十三、「子路 第十三」
平成29年1月度
原文 | 読み | 現代語訳 | |
元旦 | 一、 子路問政、子曰、先之労之、請益、曰、無倦、 |
子路、政を問う。 子曰く、 これに先んじこれを労す。益さんことを請う。曰く、倦むこと無かれ。 |
子路が政治について質問した。 先生が答えられた、 「人民の先頭に立ってやることだ」。子路は更に助言を求めた。 先生は言われた、 「たゆまず続けることだ」。 |
2日 | 二、 仲弓為季氏宰、問政、子曰、先有司、赦小過、挙賢才、曰、焉知賢才而挙之、曰、挙爾所知、爾所不知、人其舎諸、 |
仲弓、季氏の宰と為り、政を問う。 子曰く、 有司を先にし、小過を赦し、賢才を挙げよ。曰く、焉んぞ賢才を知りてこれを挙げん。曰く、爾の知れるところを挙げよ。爾の知らざるところは、人それ諸(これ)をおかんや。 |
仲弓が季氏の執事になったので、孔子に政治について質問した。 |
3日 | 三、 子路曰、衛君待子而為政、子将奚先、 |
子路曰く、衛君、子を待ちて政を為さば、子将に奚(なに)をか先にせんとする。 子曰く、 必ずや名を正さんか。子路曰く、是有るかな、子の迂なるや。奚(なん)ぞ其れ正さん。子曰く、野なるかな由や。君子は其の知らざる所に於いては、蓋し闕如(けつじょ)たり。名正しからざれば則ち言順ならず、言順ならざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち礼楽興らず、礼楽興らざれば則ち刑罰中たらず、刑罰中たらざれば則ち民手足を措く所なし。故に君子はこれを名づくれば必ず言うべし。これを言えば必ず行うべし。君子、其の言に於いて苟くもする所なきのみ。 |
子路が言った。衛の君主が、先生をお呼びして政治を任されたとすると、先生はまず何を先にされますか。 |
4日 | 四、 樊遅請学稼、子曰、吾不如老農、 |
樊遅、稼を学ばんことを請う。子曰く、 吾はは老農に如かず。圃をつくるを学ばんと請う。子曰く、吾は老圃に如かず。樊遅出ず。 子曰く、 小人なるかな樊須(はんす)や。上、礼を好めば、則ち民は敢えて敬せざる莫し。上義を好めば、則ち民は敢えて服せざる莫し。上、信を好めば、則ち民は敢えて情を用いざる莫し。それ是くの如くくんば、則ち四方の民は其の子を襁負(きょうふ)して至らん。焉んぞ稼を用いん。 |
樊遅が穀物栽培について学びたいとお願いした。 先生は言われた。 「私は穀物栽培の専従者には及ばない」。樊遅が野菜栽培について学びたいとお願いした。 先生は言われた。 「私は野菜栽培の専門家には及ばない」。樊遅が出てから先生が言われた。「樊須という人物は徳の少ない小人である。為政者が礼を好めば、人民は彼を尊敬しないものはなく、為政者が正義を志向すれば、人民で彼に服従しないものはない。為政者が誠実を重視すれば、人民は誠実でないものがいなくなる。そうなると、四方の人民が自分の子を背負って、その為政者のところに集まってくる。どうして、自分自身で農業をする必要があるのだろうか(君子は本業である政治に専心すべき)。 |
5日 | 五、子曰、誦詩三百、授之以政不達、 |
子曰く、 詩をを誦すること三百、これに授くるに政を以てして達せず、四方に使いして専対する能わざれば、多しと雖も亦、奚(なに)を以て為さんや。 |
先生が言われた、 「詩経三百篇を暗唱しても、政治の任務をうまくこなすことができず、外国に使節として派遣されてもその役目をうまく果たすことが出来なければ、いくら詩を多く暗唱していても何にもならない」。 |
6日 | 六、 子曰、其身正、不令而行、其身不正 |
子曰く、 その身正しければ、令せずとも行わる。その身正しからざれば、令すと雖も従わず。 |
先生が言われた、 「為政者の行いが正しければ、命令を出さなくても実行される。しかし、為政者の行いが正しくなければ、命令しても人民は従わない」。 |
7日 | 七、 子曰、魯衛之政兄弟也、 |
子曰く、 |
先生が言われた、 |
8日 | 八、 子謂衛公子荊、善居室、始有曰苟合矣、 |
子、衛の公子荊を謂う、善く室を居る。始めて有るに |
先生が、衛国の王族の公子荊について言われた。 「家計の切り盛り上手だ。はじめて財産ができたときには、「やっと足りる」と言い、少し財産が貯まると「十分」と言った。大きな財産ができたときは、「なんとかこれで良いだろう」と言った」。 |
9日 | 九、 子適衛、冉有僕、子曰、庶矣哉、冉有曰、 |
