。

一年にして野、二年にして従。そうなりますと次第にゆき詰まらなくなる。進歩する。これを(つう)という。

三年にして通。そして四年にして(ぶつ)、つまり日本語でいうと、(もの)になる。
学問的にいうと物は、法という文字に通ずるのでありまして、野、従、通と順を経て進みますと初めて、きちんと形ができる。

つまり法則が立って一通り人間ができる。そうすると五年にして(らい)。これは新たなインスピレーションー霊感が出てくるということであります。

そうすると、それまでに見られなかった神秘な作用がでるようになる。これを鬼入(きにゅう)と言います。鬼は悪い意味ではなく、神秘的という意味です。

つまり六年にして鬼入、そうすると七年にして天性(てんせい)、つまり人間のくさみ、癖というようなものが抜けて自然の姿が出てくる。

そこで八年にして、死を知らず、生を知らず、つまり死生を超脱する。

そうなると最後に、九年にして大妙(だいみょう)なり。妙は真に通ずということであります。

                 安岡正篤先生の言葉