日本の神様に関して   文責 徳永圀典

天照大神というのは、日本人の原点であり、それは間違いなく「記紀」に基づいている。日本人の拠り所である。

だが、戦後、タブーが解禁されて色々と研究されている。

知識人であり、日本人の原点である天皇と天照大神の信仰の揺ぎ無い方に、一応の話題としてお話しておきます。

反日の理論中枢として逆用されない方にと老婆心ながら思うのであります。

 

日本の古代史研究家、溝口睦子氏によると、

「皇祖神は、もともとタカヒムスヒであったが、天武天皇がアマテラスに転換させた」との説があり実証を試みています。

書籍は「王権神話の二重構造」7000円の本があります。

古事記は(たか)御産(みむ)()(びの)(かみ)、日本書紀では高皇産霊神。天孫降臨は高木(たかぎの)(かみ)で登場。神社の祭神としては高皇産(たかみむす)(びの)(みこと)

本来は高木が神格化されたもの。(むす)()は生産・生成を意味する、神皇産霊神とともに「創造」を神格化した神。女神的要素を持つ神皇産霊神と対になって男女の「むすび」を象徴する神。

『古事記』によれば、天地開闢の時、最初に(あめの)御中主(みなかぬしの)(かみ)が現れ、その次に神皇産(かみむす)霊神(びのかみ)と共に高天原に出現したとされるのが高皇産霊神という神。天御中主神・神皇産霊神・高皇産霊神は、共に造化の三神、いずれも性別のない神、かつ、人間界から姿を隠している「(ひとり)(がみ)とされている。この造化三神のうち、神皇産霊神・高皇産霊神は、その活動が皇室、朝廷に直接的に大いに関係していると考えられたため、神祇官八神として八神殿で祀られた。

高皇産霊神は、『日本書紀』では、天地初発条一書第四に「又曰く〜」という形式で登場しているに過ぎない神であり、その他では巻十五の「顕宗紀」で阿閇(あべの)臣事代(おみことしろ)が任那に派遣され壱岐対馬に立ち寄った際に名前が登場する程度。 また、延喜式、祝詞、出雲国神賀詞には、「神王高御魂命」とされている。

もともと、土着の王権の神話であったタカヒムスヒ系神話体系。

弥生以来のイザナギ・イザナミ系の海洋的、多神教的な神話体系とは、オオクニヌシが国譲りする神話で接合されて、一続きの神話になったという。

国譲り神話は、決してこの二つの系統の神話の蝶番として朝廷により机上で創作されたわけではなく、

古代の複雑な史実の反映でもあり、多くの史家が解明に取り組んできているのであります。

結論を申します、

天武天皇は「古事記」により、きめ細かな配慮を隅々にまで加えながら、実に巧みに、この二つの系統の神話の、融合と合体を図ったと思われておるのであります。

そして、当時の出雲国造神賀詞奏上は、その配慮が見事に奏功して、後世、否、21世紀の出雲国造の天皇との謁見の話のように、見事に生命力を保っていると言えるのであります。

天武天皇は、律令制を創った一方で、このように王権神話を見事に紡いでいたのであります。影の主役は藤原不比等であると私は思っております。この律令国家は明治はもとより現代日本の国家の骨格となっているのですから、凄い大構想であります。

面白いことに、天武3年、674年には、土着の神の物部氏の氏神である天理市石上(いそのかみ)神宮に息子の皇子・忍壁(くさかべの)皇子(みこ)を派遣して、各地から召し上げられ宝庫に保管されていた剣などを丁重に油で磨いて元の持ち主の家々に返還したと、これは「日本書紀」に記録されているのであります。いい加減な話ではないのであります。

天武天皇の、硬軟巧みな政略家ぶりが見られるのであります。

ここで、1月にお渡しした、出雲国造神賀詞が生きてくるのでありますが、この天武時代からあった出雲国造神賀詞には、実はアマテラスは全く登場していないのです。タカヒムスヒは「高天(たかま)(かむみ)(おや)高御魂(たかみむすび)(みこと)」と称され、この神による「天つ国平定」が明白に記されているのであります。

――()タカミムスヒは創世神話の冒頭に、イザナギ・イザナミ神話に接続する形で別天神として登場している。降臨神話部分では、アマテラス、タカミムスヒの二神が、共に天上界の主神として並び立ち、異口同音に天孫に命令を下す形になっている。()実にきめ細かな配慮を隅々にまで加え、工夫をこらして巧みに「二系統」の融合合体を図っている。−

また、例えば、民族学者の松前健は、三種の神器の草薙の剣について、

「出雲のスサノオの献上したものであると語ることにより大和朝廷の出雲支配を、神話的に基礎づけた」と見ているのであります。(出雲神話)

出雲国造家の神宝を物部氏の一族が朝廷から派遣されて召し上げる。(書記)

崇神記や古事記のヤマトタケルの出雲建退治の話などから、

「朝廷では地方の土豪の神器を取り上げる事によって、その神権の失墜を図ったわけであり、召し上げた神器を物部氏に管理させた」と推測している。

古事記はこの二つの系統の神々を、複雑な方法で統合、合体して、一体的な神話を作り上げているのであります。

その過程で、日本の神様の称号が、複雑で多彩な名前となっているのではないか。だから、神社の祭神の名前が同じ神様でも色々無数にあり、真相が複雑怪奇となっている。ここを、小椋一葉という人が、各地の神社の伝承を元に祭神の真の実態に迫り、日本の本当の開拓者・功労者はスサノオと息子ニギハヤヒであると推論を立てたのであります。

文化的ショックの友人の話

神名表 一例

スサノオの別名 

神祖(かむろぎ)熊野(くまの)大神(おおかみ)(くし)御気(みけ)()(みこと)、八大龍王、天王、ヤツルギ、ヤチホコ、ホムスビ、カグツチ、オオワタツミ、オオヤマツチ、カミムスビ、シラヒワケ、ハヤタマオ、フツシミタマ、イカズチ、タカオカミ。

ニギハヤヒノ別名

(あま)(てる)(くに)照彦(てるひこ)天火明櫛玉饒速(あめのほあかりくしたまにぎはや)(ひの)(みこと)、オオモノヌシ、カナヤマヒコ、ヤマトオオクニタマ、オオトシ、クニノサツチ、クニノトコタチ、アメノミナカヌシ、トヨヒワケ、ヒトサカオ、フルミタマ、ワケイカズチ、クラオカミ。

アマテラスの別名

(つき)(さか)()厳御魂天疎向津比売(いつのみたまあまさかむかつひめの)(みこと)、セオリツヒメ、ククリヒメ、シラヤマヒメ、オオヒルメ。