令和三年 正月にあたり安岡正篤先生の言葉 徳永圀典選
易は永遠の創造
易の説くところは、人生と自然に行き詰まりというものは無く、永遠の創造、クリエーションであると云うことであります。易学を学ぶということは、我々の存在、生活、そして人生を日々新たにしていく、即ち維新していくということでありまして、よくこれを学べば我々は精神的に行き詰ると言うことはありません。そして興味津々と申しますが、学べば学ぶほど楽しいものでありす。
(易と人生哲学)
未完成の必要
久しく世界に雄飛してきた英国、昨今の運命ほど感に堪えぬものはない。イギリスは出来上がってしまった。老成したと言うことが彼の一番の悲運である。老子の言うように、人も、国も、民族も、常に何処か若い未完成の処がなければならぬ。然るにイギリスはその若さを失い成長が止まってしまった。世界の植民地も取れるだけとった。生活程度も上りつめた。頭も完全に常識化し、自慢の討論政治もいつか小田原評定に堕し、財政経済も型の通りになった。
(世界の旅)
安岡正篤の願い
山の幸、海の幸に恵まれた日本は、これから大いに人の幸をも豊かに示して、世界の心ある人々が、シェークスピアを愛し、ゲーテを慕い、ナポレオンを語るように、世界の隅々から日本に集まって来て、伊勢にお参りし、明治神宮に額づき、西郷南州を語り、近松門左衛門を愛し、楠木正成を慕い、万葉集を誦むようにしたいものである。 (世界の旅)
久敬、久熟
人間の交わりでも、年が経つにつれて敬愛の深まる場合もあれば、逆に鼻について嫌いになり、つまらぬと思うようになる場合もあります。孔子は「晏平仲、善く人と交わる。久しうして人、之を敬す」と評しております。久敬・久熱、これはインスタントの反対です。人間もだんだんと付き合っているうちに、より深く尊敬したくなるような人物でなければ駄目であります。 (人間の生き方)
Achtung(敬) 敬、Achtungは一切の道徳的活動と利己的活動とを別つ根本の点である。例えば、敬がなければ、親に食を捧げるものも犬に与えるのも大差はない。妻を娶ることも娼婦を玩弄することも相違はない。敬(Achtung)を持って始めて人間の道徳の世界が開ける。故に敬は道徳の根本問題である。
(古典のことば)
評判なるもの
人の評判など当てにはならんものであります。大衆というものは種々雑多ありまして、そんなに高いことが分るものではなし、自分の利害だけで生きている者は、自分の利害に合わない者を悪く言うに違いない。自分の感覚的な低級な趣味に生きている者から言えばそんな程度の頭や感情で分らん人間を悪く言うのは当たり前である。さりとて、誰からも悪く言われると言うのも、どっかいけないに相違ない。だから立派な人が褒めて、いい加減な奴がくさすというのは、これが本当の人です。 (講演集)
恩と善
恩を施すということは非常によいことである。然し、報を求むることはいけない。自分が善をなす、それを人に知られることを求めると言うのは、それは既に不全な気持ちであり、折角の善を汚すものである。それは何か一つの虚栄心であり、作為であり、欲望である。そうなると他人は直ぐにそれを看破する。そして却って反対に謗りを得るかも知れん。善をなすと言うことそれに甘んずる、それでいいのである。人に知られようと思って善をしてはいかん。
(この国を思う)
老婆心と進歩
才智・技能に勝るということは良いもので、望ましいことではありますけれども、それだけでは人間として失格です。やっぱり人間として至る為には、人に真心を尽くす、世間から言うならば、うるさがられるほど思いやると言うことが大切です。老婆心は人に対してだけではありません。学問の場合でも、まあ、これぐらいにしておこうと言うのが一番いけないので、これでもまだ足りない、もう少しこうしてみたらどうだろう、つまり老婆心が無ければ進歩しません。 (人物を修める)
武とは何か
武は戈という字と止めると言う字から成っておる。戈というものは生命を断つものとして凶器と言われておる。戦争は一番の罪悪で生命を殺戮する。大きく言えば造化に反する。この宇宙人生は絶えざる生成化育である。その点かラ言って殺生は一番根本的な罪悪である。それを止める。即ち人間を虐げるところの邪悪を止める努力、これがすなわち武という文字になっておるのであります。
(心に響く言葉)
機、チャンス、特異点
全て物事には機というものがある。ここと言う所を活かすか、逸するかで大局に大きく響く一点を言うのである。商売に商機があり、政治にも政機がある。物理学者もシンギュラー・ポイント(singular point)を重視する。数理や普遍的原則ばかりでなく、特異点(シンギュラー・ポイント)に注意せねばならぬことを説いている。一片の煙草の吸殻はそれ自体何でもないが、この微物が時に大山火事を惹き起こすのである。 (新憂楽志)
機と造化
造化というものは「機」の連続である。自然の造化の働きには絶えざる変化がある。その変化には変化の微妙な一点がある。これはみな機であります。こうして、変化あるいは造化の一点を機という。商売には商機というものがあり、政治には政機というものがある。機と言うものをうまく捉えれば、我々の考えも行為も生きる。
(禅と陽明学・下巻)
男性に必要な陰原理
女性は内面的で、頭脳とか才覚とか、あるいは名誉欲、功名心、世間的活動、そういうものは控え目の方が女らしい。これ対して男性は、体躯も立派で、頭脳明晰、才能に富んで、理論に長じ、功名心もある、と言うのが男らしい。それだけに男性は、陰原理なものを取り入れないと、才知に倒れ、理論に破れ、闘争に敗れます。常に内面的・道義的修養につとめ、優雅な趣味を持たないと長続きしません。 (人物の条件)