佐藤一斎「(げん)志後録(しこうろく)」その十 岫雲斎補注  

平成24年3月1日から3月31日  

1日 21.

心と身を養うには

礼義を以て心を養うは、則ち体躯を養うの良剤なり。
心、養を得れば則ち身自ら健なり。
旨甘(しかん)を以て口腹を養うは、則ち心を養うの毒薬なり。
心、養を失えば則ち身も亦病む。
 

岫雲斎
立ち居振る舞いという礼儀を良くすれば、それ自体が精神修養であり結果は身体に執っても良薬となる。反対に、美味しい食べ物は精神修養の毒薬で身体が衰弱して病気となる。正に健全なる精神が健全なる肉体を生み長生に結びつくのである。

2日 22.          

敬の真義

心に中和を存すれば、則ち(たい)(おのずか)安舒(あんじょ)にして則ち敬なり。故に心広く体胖(たいゆたか)かなるは敬なり。

徽柔懿(きじゅうい)(きょう)なるは敬なり。申申夭夭(しんしんようよう)たるは敬なり。()の敬を見ること桎梏(しっこく)()(てん)(ごと)く然る者は、是れ贋敬(がんけい)にして真敬にあらず。 

岫雲斎

人間は、心が偏らないで穏やかであれば身体は安らかであり、これが敬である。大学に、心が広く平らかであれば身体はゆったりとしているとあるのが敬である。書経に周の文王の人となりを善にして柔和、麗しく忝謙とあるのも敬である。だが敬を手枷(てかせ)足枷(あしかせ)や縄で縛られたように窮屈に思うのであれば偽の敬であり本物の敬になっていない。

3日 23.          

義理と利害

君子も亦利害を説く。利害は義理に(もと)づけばなり。小人も亦義理を説く。義理は利害に由ればなり。 

岫雲斎
利害は広く万民に関するものだから君子もそれを説く。ただ、君子のそれは人道に基づくが、小人のそれは自分の立場である。

4日 24.     

真の巧妙

真の巧妙は、道徳便(すなわ)()れなり。真の利害は、義理便ち是れなり。 

岫雲斎
真の功績とは道徳の上に成り立ったものでなければならぬ。本当の利害は義理に由らねばならぬ。

5日 25.          

達人の見解

人の一生遭う所には、険阻(けんそ)有り、(たん)()有り、安流(あんりゅう)有り、驚瀾(きょうらん)有り。是れ気数の自然にして、(つい)に免るる能わず。即ち易理なり。人は宜しく居って安んじ、(もてあそ)んで楽しむべし。若し之を趨避(すうひ)せんとするは、達者(たっしゃ)(けん)に非ず。 

岫雲斎
人間の一生を道路に例えれば、険しい所、平坦な所、水路で言えば穏やかな流れや急峻な場所などがあるようなものである。これは大自然の必然であり易に説かれた通りである。だから、人間は自分の居る所に安んじて楽しむのが良いのだ。人間の達人は、これを避けて走りぬけようとしない。

6日 26

地上の美観

山水の遊ぶ()()る可き者は、必ず是れ畳嶂(じょうしょう)(さん)(ぽう)、必ず是れ激流、急湍(きゅうたん)、必ず是れ(しん)(りん)長谷(ちょうこく)、必ず是れ懸崖(けんがい)絶港(ぜつこう)なり。凡そ其の()(すい)(もう)(みつ)雲烟(うんえん)の変態、遠近相取り、険易相錯(けんいあいまじわ)りて、然る後に幽致(ゆうち)の賞するに耐えたる有り。最も(こん)輿()(ぶん)たるを見る。若し()唯だ一山有り、一水有るのみならば、則ち何の奇趣か之れ有らむ。人世(じんせい)も亦猶お(かく)のごとし。 

岫雲斎
重畳たる山脈や峰々、長谷や激流、深い森林、切れ落ちた絶壁、切り削いだ港など山水の鑑賞は価値がある。紫翠の深い山々、雲の様々な変化の模様、遠近の景色が険しい山や平らかな大地が相交わり幽邃の趣きをかもしているのは見事で、将に易経にある坤は大地の輿たりである。もし、ただ一山、一つの川のみであれば何らの趣きもないであろう。人生もまたこのようなものではあるまいか。

7日 27.

