衛生的間隔と言おう

コロナ対策は国民的義務と言える。初動対策が対中国配慮で遅延したが、
国民に対する啓発指導に於いても私はミスがあったと思っている。

人と人の接触がウイルス感染の最大の要素である。日本人の生活行動様式は
極めて衛生的で爆発的感染を抑え込むものがあった。

だが、当初、聞きなれぬ英語のクラスターという言葉が盛んに政府やメディア
が言い出した。私の如き若い時に英語の中で働いてきた者でも、一度頭の中で
翻訳しなければ呑み込めないものであった。
まして多くの日本人は肌感覚で、ピンと納得し即戦的に対応するには無理があった。

当初の意識面で間違いなく個人的対応の遅延があったろう。
なぜ、「小規模集団感染」と分かり易く言わなかったのか。極めて不思議であった。

また、米国系喫茶店ならともかく、悉く広くソーシャル・ディスタンスという。

ここは日本だ!と叫びたい思いである。私は周囲には、これを「衛生的間隔」と
叫んでいた。メディアも、見識ある専門家もなぜ気が付かぬのか、ここは日本である、

英語を使う必要は毛頭無い。パンデミックは「大爆発的感染」で良かろう。

ロックダウンは「都市封鎖」、オーバーシュートは「感染爆発」。

まだある、ウイズコロナ、アフタアコロナ、実に不可解な日本のメディアであり、
政府指導者の感覚である。病院の専門用語だとしても、国民は医師ではない、まるで英語圏の属国みたいである。

豊かな表現力は世界最高の日本語に自信を持て!為政者よ、大メディアよ!

ここは日本じゃ。
徳永圀典