十三、「()() 第十三」

平成29年1月度

原文 読み 現代語訳
元旦 一、
()()(まつりごと)(をとう)子曰(しのたまわく)先之労之(これんさきんじこれにろうす)(まさんこ)(とをこう)(いわく)無倦(うむことなかれ)
子路、政を問う。
子曰く、
これに先んじこれを労す。益さんことを請う。曰く、倦むこと無かれ。
子路が政治について質問した。
先生が答えられた、
「人民の先頭に立ってやることだ」。子路は更に助言を求めた。
先生は言われた、
「たゆまず続けることだ」。
2日 二、
(ちゅう)(きし)()()(いと)(なり)(まつりごと)(をとう)子曰(しのたまわく)先有司(ゆうしをさきにし)赦小過(しょうかをゆるし)(けん)賢才(さいをあげよ)(いわく)焉知賢才而挙之(いずくんぞけんさいをしりてこれをあげん)(いわく)(なん)爾所(じのしるとこ)(をあげよ)爾所(なんじのしら)不知(ざるところは)(ひと)其舎(それこれを)(おかんや)
仲弓、季氏の宰と為り、政を問う。
子曰く、
有司を先にし、小過を赦し、賢才を挙げよ。曰く、焉んぞ賢才を知りてこれを挙げん。曰く、爾の知れるところを挙げよ。爾の知らざるところは、人それ諸(これ)をおかんや。

仲弓が季氏の執事になったので、孔子に政治について質問した。
先生が言われた。
『低い地位の役職(有司)をまっさきにこなし、過去の小さな間違いを許し、優秀な才能を持つ人物を取り立てなさい。』。仲弓が言った。『どのようにして賢才を見つけ、取り立てたら良いのでしょうか。
先生が言われた。
『お前が知っている優秀な人物を取り立てれば良い、お前の知らない優秀な人物がいたとしても、他の人がそれを放ってはおかないだろう。

3日 三、
子路曰(しろいわく)衛君待子而(えいくんしをまちてまつりご)為政(とをなさば)(まさに)将奚先(なにおかさきにせんとする)子曰(しのたまわく)必也正名乎(かならずやなをたださんか)子路曰(しろいわく)(これ)(ある)(かな)子之迂也(しのうなるや)(いずく)(んぞそ)(れたださん)子曰(しのたまわく)野哉由也(やなるかなゆうや)君子於(くんしはその)其所(しらざるとこ)不知(ろにおいては)蓋闕如也(けだしけつじょたり)(なただし)不正則(からざれば)(すなわち)不順(げんじゅんならず)(げんじ)不順則事(ゅんならざればすなわち)不成(ことならず)(ことな)不成則(らざればすな)(わちれい)(がく)不興(おこらず)(れいが)(くおこ)不興則(らざればすなわち)刑罰(けいばつ)不中(おこらず)刑罰(けいばつ)不中則(あたらざれば)民無所措(すなわちたみてあしを)手足(おくところなし)故君子名之必可言也(ゆえにくんしこれをなづくればかならずいうべし)言之必(これをいえばかな)可行也(らずおこなうべし)君子於(くんしはその)(げんに)(おいて)無所苟而已矣(いやしくもするところなきのみ)
子路曰く、衛君、子を待ちて政を為さば、子将に奚(なに)をか先にせんとする。
子曰く、
必ずや名を正さんか。子路曰く、是有るかな、子の迂なるや。奚(なん)ぞ其れ正さん。子曰く、野なるかな由や。君子は其の知らざる所に於いては、蓋し闕如(けつじょ)たり。名正しからざれば則ち言順ならず、言順ならざれば則ち事成らず、事成らざれば則ち礼楽興らず、礼楽興らざれば則ち刑罰中たらず、刑罰中たらざれば則ち民手足を措く所なし。故に君子はこれを名づくれば必ず言うべし。これを言えば必ず行うべし。君子、其の言に於いて苟くもする所なきのみ。