死生観

物には栄枯(えいこ)有り。人には死生有り。則ち生々の易なり。
(すべか)らく知るべし、()(かく)は是れ地にして、性命は是れ天なることを。
天地未だ(かっ)て死生有らずば、則ち人物何ぞ曾て死生有らんや。死生、栄枯は只だ是れ一気の消息盈虚(えいきょ)なり。
此れを知れば則ち昼夜の道に通じて知る。
 

岫雲斎
物には栄枯盛衰があり人間には生死がある。則ち万物は変化してやまない。我々の肉体は地に属しているが性命は天に属していることを知らねばならぬ。この天地には死生が無いのだから人や物にも死生がある筈はない。死生と言い、栄枯と言い、ただ一つの「気」が消えたのが死であり枯である。一つの気が満ちたのが生であり栄であるこの道理が分れば、昼夜交代の道理を得たということになる。

8日 28.
「思」と言う字

心の官は則ち思うなり。思うの字は只だ是れ工夫の字のみ。
思えば則ち(いよいよ)精明に(いよいよ)篤実なり。其の篤実なるよりして之を(こう)と謂い、其の精明なるよりして之を知と謂う。
知行(ちこう)は一の思うの字に帰す。
 

岫雲斎
心の役目は思うことである。思うという事は、道の実行に就いて工夫を重ねることである。思えば、益々精しく明らかになる。いよいよ篤実に取り組む。それを「行」と云う。精通するから「知」と云う。従って知も行も「思」の一字に帰着するのである。

9日

29.
(ちゅう)」二則 
その一

(ちゅう)の字は最も認めがた)し、(せんじゃく)の人の認めて以て中と為す者は、皆及ばざるなり。気魄(きはく)の人の認めて以て中と為す者は、皆過ぎたるなり。故に君子の道(すくな)し。 

岫雲斎
中の字に相当するものは中々無い。心の弱い人が「中」だと認めるものは「中」に及ばない。反対に気魄(きはく)ある人は勝気であり中だと言うものは皆「中」を過ぎている。だから君子の道たる「中」は少ない。

10日 30
(ちゅう)」二則 
その二
気魄(きはく)の人の認めて以て中と為す者は、()と過ぎたり。而も其の認めて以て小過と為す者は、則ち(あたか)も是れ狂人の態なり。せん(せんじゃく)の人の認めて以て中と為す者は、固と及ばずして、而も其の認めて以て及ばずと為す者は、則ち殆ど是れ酔倒(すいとう)の状なり。 

岫雲斎
気の強い人間が中としたものは元々過ぎた状態である。その人が少し過ぎていると称するものは恰も狂人の如しである。気の弱い人の中は、至らない状態である。その人が及ばないとしたものは大抵、酔い倒れの状態である。

11日 31.

精神を収斂する時
精神を収斂する時、自ら聡明を閉ずるが如きを覚ゆ。然れども熟後に及べば、則ち(あん)(ぜん)として日に(あき)らかなり。機心酬(きしんしゅう)()の時、自ら聡明通達するを覚ゆ。然れども(じん)して以て習と成れば則ち的然として日に亡ぶ。 

岫雲斎
精神を緊張し引き締めると自己の賢が閉塞したように感じる。然し、充分な時間をかけると暗闇の中から次第に日に日に光明が現れてくる。人と応対する時、機智機転をきかせると恰も自分が利口そうに思われるが、そのようなことばかりしていると、土台が確立していないから一挙に自己が崩れてしまうであろう。

12日 32.
寸言四則 

その一

申申夭夭(しんしんようよう)の気象は、収斂の熟する時、自ら能く是くの如きか。 

岫雲斎
精神修養が充分になされてくると、ゆったりして穏やかな気分となってくるものだ。

13日 33.
寸言四則 

その二
春風(しゅんぷう)を以て人と接し、秋霜(しゅうそう)を以て自ら(つつし)む。 

岫雲斎
人に接するには春風の和やかさで、然し自分には秋霜の厳しさで慎むがよい。

14日 34.
寸言四則 

その三
克己の工夫は一呼吸の間に在り。 

岫雲斎
克己の工夫は一呼吸の間の自省にある。

15日 35.
寸言四則 

その四
()れば則ち存するは人なり。()つれば則ち亡ぶは禽獣なり。操舎(そうしゃ)一刻(いっこく)にして、人禽(じんきん)判る。戒めざる可けんや。 

岫雲斎
倫理道徳を操守できるのは人間である。それを棄てて自滅するのは禽獣である。(まも)るといい捨てるといい、それは一呼吸一刻の瞬間のことでそれだけで人間と禽獣の区別がつけられる。戒めなくてはならぬ。

16日 36.

