戦後の道徳的退廃

近年の日本人は戦前に比して極めて不徳になっている。老若男女を問わず、正義感も責任感も、道徳心も世の中に見えない。エコノミックアニマルと言われだした1970年代から兆しがあった。年々悪化して今日がある。
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年代に入ると、世相は全く地に落ち、道義は大きく消失した。テレビを初め小手先の欲望を刺激する情報ばかり、政治家・タレント初め無責任の言動が氾濫、誇張と扇動と欺瞞が充満する末期的日本となった。
 

日本の社会は滔々として軽佻浮薄になり、人々は贅沢に慣れ華美を競う。質実の風は地を払い、剛健の気風はさらに微塵もなし。自分の生まれた国の国歌や国旗を尊ばない世界でも稀な侮蔑すべき国となった。 

親が子を平気で殺し、また子も親や兄弟を殺傷し平然としている。他人の迷惑など知らぬ顔の社会となった。 

なんのかんばせあって父祖の霊にまみゆるを得んや。 

仕方が無いでは再生不能

要するに良き日本人は死んでしまった。 

古来、礼儀に厚い日本人が、無責任、無作法な人種となり、和を以て貴しとした大和民族が、今や互いに自我を剥き出しにして、日本列島が私利私欲の万人闘争の修羅場となっている。

ユダヤ人のトーマス・M・トケーヤー氏は「日本人は死んだ。日本人お得意の「仕方が無い」の哲学では蘇生できない」という。本人がぼんやりしていて、自覚なく、金権主義に陥ったからだ。 

戦後の民主主義のイデオロギーが、自由、平等、博愛を標榜する進歩的と言われる思想だと、その欺瞞と虚妄に気がつかないまま社会主義イデオロギーに遭遇してしまつたからだ。 

日本社会の劣化真因

日本社会の劣化は1980年代以降特に深刻である。青少年の凶悪犯罪、親の子殺しの増加、国民の大きな信頼を得ていた警察、官僚、政治家、正義の味方の法曹の不祥事多発は年々激増している。 

価値観の相対性、多様化を前提にしている民主主義で個人を守る、それは価値観の普遍性、絶対主義的価値観の否定を意味する。 

そのような社会では常に新しいものが社会で持て囃される。伝統的価値観の美徳が影薄くなる。 

その結果、社会的混乱を招き社会がアナーキーとなる。それが現代日本の姿である。

平成19年2月8日 徳永日本学研究所 代表 徳永圀典