子路が言った。衛の君主が、先生をお呼びして政治を任されたとすると、先生はまず何を先にされますか。
先生はおっしゃった。
「きっと名目を正しく定義するだろう」。子路が言った。先生は全く迂遠なやり方をされるものですね。どうして名目を正そうとするのですか。先生がお答えになった。
「子路は、相変わらず野蛮だな。君子は自分の知らないことに対しては、余計な口を出さないものだ。名目が正しくなければ、話の筋道が通らず、話の筋道が通っていなければ政治は成功しない。政治が成功しないと礼楽の文化様式は振興せず、礼楽が振興しなければ刑罰が公正でなくなってしまう。刑罰が公正でなくなってしまえば、人民は手足をゆったりと伸ばすことさえ出来なくなってしまう。だから、君子は何か名づける時には、必ず言葉でしっかりと名目を定義するのだ。名目を定義すれば、必ず実行すべきである。その有言実行のため、君子は軽はずみな発言をすることがない」。

 

4日 四、
樊遅請学稼(はんちかをまなばんとこう)子曰(しのたまわく)吾不如老農(われはろうのうにしかず)請学為圃(ほをつくるをまなばんとこう)子曰(いわく)吾不如老圃(われはろうほにしかず)樊遅(はんち)(いず)子曰(しのたまわく)小人哉樊須也(しょうじんなるかなはんすや)上好礼則民莫(かみれいを好めばすなわちたみあえてけいせざ)(るなし)不敬(かんふけい)上好義則民莫(かみぎをこのめばすなわちたみあえて)(ふくせ)不服(ざるなし)上好信則民莫(かみしんをこのめばすなわちたみあえてじょう)(をもちい)不用(ざるなし)情、夫如是則四方之(それかくのごとくんばすなわちしほう)(のたみは)襁負其子而至矣(そのこをきょうふしていたらん)焉用稼(いずくんぞかをもちいん)
樊遅、稼を学ばんことを請う。子曰く、
吾はは老農に如かず。圃をつくるを学ばんと請う。子曰く、吾は老圃に如かず。樊遅出ず。
子曰く、
小人なるかな樊須(はんす)や。上、礼を好めば、則ち民は敢えて敬せざる莫し。上義を好めば、則ち民は敢えて服せざる莫し。上、信を好めば、則ち民は敢えて情を用いざる莫し。それ是くの如くくんば、則ち四方の民は其の子を襁負(きょうふ)して至らん。焉んぞ稼を用いん。
樊遅が穀物栽培について学びたいとお願いした。
先生は言われた。
「私は穀物栽培の専従者には及ばない」。樊遅が野菜栽培について学びたいとお願いした。
先生は言われた。
「私は野菜栽培の専門家には及ばない」。樊遅が出てから先生が言われた。「樊須という人物は徳の少ない小人である。為政者が礼を好めば、人民は彼を尊敬しないものはなく、為政者が正義を志向すれば、人民で彼に服従しないものはない。為政者が誠実を重視すれば、人民は誠実でないものがいなくなる。そうなると、四方の人民が自分の子を背負って、その為政者のところに集まってくる。どうして、自分自身で農業をする必要があるのだろうか(君子は本業である政治に専心すべき)。

5日 五、子曰(しいわく)(しを)(しょ)三百(うすることさんびゃく)授之以(これにさずくるに)(まつりごと)(をもってして)(たっせず)使於(しほうに)四方不能専対(つかいしてせんたいするあたわざれば)雖多亦奚以(おおしといえどもまたなにをもって)(なさんや) 子曰く、
詩をを誦すること三百、これに授くるに政を以てして達せず、四方に使いして専対する能わざれば、多しと雖も亦、奚(なに)を以て為さんや。
先生が言われた、
「詩経三百篇を暗唱しても、政治の任務をうまくこなすことができず、外国に使節として派遣されてもその役目をうまく果たすことが出来なければ、いくら詩を多く暗唱していても何にもならない」。
6日 六、
子曰(しのたまわく)(そのみ)(ただし)(ければ)不令而(れいせずともおこ)(なわる)(その)(みた)不正(だしからざれば)雖令(れいすといえども)不従(したがわず)
子曰く、
その身正しければ、令せずとも行わる。その身正しからざれば、令すと雖も従わず。
先生が言われた、
「為政者の行いが正しければ、命令を出さなくても実行される。しかし、為政者の行いが正しくなければ、命令しても人民は従わない」。
7日 七、
子曰(しのたまわく)魯衛之政兄弟也(ろえいのまつりごとはけいていなり)

