感情と心

私は、心に関して色々と思索して長く、それなりの独創的な所論もまとめている。その心に関する思索の過程と結論は省略するが、近年、ふと気づいた心に関する思念をご紹介する。

人間は生体を持つ、その生体=動物としての人間を構成するものは二つあると観る、感情と心である。まず、感情、どうやら感情とは「人間の生体維持機能」なのであろうと結論づけている。例えば、動物には心はなく生体維持機能である感情のみであろう。強いて言えば動物には子供を保育する期間のみ本能的に子供に対して「心」らしいものを認める。社会を構成する成人した人間は、この感情と心のバランスで成立している。感情は生体維持の為に常に生体に忠実に働く、人間の生体維持に不可欠なものであり、極めて生体本位であり、死ぬまで完璧に備わっている。

人間の生体維持の、もう一つの柱である「心」は「理性」に近く、人間を万物の霊長たらしめた進化した要素である。人間の心の中には、価値意識というもの、理性とか情操と言うものが育つ。観察していると、心が純粋で害われていない程、絶対者、神とか・偉大なるもの・尊き者に憧憬し、帰依し、これを信奉しようとするように思える。人間の赤ん坊の心は未発達で100%感情のみ備わって生体を忠実に維持する。赤ん坊は次第に人間らしく「心」が進化し成熟して行く。ここが動物と決定的に異なる。成人とは、理性の「心」が感情を支配すると云うこととも言える。逆に言えば、加齢しても理性の心が未発達であれば動物に近いこととなる。人間のみ持つこの「理性の心」の耕作・進化こそ最も必要なのが他の動物と異なる人間である。

            徳永圀典 87才 無職