経験少なき人との応対
人は往々にして不緊要の事を(もっ)て来り語る者有り。我れ(すなわ)傲惰(ごうだ)を生じ易し。(はなは)だ不可なり。()れは(かっ)て未だ事を()ず。所以(ゆえ)閑事(かんじ)を認めて緊要事と()す。我れ頬を(ゆる)め之を(さと)すは可なり。傲惰を以て之れを待つは失徳なり。  岫雲斎
世間の中には格別重要でもないことを持ち来たりて話す者がいる。こんな時に威張って侮り易いものだ。これは良くないことである。彼はまだ経験が浅く大したことでもない事を重要事と思っているのだ。こんな時には比喩を用いて話すがよい。侮って威張って応対することは徳を失うことになる。
17日 37     
地の徳

人は地に生れて地に死すれば、畢竟地を離るる能わず。故に人は宜しく地の徳を執るべし。地の徳は敬なり。人宜しく敬すべし。地の徳は順なり。人宜しく順なるべし。地の徳は簡なり。人宜しく簡なるべし。地の徳は厚なり。人宜しく厚なるべし。 

岫雲斎
人間は地上に生まれ、そして死んで地に帰る。人間は地から離れられない。だから地の徳について能く考えなければならぬ。地の徳とは次の四つである、敬、順、簡、そして厚である。それらを良く守らねばならない。

18日 38.

「一」の字と「積」の字
一の字、積の字、甚だ畏る可し。善悪の幾も初一念に在りて、善悪の熟するも(せき)(るい)の後に在り。 

岫雲斎
一の字と積の字は慎まなくてはならぬ。善悪の兆し()は最初の一念に依る、その上に善でも悪でも、その一念の累積の結果だからである。

19日 39.

政治上の心得
其れ()んじ其れ慎まば、国家に不慮の患無く、()れ和し惟れ一ならば、朝廷に多事の(じょう)無からむ。 

岫雲斎
日頃から大事を取って慎んでやっておれば国家に不慮の難事は起きないまた皆の者が和合し一致しておるならば朝廷に多くの憂いも起こらないであろう。これは組織のことである。

20日 40.

明史読後感
()(みん)()を読むに、其の()(せい)に至りて君相(くんしょう)其の人に(あら)ず。宦官宮(かんがんきゅう)(しょう)事を用い、賂遺(ろい)公行(こうこう)し兵馬衰弱し国帑(こくど)は則ち空虚となり政事は只だ是れ貨幣を料理するのみ。東林も党せざるを得ず。闖賊(ちんぞく)(しゅん)せざるを得ず。(つい)()(まん)(きん)に乗じ()(うば)うことを(じゅん)()す。嗟嗟(ああ)後世戒むる所を知らざる可けんや。 

岫雲斎
中国は明の歴史をよんだ。明の末期(季世)になると、君主も宰相も人を得ていない。宮中に仕えている宦官、奥女中が口を挟み、賄賂が横行し、兵馬は衰弱、国庫(国帑(こくど))は空っぽ、政治といえば金銭のやりくりだけである。だから、識者の東林書院の儒者達も党派を作るし、無頼の徒は活躍するばかりである。終に、北方の胡人が隙((きん))に乗じて中原(ちゅうげん)の国を簒奪することとなった。後世の人々はよくよく戒めなければならない。 

21日 41.   

明朝の衰亡

(しょう)(せん)出でて明衰え、鈔銭盛にして明亡ぶ。 

岫雲斎
紙幣((しょう)(せん))を発行しだしてから明朝は衰弱しその量が増えて滅亡した。

22日 42. 

直を以て怨に報いる

(ちょく)を以て怨に報ゆ」とは、善く看ることを要す。
只だ是れ直を以て之に待つ。相讎(そうきゅう)せざるのみ。
 

岫雲斎
公平無私を以て怨みに報いる、これは論語にあるが、よくよく吟味しなくてはならぬ。これは、公平無私に当たるのであり、怨みに対して怨みを以て報復し互いに仇するものではないだけのことである。

23日 43.

養生の道

養生の道、只だ自然に従うを得たりと為す。養生に意有れば則ち養生を得ず。之を(らん)()の香に(たと)う。嗅けば則ち来らずして、嗅がざれば則ち来る。 

岫雲斎
養生の道は自然体がよい。意思があると養生にならない。蘭の花の香りのように、嗅けば却って匂ってこない、嗅がないと自然に匂ってくるようなものである。

24日 44.        