子曰く、
魯衛の政は兄弟なり。

先生が言われた、
「魯と衛の政治は兄弟のようなものである」。

8日 八、
子謂(しえい)(のこ)公子(うしけいを)(いう)(よく)居室(しつにおる)始有曰苟合矣(はじめあるにいわくかりそめにかなえり)少有曰苟完矣(すこしくあるにいわくかりそめにまったし)富有曰苟美矣(いわくすでにとめばまたなにおかくわえん)
子、衛の公子荊を謂う、善く室を居る。始めて有るに曰く、かりそめにかなえり、すこしく有るに、曰く、かりそめに完し、曰く、既に富めばまたなにおか謂わん。 先生が、衛国の王族の公子荊について言われた。
「家計の切り盛り上手だ。はじめて財産ができたときには、「やっと足りる」と言い、少し財産が貯まると「十分」と言った。大きな財産ができたときは、「なんとかこれで良いだろう」と言った」。
9日 九、
子適(しえいに)(ゆく)(ぜん)(ゆう)(ぼくたり)子曰(しのたまわく)庶矣(おおいか)()冉有曰(ぜんゆういわく)既庶矣(すでにおおし)又何加焉(またなにおかくわえん)曰富之(いわくこれをとまさん)曰既富矣(いわくすでにとめば)又何加焉(またなにおかくわえん)(いわく)教之(これをおしえん)
子、衛にゆく。冉有僕たり。
子曰く、
庶き(おおき)
かな。冉有曰く、既に庶し。また何をか加えん。
曰く、
これを富まさん。曰わく、既に富めばまた何をか加えん。
曰わく、
これを教えん。

先生が衛に行かれた時に、御者の冉有に先生が言われた。「衛の首都は人の数が多いな」。冉有が質問した。すでに人は多いようですが、あと衛に何を加えましょうか。
先生が言われた、
「この人たちを富裕にしよう」。冉有がさらに言った。人々を富裕にした後は、何を加えますか。
先生が言われた、
「その人たちに教育を与えよう」。

10日 十、
子曰(しのたまわく)(もし)有用(われをもちうる)我者(ものあらば)期月而已(きげつのみにし)可也(てかなり)三年(さんねんならば)(なる)(あらん)

子曰く、
苟しくも我を用うる者有らば、期月のみにして可なり。三年にして成る有らん。

先生が言われた、
「もし私を採用してくれる君主がいれば、一年で政治の実績を出せる。三年の時間を貰えれば十分な成果を出せる」。
11日

十一、
子曰(しのたまわく)善人為邦(ぜんにんくにをおさむること)百年(ひゃくねんならば)亦可以勝残去殺矣(またもってざんにかちさつをさるべし)誠哉是言也(まことなるかなこのげん)

子曰く、
善人邦を為むること百年ならば、亦以て残に勝ち殺を去るべし。誠なるかな是の言。
先生が言われた、
「普通の善人でも百年間国を治めれば、無法者を押さえ込んで死刑を廃止することができるとい。その通りだ、この言葉は」。
12日

十二、
子曰(しのたまわく)(もし)(おう)王者(じゃあらば)必世而後(かならずせいにしてしかるのちに)(じんならん)

子曰く、
もし王者有らば、必ず世にしてしかる後に仁ならん。
先生が言われた、
「もし天命を拝受した王者が現れれば、一世代の後に必ず仁に基づく世界が実現するだろう」。
13日

十三、
子曰(しのたまわく)苟正其身矣(いやしくもそのみをただしくせば)於従政乎(まつりごとにしたがうにおいて)(なにか)(あらん)不能(そそのみをただ)(しくする)(あたわず)(して)(ひとを)正人(ただすをいか)(んせん)