子、衛にゆく。冉有僕たり。 子曰く、 庶き(おおき) 曰く、 これを富まさん。曰わく、既に富めばまた何をか加えん。 曰わく、 これを教えん。 |
先生が衛に行かれた時に、御者の冉有に先生が言われた。「衛の首都は人の数が多いな」。冉有が質問した。すでに人は多いようですが、あと衛に何を加えましょうか。 |
10日 | 十、 子曰、苟有用我者、期月而已可也、三年 |
子曰く、 |
先生が言われた、 「もし私を採用してくれる君主がいれば、一年で政治の実績を出せる。三年の時間を貰えれば十分な成果を出せる」。 |
11日 |
十一、 |
子曰く、 善人邦を為むること百年ならば、亦以て残に勝ち殺を去るべし。誠なるかな是の言。 |
先生が言われた、 「普通の善人でも百年間国を治めれば、無法者を押さえ込んで死刑を廃止することができるとい。その通りだ、この言葉は」。 |
12日 |
十二、 |
子曰く、 もし王者有らば、必ず世にしてしかる後に仁ならん。 |
先生が言われた、 「もし天命を拝受した王者が現れれば、一世代の後に必ず仁に基づく世界が実現するだろう」。 |
13日 |
十三、 |
子曰く、 苟しくもその身を正しくせば、政に従うに於いて何か有らん。その身を正しくすること能わずして、人を正すを如何せん。 |
先生は言われた、 「自分自身が正しくしておれば、政治を行うことに何の問題はない。自分の行動を正しく出来ないならば、他人を正しい方向に導くことなどがどうしてできるだろうか。 |
14日 |
十四、 |
冉子(ぜんし)、朝より退く。子曰く、 |
冉先生が朝廷から退出してきた。 先生が言われた、 「どうしてこんなに遅いのだ」。冉は答えた、政務があったからです。 先生が言われた、 「前に言っているのは国家の政治ではない、直接仕えている重臣の季氏の政務だ。もし重要な政治問題ならば私は聞いているはずだ」 |
15日 | 十五、 定公問、一言而可以興邦有諸、孔子対曰、言不可以若是、其幾也、人之言曰、為君難、為臣不易、如知為君之難也、不幾乎一言而興邦乎、曰、一言而可喪邦有諸、孔子対曰、言不可以若是、其幾也、人之言曰、予無楽乎為君、唯其言而楽莫予違也、如其善而莫之違也、不亦善乎、如不善而莫之違也、不幾乎一言而喪邦乎、 |
定公問う、一言にして以て邦を興すべきものありや。 |
魯の定公がお尋ねになった。『わずか一言で、国を隆盛させるようなものはないだろうか。』。 |
16日 |
十六、 |
葉公、政を問う。 子曰く、 近き者説び、遠き者来たる 。 |
葉の君主が政治について聞いた。 先生は答えられた。 「近所の者が喜んで集まり、それを聞いて遠来の者もやってくる、これが政治です」。 |
17日 |
十七、 |
子夏、呂父(きょほ)の宰と為り、政を問う。子曰く、 速やかにならんことを欲する毋かれ。小利を見ること毋かれ。速やかならんと欲すれば則ち達せず、小利を見れば則ち大事成らず。 |
呂父の長となった子夏が政治について質問した。 先生はお答えになられた。 「急ぎすぎてはいけない。小さい目先の成功にとらわれるな、焦せれば目的を達成できず、小さな利益にとらわれると大きな事は実現できぬ」。 |
18日 |
十八、 |
葉公(しょうこう)、孔子に語りて曰く、吾が党に直なる者これあり。その父、羊をぬすみて、子これを証せり。 孔子曰く、 吾が党の直なる者は是れに異なり。父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直はその中に在り。 |
葉の君主が孔子に自信満々に語って言った。『私の治める郷土に、正直者の躬がいる。躬の父が羊を盗んだとき、躬は正直に盗みの証人になった。 孔子は言われた、 「私の郷土の正直者はそれとは違います。父は子のために罪を隠し、子は父のために罪を隠す。本当の正直さはそういった親子の忠孝の間にこそある」。 |
19日 | 十九、 樊遅問仁、子曰、居処恭、執事敬、与人忠、雖之夷狄、不可棄也、 |
樊遅、仁を問う。 子曰く、 処おりては恭、事を執りて敬、人に与しては忠、夷狄にゆくと雖も、棄つべからざるなり。 |
樊遅が仁について質問した。先生は言われた。 「挙措振る舞いはへりくだり、仕事をする時には慎重、他人と関わるときには忠実であれば、野蛮な異国に行っても無視されることはないだろう」。 |
20日 |
二十、 |
