平成312月例会 安岡正篤先生の言葉 徳永圀典選

家庭

 昔は尊敬しあった夫婦同士で互いに子をとり易えて教えたものだ。それが今日わが子は学校へ入れるということになったわけです。然し、それだからとて、家庭で親は子を教えられるものではない。教えてはならないというのではありません。理屈っぽくなったり厳しすぎてはいけないというのであって、佳く躾け、良い習慣をつけ、愛情の小世界の中で、家族や親戚や隣人、客人に交わって、好ましい社会的訓練を受けさせる意味の教育は絶対に必要です。それには父母がそのお手本を示さねばなりません。父の卑俗や朝寝・夜更かし・母の怠惰不潔、夫婦の喧嘩口論、他人の陰口などの悪習があっては子供の良くなるわけはありません。 

           日本の父母

 

家庭

 家庭というものは全く人間生活の基礎であり民族興亡の依拠でありますから、これを出きるだけ正しく、美しく、力強くしてゆかねばなりません。その為には、なるべく家族水入らずの気安さ、小じんまりとした手入れの届く住宅、決して贅沢でない衣食、静かで考える余裕のある生活、濫りにならぬ社交が必要であります。家庭を失いますと、人は群衆の中にさまよはねばなりません。群衆の世界は、乱雑、喧騒であり、憎悪・恐怖・革命・破壊の横行する非人間的世界です。之に反して良い家庭ほど人を落ち着かせ、人を救うものはありません。               日本の父母に

 

山紫水明の日本

 学べば人間万事神秘にならざるはない。朝起きて、水で顔を洗うとき、ふっと気がついて、しみじみ水を見つめることがある。我々の身体の重量の50%から80%は体液であり、この中にわれわれが生きてゆくのに必要な水分や塩分を含有して、微妙な化学反応や新陳代謝を営み、水分がもし体重の15%相当減れば、哺乳動物はもう生きてゆけない。鳥類のようにどちらかと言うと水には縁遠い動物ほど水分を大切にし、その排尿など非常に濃縮したものであるという。山紫水明の日本は何と言う有り難い国かと思う。

                        天地有情