子曰く、
苟しくもその身を正しくせば、政に従うに於いて何か有らん。その身を正しくすること能わずして、人を正すを如何せん。
先生は言われた、
「自分自身が正しくしておれば、政治を行うことに何の問題はない。自分の行動を正しく出来ないならば、他人を正しい方向に導くことなどがどうしてできるだろうか。
14日

十四、
冉子退(ぜんしちょうを)(しりぞく)子曰(しのたまわく)何晏也(なんぞおそき)対曰(こたえていわく)(まつりご)(とあり)子曰(しのたまわく)其事也(それじならん)(もしまつり)(ごと)(あらば)雖不吾以(われをもちいずといえども)吾其与聞之(われそれこれをあずかりきかん)

冉子(ぜんし)、朝より退く。子曰く、
何ぞ晏き(おそき)。対えて曰く、政あり
。子曰く、
それ事ならん、我をもちいずと雖も、吾それこれを与り(あずかり)聞かん。

冉先生が朝廷から退出してきた。
先生が言われた、
「どうしてこんなに遅いのだ」。冉は答えた、政務があったからです。
先生が言われた、
「前に言っているのは国家の政治ではない、直接仕えている重臣の季氏の政務だ。もし重要な政治問題ならば私は聞いているはずだ」
15日 十五、
(てい)(こう)(とう)一言而可以興邦(いちごんにしてもってくにをおこすべき)(ものこ)(れありや)孔子対曰(こうしこたえてのたまわく)言不可以(げんはもってかくのごとく)(なるべ)(からざるも)其幾也(それちかきか)人之言曰(ひとのげかにいわく)(きみた)君難(ることかたく)(しん)(たるこ)不易(とやすからず)如知為君之難也(もしきみたることのかたきをしれば)不幾乎一言而興邦乎(いちごんにしてくにをおこすにちかからずや)(いわく)一言而可喪邦(いちごんにしてくにをうしなうものこれ)(これ)(ありや)孔子対曰(こうしこたえてのたまわく)言不可以(げんはもってかくのごとく)(なるべ)(からざるも)其幾也(それちかきか)人之言曰(ひとのげんにいわく)予無楽乎(よきみたるをたのしむなし)(ため)(くん)唯其言而楽莫予違也(ただそれいいてよにたがうなし)如其善而莫之違也(もしそれぜんにしてこれにたがうなければ)不亦善乎(またぜんならずや)如不善而莫之違也(もしふぜんにしてこれにたがうなけれぱ゛)不幾乎一言而喪邦乎(いちごんにしてくにをうしなうなうにちかからずや)

定公問う、一言にして以て邦を興すべきものありや。
孔子対えて曰く、言は以て是くの若くなるべからざるも、それ幾き(ちかき)なり。人の言に曰く、君たること難く、臣たること易からずと。如し君たることの難きを知らば、一言にして邦を興すに幾からずや。曰く、一言にして邦を喪ぼすべきものありや。
孔子対えて曰く、言は以て是くの若くなるべからざるも、それ幾きなり。人の言に曰く、予(われ)君たることを楽しむことなし。唯)、その言いて予に違うもの莫きを楽しむなりと。如しそれ善くしてこれに違うもの莫きは、亦善からずや。如し善からずしてこれに違うもの莫きは、一言にして邦を喪ぼすに幾からずや。

魯の定公がお尋ねになった。『わずか一言で、国を隆盛させるようなものはないだろうか。』。
孔子が答えて申し上げた。
『言葉というものはそのような効果のあるものではありませんが、それに近いものならばございます。人民の言葉に、「よき君主となることは困難であり、よき家臣となることも簡単ではない」というものがあります。もし本当によき君主になることの難しさが分かったら、この言葉ことわずか一言で国を隆盛させるものに近いでしょう。』。定公がお尋ねした。『わずか一言で、国を滅亡させるようなものはあるだろうか。』。
孔子がお答えして申し上げた。『言葉というものはそのような効果のあるものではありませんが、それに近いものならばございます。人民の言葉に、「自分は君主となったことを楽しく感じず、ただ自分の発言に対して誰も反対する者がいない。誰も反対しないのを楽しく感じている」というものがあります。もし君主の言葉が正しくて、反対する者がいなければ良いでしょう。もし君主の言葉が間違っていて、誰も反対する者がいないのであれば、それは正にわずか一言で国家が滅亡するという事態に近いと言えましょう。』
 

