「恥を忘れた現代人」 徳永圀典

日本海新聞寄稿 平成2819日

 

 新聞やテレビでよく見かける、大企業社長、警察幹部、大学学長、病院長らが「申しわけございません、ご迷惑をおかけしました」と平身低頭して詫びる姿、自分の部下従業員の犯罪・事故による問題発覚の時である。建設地盤の杭打ち、警察官の犯罪、大学教授の試験問題漏洩、患者を間違えた手術等々近年珍しくなく多発している犯罪の一例である。

メディアの謝罪会見で誰もが申しわけございませんのみで、誰一人「犯罪者を当社から出してしまい責任者として誠にお恥ずかしい」の詫びをしない。私には到底考えられぬ責任者・トップの謝罪会見である。このような認識では、絶対に改善しないのは明白である。

何故か、トップが恥じる心を持たぬからである。恥の自覚の無い謝罪は自ら反省し精進することにつながらない。自ら恥じない限り、自ら省みることがなく精進もしない。それは恰も動物と同様である。恥じる心を起こす事が犯罪や事故防止の為の根本的なポイントとなる。組織を良くするには、一人一人がルールを厳守することにあるが、それには各自が「内なる道徳律」を持たねば組織全体は絶対に良くならぬ。社会や組織を良くするには各自が内なる規律を遵守する教育や気風を育てなくてはならぬ。組織がそれを徹底しなかったから犯罪が起きたのだ、トップはそれに対し誠に恥ずかしいの認識をしなくてはならない。人間と動物との違いもつきつめると「恥を知ると知らぬ」とに帰する。人を罵る一番の言葉は「恥知らず」である。かかる意味で、事故防止の為、或いは人間の進歩向上には「知恥」から出発しなくてはいけないと思うのであります。 徳永圀典 84

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