鳥取木鶏会2月例会 

人物の第一要素 元気と客気 

「元」という字は、宇宙的な意味においては大きいとか普遍的という意味です。そこから空間的にはもと(○○)、時間的にははじめ(○○○)と言う意味になります。一切のもと(○○)なりはじめ(○○○)となると大いなるもの、それが元です。

「気」はエネルギーであり、クリエイトする力、即ち創造力であります。従って元気は一切の造化の本質・根元でありますから、元気があるかないかが人間、人物の一番基本的な要素ということになります。

 

処が元気は往々にして「客気」と混同されます。客気というのは、ちょっと見たところは結構元気そうに見えるが、すぐ挫折する、続かない。お客のように今来ていたと思ったら直ぐいなくなると言う意味で客気と言うのです。

これに対して元気は途中でぺしゃんこになったりしない、何事があっても常に溌剌として変わらぬ創造力・活動力を持続する。そこが元気と客気との違いです。 

礼儀と文化

 文化という語は、近代人によって大いに汚された。文化人と言えば今は恥なき軽薄(けいはく)才子(さいし)を偲ばしめる。しかし真の文化には、礼が有らねばならぬ。文化の人は礼の人でなければならないのである。礼は小にして人々の面目肢体を正し、大にしては()(こく)天下(てんか)の生活を整える。敬、義、立ってここにまた礼の美しさを観ることができる。      (儒教と老荘)  

西洋文化と東洋文化の違い

 西洋文化は明らかに外向性を帯びております。即ち物質的であります。理知的で、才能本意で、功利的であります。どちらかと言えば男性的であります。難しい言葉で申しますと(けん)(とく)(常に前進しようとする精神)文明であります。東洋文化は遥かに内面的、精神的なる特徴を持ち、理知的よりは情意的であります。功利的よりも趣味的であり、才能的よりは(とく)(そう)的であります。男性的よりは女性的です。(こん)(とく)(大地が万物を生育する力)文明であります。 

順境が危い

 人間というものは逆境よりも順境、禍よりも幸に弱いものであります。持たざるよりも持った方が、病弱よりも健康のほうが寧ろ注意しなければならない。人間は得意・成功の方が失意・不遇よりは危い。素朴よりも文明の方が危い。これは人間の通則であり、また人間の微妙なところであります。   活学第三編 

体は充実して虚、心は虚にして実体は実にして虚、心は虚にして実、中孚(ちゅうふ)(しょう)即ち()れなり。 

岫雲斎

身体は実体があるが、これを忘れて虚にする。心は見えなくて虚であるが活動の本源であり実体である。易経の中孚の象がこの理屈を示している。 

本当に今日の文明とその都市、民衆の運命について深く考えさせられます。そうしてこうなると、慌しい変化にとらわれて、愈々不安がつのり、ともすれば憂鬱で極端な文明観、社会観、人間観に陥りがちであります。

然しも世の中が複雑・煩雑になればなるほど、この講座の最初に申しあげた「思考の三原則」、即ち第一に、目先にとにわれないで出来るだけ長い目で見る。第二に、物事の一面にしらわれないで、多面的、全面的に考察する。第三に,枝葉末節にとらわれないで根本的に見る?に返って勉強すれば、別に驚くような新しいことではないと云うことが分ります。

そして大昔から幾多の先覚者達が既に考え抜き論じ尽していることで、いわば今日はその註釈、実証に過ぎないと考えることもできます。大切なことは思考の三原則の三番目にもありますように、「枝葉末節にとらわれず根本に反る」ことであります。スペインのオルテガも「根元への復帰」ということを唱導しておりますが、その通りでありまして、そうでなければ我々は救われません。そういう意味で今日のような世の中に処するほど、歴史の中に我々が持っているところの神道、儒教、仏教、道教といった先哲の学問・宗教の尊さ在り難さを感ずるのであります。