16日

十六、
(よう)(こう)(まつりご)(とをとう)子曰(しのたまわく)近者説(ちかきものよろこび)遠者来(とおきものきたる)

葉公、政を問う。
子曰く、
近き者説び、遠き者来たる

葉の君主が政治について聞いた。
先生は答えられた。
「近所の者が喜んで集まり、それを聞いて遠来の者もやってくる、これが政治です」。
17日

十七、
()()(きょほ)(のさい)(となり)(つかさ)(まつりごと)(をとう)子曰(しのたまわく)毋欲速(すみやかならんことをほっするなかれ)(しょう)(りをみ)小利(ることなかれ)欲速則(すみやかならんとほつす)(ればすなわ)(ちたつせず)(しょう)小利則(りをみればすなわち)大事(だいじ)不成(ならず)

子夏、呂父(きょほ)の宰と為り、政を問う。子曰く、
速やかにならんことを欲する毋かれ。小利を見ること毋かれ。速やかならんと欲すれば則ち達せず、小利を見れば則ち大事成らず。
呂父の長となった子夏が政治について質問した。
先生はお答えになられた。
「急ぎすぎてはいけない。小さい目先の成功にとらわれるな、焦せれば目的を達成できず、小さな利益にとらわれると大きな事は実現できぬ」。
18日

十八、
葉公語孔子曰(しょうこうこうしにつげていわく)(わがとう)党有直躬者(にちょっきゅうなるものこれあり)其父攘(そのちちひつじをぬす)(みて)而子証之(ここれをしょうせり)孔子曰(こうしのたまわく)吾党之(わがとうのちょく)(なる)者異於(ものはこれにこ)(となり)父為子隠(ちちちはこのためにかくし)子為父隠(こはちちのためにかくす)直在(ちょくは)其中矣(そのなかにあり)

葉公(しょうこう)、孔子に語りて曰く、吾が党に直なる者これあり。その父、羊をぬすみて、子これを証せり。
孔子曰く、
吾が党の直なる者は是れに異なり。父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直はその中に在り。
葉の君主が孔子に自信満々に語って言った。『私の治める郷土に、正直者の躬がいる。躬の父が羊を盗んだとき、躬は正直に盗みの証人になった。
孔子は言われた、
「私の郷土の正直者はそれとは違います。父は子のために罪を隠し、子は父のために罪を隠す。本当の正直さはそういった親子の忠孝の間にこそある」。
19日 十九、
樊遅(はんち)(じんを)(とう)子曰(しのたまわく)居処(ところにおり)(てはきょう)執事(ことをとりて)(はけい)与人(ひとにくみして)(はちゅう)雖之夷狄(いてきにゆくといえども)不可棄也(すつべからざるなり)
樊遅、仁を問う。
子曰く、
処おりては恭、事を執りて敬、人に与しては忠、夷狄にゆくと雖も、棄つべからざるなり。
樊遅が仁について質問した。先生は言われた。
「挙措振る舞いはへりくだり、仕事をする時には慎重、他人と関わるときには忠実であれば、野蛮な異国に行っても無視されることはないだろう」。
20日

二十、
子貢問曰(しこうといていわく)何如斯可謂之士矣(いかんぞすなわちこれをしというべき)子曰(しのたまわく)(おのれ)(をおこな)(うにはず)(るあり)使於(しほうに)四方不辱(つかいしてくんめい)君命(をはずかしめず)可謂士矣(しというべし)(いわく)(あえて)(その)(つぎを)(とう)(いわく)宗族称孝焉(そうぞくこうをしょうし)郷党称弟焉(きょうとうていをしょうす)(いわく)(あえて)(その)(つぎを)(とう)(いわく)言必(いえばかならず)(しん)行必果(おこなえばかならずか)脛脛然小人也(こうこうぜんとしてしょうじんなるかな)抑亦可以為次矣(そもそもまたもってつぎとなすべし)(いわく)今之(いまのまつ)(りご)(とに)者何如(したがうものはいかん)子曰(しのたまわく)(ああ)斗肖之人(としょうのひと)何足算也(なんぞんぞうるにたらん)