下情通達の真意

下情に通ずるの三字は、当に彼我(ひが)(りょう)(かん)()すべし。(じん)(しゅ)能く下情に通達す。是れ通ずること我に在り。下情をして各々通達するを得しむ。是れ通ずること彼れに在り。是くの如く透看(とうかん)すれば、真に謂わゆる通ずるなり。 

岫雲斎
下情に通ずるには彼と我の双方を見なくては分らぬ。主人が下情に通じているとは我のことである。又、下の事情を我に通ぜしめるのは彼にある。この両者が相俟ってこそ、彼と我の事が分り本当に下情に通じたと言える。

25日 45

難事に処する道

凡そ大硬事(だいこうじ)に遭わねば、急心もて剖結(ぼうけつ)するを(もち)いざれ。須らく(しばら)く之を()くべし。一夜を宿(しゅく)枕上(ちんじょう)に於て(ほぼ)商量(しょうりょう)すること一半にして思を齎らして()ね、翌旦(よくたん)の精明なる時に及んで続きて之を思惟(しい)すれば則ち必ず(こう)(ぜん)として一条(いちじょう)()を見、(すな)()ち義理自然に湊泊(そうはく)せん。然る後に(おもむろ)に之を区処せば、大概錯誤を致さず。 

岫雲斎
大きな困難な問題に遭遇した時には、決して解決を急いではならぬ。
必ず、そのままにしておくがよい。
一晩、持ち越し、枕上でざっと考え、思いつつ寝て朝、心が精明になった時思案すれば一条の光りが射してくるものだ。そうなると、難問題解決の筋道(義理)が自ら浮んで来る。
こうなった後に、ゆっくりとこれらを一つ一つ分離して処理して行けば大概間違うことはない。

26日 46         

実学と読書

実学の人、志は則ち美なり。然れども、往々にして読書を禁ず。
是れ亦(えつ)()りて食を廃するなり。
 

岫雲斎
活学を学問の目的とする人間の志は立派である。だが往々にして読書をしないがそれでは真の学問人とは言えない。これは、むせたから食事を取らないようなものだ。岫雲斎の所見とは異なる。活学を求めるのは読書のみの知見ではダメだということ、生きた学問は活学でなくてはならぬのである。当時の世相の違いであろうか。

27日 47.

易経と書経
易は天を以て人を説き、書は人を以て天を説く。 

岫雲斎
易経は天理により人間を説く、書経は人間を見て天の道を説いている。

28日 48.
史書を読め

人の一生の履歴は幼時と老後とを除けば(おおむ)ね四・五十年間に過ぎず。其の聞見(もんけん)する所は、殆ど一史だにも足らず。故に宜しく歴代の史書を読むべし。上下数千年の事迹(じせき)(つら)ねて胸臆(きょうおく)に在らば、(また)(かい)たらざらんや。眼を()くる処は、最も人情事変の上に在れ。 

岫雲斎
人間の一生で幼年期と老齢期を除けば4-50年くらいがいい所だ。その間に見聞するのは歴史のごく一部である。だから史書に馴染むがよい、数千年の過去の事跡が胸中にあるのは痛快なことだ。ポイントは、人心の機微と事件の推移を着眼点にするがよい。

29日 49.          

(しょう)(ゆう)益あり

余常に(そう)明人(みんじん)の語録を読むに、(うけが)う可き有り。
肯う可からざるあり。

信ず可きに似て信ず可からざる有り。
疑う可きに似て疑う可からざる有り。
反復して之を読むに、殆ど諸賢と堂を同じゆうして親しく相討論するが如し。真に是れ尚友にして益有り。
 

岫雲斎
自分は常に宋・明時代の読書をしている、納得の行く点もありそうでない点もある。信じられると思われ点、そうでないものもある。疑問を抱くが疑ってはならぬものもある。これらの語録を再三読むと、これら賢人と一堂に会して親しく議論しているようにさえ思える。当に読書は古人を友とするものであり尚友であり益友なのである。

30日 50.  

老荘を評す

老荘は()と儒と同じからず。()れは只だ是れ一箇の()()を了するのみ。
老子は深沈(じんちん)にして、荘周は別に機軸を(いだ)せり。
 

岫雲斎
老子、荘子は元々儒者ではない。彼らは唯、一個の「智」の字を学んだだけで実行が伴っていない。老子は深く沈思する傾向があり、荘子は老子から出発して別の一機軸を出したのである。

31日 51.   
世界中が憐みの心

満腔子(まんこうし)是れ惻隠の心なるを知れば、則ち満世界(すべ)て惻隠の心たるを知る。
宇宙間只だ是れ一実にして、更に虧欠(きけつ)無し。
 

岫雲斎
人間の心が思いやりの心で充満すれば、世界全て思いやりの心で一杯になっていることが分る。全宇宙に於いて、これだけが真実である。少しも欠け目は無い。