安岡正篤先生の言葉に学ぶ D  鳥取木鶏会2月例会 

.道なれば久し

 「道乃(みちの)()」ということも、実に味のある言葉です。人間は(あら)ゆる意味に於て久しくない。案外弱い。人間の頭の働きも案外短い。刹那的な事は分るが、少し永遠的なことは分らない。感情も落ち着いて、いつまでも変わらぬというような感情はなかなか得られない。人情の反芻(はんすう)ほど常ならぬものはない。人間の交際も、生涯変わらぬと言うようなものは無私でなければ得られない。利害の(まじわ)は実に、朝に夕を図ることが出来ない。恋愛も世俗はいかにもはかないものではありませんか。道なれば久しいのは人間に一番嬉しいことです。 
                     (老子と達磨)

人間の頭脳

 人間の頭ほど有難いものはない。これは神の恵みの(ゆたか)なるものの一つであります。人間の頭はどれほど使っても悪くならない。使えば使うほど良くなる。頭を使って頭を悪くしたなどというのは間違いです。それは頭が悪くなったのではなくて、身体のどこかが悪い為にその影響を受けただけのことです。頭そのものは幾ら使っても決して悪くはならない。寧ろ、使えば使うほどよくなるものである。           (人間の生き方)

人生無限

 大体、人間の内容も人生も無限なものです。これが仮に暫くの間こういう夫々の形をとっているに過ぎないのです。真の我々の生命、存在というものは、無限そのものであります。随って、人間の思想とか学問とか言うものの本質も無限です。それを知識というものが必要に応じて、ある限定をするに過ぎないのです。 (講演集)

愛=かなしむ

 日本語で愛をかなしむ(◎◎◎◎)と言うのも嬉しいことです。かなしむと言う事は、人間の情緒の最も尊い働きの一つであります。人間、他人のことをかなしめ(、、、、)るようになるのは、よほど精神が発達しなければならない。人が自分の親・兄弟・子供ばかりでなく、友人のことを、世の中のことを、国の事をかなしむようになってこそ、初めて文明人であり、文明国であります。          (干支新話) 

.不老長生

 人間が腹を立てると血液に一種の毒素を生ずるそうである。喜ぶと言うことは、その意味に於いて反対に毒素を消滅してしまう。だから喜ぶと言う事は人間をして一番不老長生ならしむる所以である。そう言う意味に於いて、農家は一番恵まれておると思う。こせこせした人間を相手にしないから、どうしても歓喜を生ずる事が多い。処が大勢の人ごみの中に入っておると、どうしてもそこに怒り呪い、不快が生ずるから早く老いる筈である。     (この国を思う)

感激

 我々が生活・行動に意味・意義を感ずる事があればある程、我々の心に感激を生ずる。従って、感激を持つことが、その意味・意義を得ることの一番真剣で、情熱的な問題であると云うことが出来ます。その大事な感激を現代の日本人はすっかり失ってしまいました。国家でも、民族でも、勃興する時代は何らかの意味で感激に富むと言うことは、古今の歴史が証明しています。                          (幸田露伴と安岡正篤)

.結婚

 先ず、胎児を大切にしなければならぬ。そこで、どうしても結婚は慎重でなければならぬ。良い胎児を育ててくれる嫁を択ばなければならぬ。そうする事によって初めて、家族・民族・人類の永遠の生活・進歩・文明と言うものがあるわけであります。「胎児は慎重に保育されなければならぬ」のです。    (人間の生き方)

元服十五才の意味

 子供は朝起きの習慣、物事はきちんとする清潔と勤勉の習慣、そう言ったような事は、もう三、四才から心がけ続ければ、これはもう十三、四才位で立派な人間になります。昔は十五才で元服といって大人になり、十二、三才で長男には父親がいろいろの社交にしばしば代理を命じたものです。幼い代理を盛んにさせたものです。これは大変にいい人間としての躾です。そういう事をきちんとやりますならば、これはもう本当に十七、八才になりますと、徳性の面、知能の面に於ても立派な一人前の人格になる。                      (講演集)

子供の能力

 子供は大人が考えているようなものじゃなく、もっと大切な、能力を持ったものである。大体満三才で大人の脳髄の80パーセントが出来ている。六才ごろから推理力が発達して十三才位が最も頭脳が敏活に働き、十七、八才で完成する。だから、四才から始めて十七、八才位の間にみっちりやっておかなければならないし、特性を伸ばすにも同じことだ。この間にしっかりやっていたら吉田松陰や橋本左内ぐらいの人は出ているだろう。        (講演集)

.根本徳

 子供の徳性のもっとも本質的・根源的なものは、第一に暗い・明るいということ。人間が光を愛する。これは宇宙開闢(かいびゃく)・天地創造と共に生じたものです。我々は先ず光明を愛します。明るいと同時に清いと言うこと、さやかと言うこと。(ほが)らかであること、清く明るき心、さやけき心。これは古神道の根本原理で、人間の子供も、これを根本徳とします。               (青年の大成)

階前の梧葉已に秋声

 昔から有名な朱子の詩に「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んず可からず。未だ醒めず池塘(ちとう)春草(しゅんそう)の夢,階前(かいぜん)()(よう)(すで)秋声(しゅうせい)」と言うのがありますが、本当に人間は油断のならぬもので、我々は大いに健康と同時に、この仕事というものに感激を持って自己の人生を出来るだけ有意義にしていかなければならないのであります。                                  (心に響く言葉)

純な精神の人ほど

 子供と同じように青年は純真な心を持っている。何か高きもの、尊きもの、偉大なものに憧れる。宗教を欲し、哲学を欲し、道徳を欲するのであります。これ理想であります。ただ飯を食って、月給をもらって、何やら(うごめ)いているというだけでは、どうしても承知が出来ない。純な人ほど、立派な精神の人ほど、何かしら尊いものを求めるのであります。現状に(あきた)らぬのは子供が空腹なのと同じことである。 (人物・学問)

.進歩と理想

 我々は心に就いて特にその造化して止まぬ(はたらき)きを意思と謂うが、意思は常に?(ものた)りないものである。その(ものた)りなさが将に実現せんとする自己を投影する処に理想がある。理想は実現せられるに従って現実となる。勿論、(あきた)りなさは無限であるから理想も無限でなければならぬ。故に人は純真なほど理想家である。理想の無いところに進歩は無い。         (東洋倫理概論) 

            (ものた)りない   あきたりる【飽き足りる・飽足りる・慊りる】