子貢問いて曰わく、何如ぞ、すなわちこれを士と謂うべき。
子曰く、
己れを行うに恥ずるあり、四方に使いして君命を辱しめず、士と謂うべし。曰く、敢えてその次を問う。
曰く、
宗族は孝を称し、郷党は弟を称す。曰く、敢えてその次を問う。
曰く、
言えば必ず信、行えば必ず果、コウコウ然として小人なるかな。抑も亦以て次と為すべし。
曰く、
今の政に従う者は何如。子曰く、噫、斗肖(としょう)の人、何ぞ算うるに足らん。
子貢がお尋ねした。どのような人物でならば士というか。先生がお答えになった。
「行動する時に恥の気持ちを持ち、外国への使節として君主の威厳を辱めることがない、これは士だろう」。子貢がお尋ねした。さらなる士の条件について教えて下さい。
先生、「親族から孝行者と呼ばれ、郷土の人々から年長者を敬うと賞されることだ」。子貢はさらに聞き、まだ士といえる条件は。
先生は答えられた。
「言葉に真実があり、行動は果敢で迷いがない。がちがちの小人ではあるが士といえる」。子貢が言った。今の為政者はどうでしょうか。
先生は言われた、
「ああ、器量の小さな小人ばかりで、数え上げる必要もない」。
21日

二十一、
子曰(しのたまわく)不得中行而与(ちゅうこうをえてこれにくみせずんば)必也狂狷乎(かならずやきょうけんか)狂者(きょうしゃは)進取(すすんでとり)狷者(けんしゃは)(なさ)所不為也(ざるところあり)

子曰く、
中行を得てこれに与せずんば、必ずや狂狷か。狂者は進んで取り、狷者は為さざるところあり。
先生が言われた。
「中庸の徳を持った知己を得ることができない場合には、やむを得ずに狂者か狷者を友人にするか」。情熱的な狂者は積極的に行動するが、偏屈な狷者は他者に妥協できないところがある。
22日

二十二、
子曰(しのたまわく)南人(なんじん)有言(いえるあり)(いわく)人而(ひとにしてつ)無恒(ねなくんば)不可以作巫医(もってふいをなすべからず)善夫(よいかな)不恒(そのとくを)(つねに)(せざれば)或承之羞(つねにこれにはじをうくるのみ)子曰(しのたまわく)不占而已矣(うらなわざるのみ)

子曰く、
南人言える有り。曰く、人にして恒なくんば、以て巫医(ふい)をなすべからず。善いかな。その徳を恒にせざれば、常にこれに羞を承くるのみ。子曰く、占わざるのみ。
先生が言われた。
「南方の人間が、「恒心の安定した状態がない人は、巫女や医師になれない」と言っていた。これは良い言葉である。「その徳をいつも持っていなければ、恥辱を受けることがある」という言葉があるではないか」。
先生がおっしゃった。
「恒心なき者には未来は占えない」
23日

二十三、
子曰(しのたまわく)君子和而(くんしはわして)不同(どうぜず)人同而(しょうじんはどうじ)不和(てわせず)

子曰く、
君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。
先生がおっしゃった。
「有徳の君子は和合するが付和雷同しない。小人は付和雷同をするが和合しない。」
24日

二十四、
子貢問曰(しこうといていわく)郷人皆好之何如(きょうじんみなこれをこのめばいかん)子曰(しのたまわく)(いまだか)可也(ならざるなり)郷人皆悪之何如(きょうじんみなこれをにくめばいかん)子曰(しのたまわく)(いまだか)可也(ならざるなり)不如郷人之(きょうじんのぜん)(しゃ)者好之(これをこのみ)(その)不善(ふぜん)者悪之也(しゃこれをにくむにしかず)

