29日  松陰

 松陰の生涯の艱難(かんなん)流離(りゅうり)()(きた)って、其の間の学問文章に注意すれば、我々は殆ど彼が()むことを知らぬ熱心に感嘆せざるを得ない。九州漫遊の旅に、東北亡命の間に、或いは又獄屋(ごくや)(うち)に、彼は寸陰を惜しんでかつ読みかつ(したた)めた。しかも其の始終を通じて小児の如き純心が躍動して居る。

その他書簡文章随処に、自ら書を楽しむのあまり、溢れて之を他に分たんとする熱情に触れることが出来る。彼の如くにして初めて読書は精神の(かて)である。かの職業の為-社交の為-好奇の為の読書は卑しむべきかな。           日本精神の研究