子貢問いて曰わく、何如ぞ、すなわちこれを士と謂うべき。 子曰く、 己れを行うに恥ずるあり、四方に使いして君命を辱しめず、士と謂うべし。曰く、敢えてその次を問う。 曰く、 宗族は孝を称し、郷党は弟を称す。曰く、敢えてその次を問う。 曰く、 言えば必ず信、行えば必ず果、コウコウ然として小人なるかな。抑も亦以て次と為すべし。 曰く、 今の政に従う者は何如。子曰く、噫、斗肖(としょう)の人、何ぞ算うるに足らん。 |
子貢がお尋ねした。どのような人物でならば士というか。先生がお答えになった。 「行動する時に恥の気持ちを持ち、外国への使節として君主の威厳を辱めることがない、これは士だろう」。子貢がお尋ねした。さらなる士の条件について教えて下さい。 先生、「親族から孝行者と呼ばれ、郷土の人々から年長者を敬うと賞されることだ」。子貢はさらに聞き、まだ士といえる条件は。 先生は答えられた。 「言葉に真実があり、行動は果敢で迷いがない。がちがちの小人ではあるが士といえる」。子貢が言った。今の為政者はどうでしょうか。 先生は言われた、 「ああ、器量の小さな小人ばかりで、数え上げる必要もない」。 |
21日 |
二十一、 |
子曰く、 中行を得てこれに与せずんば、必ずや狂狷か。狂者は進んで取り、狷者は為さざるところあり。 |
先生が言われた。 「中庸の徳を持った知己を得ることができない場合には、やむを得ずに狂者か狷者を友人にするか」。情熱的な狂者は積極的に行動するが、偏屈な狷者は他者に妥協できないところがある。 |
22日 |
二十二、 |
子曰く、 南人言える有り。曰く、人にして恒なくんば、以て巫医(ふい)をなすべからず。善いかな。その徳を恒にせざれば、常にこれに羞を承くるのみ。子曰く、占わざるのみ。 |
先生が言われた。 「南方の人間が、「恒心の安定した状態がない人は、巫女や医師になれない」と言っていた。これは良い言葉である。「その徳をいつも持っていなければ、恥辱を受けることがある」という言葉があるではないか」。 先生がおっしゃった。 「恒心なき者には未来は占えない」 |
23日 |
二十三、 |
子曰く、 君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。 |
先生がおっしゃった。 「有徳の君子は和合するが付和雷同しない。小人は付和雷同をするが和合しない。」 |
24日 |
二十四、 |
子貢問いて曰く、郷人皆これを好めば何如、 子曰く、 未だ可ならざるなり。郷人皆これを悪めば何如。 子曰く、 未だ可ならざるなり。郷人の善者これを好み、その善者これを悪むに如かず。 |
子貢が質問して言った。郷里の人が褒める人物ならどうでしょうか。 先生が言われた。 「まだ十分ではない」。子貢が言った。郷里の人が嫌う人物ならどうでしょうか。 先生が言われた、 「まだ十分ではない。郷里の人の中で、善人に好かれ、悪人に嫌われるのが一番である」 |
25日 |
二十五、 |
子曰く、 |
先生がおっしゃった。 「君子にお仕えするのは簡単だが、君子の心を喜ばせることは難しい。それは、正しい道に従って喜ばせなければ喜んでくれないからだ。君子が人を使役する場合には、器のように役割を果たしさえすれば良いと考える。小人に仕えるのは難しいが、喜ばせるのは簡単である。小人は正しい道に従っていなくても、ご機嫌とりをすれば喜ぶからである」。 |
26日 |
二十六、 |
子曰く、 |
先生は言われた。 「君子は泰然としているが驕慢ではない、小人は威張ってはいるがゆったりとしていない」。 |
27日 |
二十七、 |
子曰く、剛毅朴訥、仁に近し。 |
先生が言われた。 |
28日 |
二十八、 |
子路問いて曰く、何如なるをかこれこれを士と謂うべき。 子曰く、切切偲偲怡怡如(せつせつししいいじょ)たるは士と謂うべし。朋友には切切偲偲、兄弟には怡怡如たれ。 |
子路がお尋ねした。どのような人物を士というべきでしょうか。 先生はお答えになられた、 「親切に励まして、和やかに支援するような人が士である。朋友には、しっかりとした励ましをして、兄弟には、和やかな触れ合いをしなければならない」。 |
29日 |
二十九、 |
子曰く、 |
先生が言われた。 「善人が七年間にわたって人民を教育したら、人民を優れた兵士として戦いにつかせることができる」。 |
30日 |
三十、 |
子曰く |
先生が言われた。 「教育していない国民を戦わせる、これは国民を捨て去るということと同じだ」。 |