子貢問いて曰く、郷人皆これを好めば何如、
子曰く、
未だ可ならざるなり。郷人皆これを悪めば何如。
子曰く、
未だ可ならざるなり。郷人の善者これを好み、その善者これを悪むに如かず。
子貢が質問して言った。郷里の人が褒める人物ならどうでしょうか。
先生が言われた。
「まだ十分ではない」。子貢が言った。郷里の人が嫌う人物ならどうでしょうか。
先生が言われた、
「まだ十分ではない。郷里の人の中で、善人に好かれ、悪人に嫌われるのが一番である」
25日

二十五、
子曰(しのたまわく)君子易事而難説也(くんしはつかえやすくよろこばせがたし)説之不以(これをよろこばしむるにみちをもって)(せざれば)不説也(よろこばれざるなり)及其使人也(そのひとをつかうにおよんでは)器之(これをきにす)小人難事而易説也(しょうじんはつかえがたくよろこばせやすし)説之雖不以(これをよろこばしむるにみちをもってせずと)(いえとども)説也(よろこべばなり)及其使人也(そのひとをつかうにおよんでは)求備焉(そなわらんことをもとむ)

子曰く、
君子は事え易くして説ばせ難し。これを説ばしむるに道を以てせざれば、説ばざるなり。その人を使うに及んでは、これを器にきす。小人は事え難く説ばしめ易し。これを説ばしむるに道を以てせずと雖も、説ばせ易し。

先生がおっしゃった。
「君子にお仕えするのは簡単だが、君子の心を喜ばせることは難しい。それは、正しい道に従って喜ばせなければ喜んでくれないからだ。君子が人を使役する場合には、器のように役割を果たしさえすれば良いと考える。小人に仕えるのは難しいが、喜ばせるのは簡単である。小人は正しい道に従っていなくても、ご機嫌とりをすれば喜ぶからである」。
26日

二十六、
子曰(しのたまわく)君子泰而不驕(くんしはたいにしておごらず)小人驕而(しょうじんはおごりて)不泰(たいならず)

子曰く、
君子は泰にして驕らず、小人は驕りて泰ならず。

先生は言われた。
「君子は泰然としているが驕慢ではない、小人は威張ってはいるがゆったりとしていない」。
27日

二十七、
子曰(しのたまわく)剛毅(ごうき)朴訥(ぼくとつ)(じんに)(ちかし)

子曰く、剛毅朴訥、仁に近し。

先生が言われた。
「剛直、勇敢で、素朴で寡黙なのは、仁徳に近い」。

28日

二十八、
子路問曰(しろといていわく)何如斯可謂之士矣(いかんぞすなわちこれをしというべき)子曰(しのたまわく)切切偲偲怡怡如也(せつせつしし、いいじょたるは、)可謂士(しというべし)朋友切切偲偲(ほうゆうにはせつせつしし)兄弟怡怡如也(けいていにはししたれ)

子路問いて曰く、何如なるをかこれこれを士と謂うべき。
子曰く、切切偲偲怡怡如(せつせつししいいじょ)たるは士と謂うべし。朋友には切切偲偲、兄弟には怡怡如たれ。
子路がお尋ねした。どのような人物を士というべきでしょうか。
先生はお答えになられた、
「親切に励まして、和やかに支援するような人が士である。朋友には、しっかりとした励ましをして、兄弟には、和やかな触れ合いをしなければならない」。
29日

二十九、
子曰(しのたまわく)善人(ぜんにんもたみを)(おしうる)(ことな)七年(なねんならば)亦可以即戎矣(またもってじゅうにつかしむべし)

子曰く、
善人、民を教うること七年ならば、亦以て戎(じゅう)に即かしむべし。

先生が言われた。
「善人が七年間にわたって人民を教育したら、人民を優れた兵士として戦いにつかせることができる」。
30日

三十、
子曰(しのたまわく)(おしえ)不教(ざるたみをも)民戦(ってたたかうは)是謂棄之(これこれをすつという)

子曰く
、教えざる民を以て戦う、これこれを棄つと謂う。

先生が言われた。
「教育していない国民を戦わせる、これは国民を捨て去るということと同じだ」。