2月28日 幾歳になっても非を知れ
行年五十にして四十九年の非を知る、
六十にして六十化す。
遽伯玉 淮南子
人間というものは、肉体より以上に精神が沈滞・老衰し易く、年の五十にもなると、大体は消極的に命を知ってあきらめるものなのです。若い時はいろいろ理想を持ち、野心を持っておるが、五十になるとほぼ結論が出て、まあ俺もこの辺だ、ということを知る。処が
遽伯玉は、多くの人間が取り返しのつかぬ結論に到達した年に、四十九の非を知って、今までの一生は間違っておったと覚って、また新たなる意気を以て踏み出すと云うのです。従って六十にして六十化すということは、言い換えれば無限に進化してやまないということに外ならないのであります。 干支新語