安岡正篤の言葉 平成29年1月例会 徳永選
全人格的な学問
士大夫三日書を読まざれば即ち理義胸中に交わらず。便ち覚ゆ、面目・憎むべく語言・味なきを。
宋 黄山谷
書は聖賢の書、理義は義理も同じで、理は事物の法則、義は行為を決定する道徳的法則であります。大丈夫たるものは三日聖賢の書を読まないと、本当の人間学的意味における哲理・哲学が身体に血となり肉となって、循環しないから、面相が下品になって嫌になる、物を言っても言語が卑しくなったような気がする---というのであります。
本当の学問というものは、血となって身体中を循環し、人体・人格をつくる。従ってそれを怠れば自ら面相・言語も卑しくなってくる。それが本当の学問であり、東洋哲学の醍醐味も亦そういうところにあるわけであります。 東洋思想十講
学びの大切さ
此れ之を学に得しなり。凡そ学は必ず業を進むるを務む。心則ち営うこと無し。呂氏春秋
学問というものは、自分が天から、親から、自然に与えられておるものを発揮することである。だから、どうしても、実際生活にこれを実践すべく努力するわけで、そうなると自ら「一誠万事」、「一心万変に応ず」で、だんだん惑いがにくなる。
キリスト教界でも特異な存在として知らぬ者のないジプシー・スミスという大説教家があります。この人はもともと乞食少年であったが、13歳の時に「聖書」を読み発憤してああいう偉大な説教者になった。
人の力・人格り力・学の力というものはそれくらい大きいのであります。 天地にかなう人間の生き方