指導者よ、幕賓を持て!

中川前財務大臣などは、日本の伝統を守る真の保守政治家であり、現代日本に無くてはならぬ政治家の一人であった。

彼は、胆力もあり、宰相の器も備えていると観察し期待していた。

処が、ここ数年で、彼の面相が、だらけてきており、本来の気鋭さが薄れつつあった。
彼は酒好きと聞いていたので、酒で人相が変化しつつあるなと私は直感していた。

最近は、将に、彼の人相は、ふにゃけて、往年の新進気鋭というか、純粋さが消えていた。

案の定であった、彼には、隙が生じていた。惜しい。

彼は、酒に飲まれて己を、また志も失っていたのである。

天下・国家の志を忘れ、酒に溺れてしまつた典型であろう。惜しい人物である。

(ばく)(ひん)という言葉がある。

(まく)とは自分の陣営の幔幕(まんまく)の中を意味するから、自己の陣営の中枢を意味する。

賓とは、賓客である。幔幕の中の賓客である。
客でも、格別に大切な客であるから、自分より格上の存在、即ち、年齢では上、見識・識見でも上の、尊敬してやまない直言してくれる在野の人物ということになる。

このような存在を「(ばく)(ひん)」と称する。

この(ばく)(ひん)を自分の近くに置いておらない指導者は、中川君のよう自分が、溺れてしまい溺死してしまうのである。人間とは元々そのような生身の出来物なのである。

国家的指導者となると、単なる自己を遥かに超えたものが不可欠な資質であり、人間的誘惑を時には、断じて拒絶できる、自己鍛錬をやらないと駄目になってしまう。

自分は、「見られる存在である」との自覚が消えたらオシマイなのである。

中川君は、そのようなものに流れやすい自己の人間性を、厳しく指南してくれる存在、

即ち(ばく)(ひん)がいなかったのであろう。

彼が、こんなツマラヌ事で失脚したのは帝王学の研鑽が無かったからである。

それは、1.原理原則を教えてもらう師を持つこと。

2.直言してくれる側近を持つこと。

3.よき幕賓を持つこと。

である。

 危機管理、すなわち、

1.     危機管理の原理原則に則った判断を仰ぎ、大所高所から忌憚無く、助言する側近がいるか どうか。

2.     危機の兆候を探知し、予防や被害局限を計り、指揮・命令・統制に関し、
    「御大!それはまずい」とか、
    「ここは勇気を出し引っ込み、出直しましょう。…大事のまえの小事です。」とか、
    「泣いて()(しょく)を斬る。公明正大な人事、信賞必罰でいくべきです。」などなどで、

  聞きにくい、都合の悪い情報・意見、正論を、タイムリーかつ率直に伝えてくれる幕賓部下がいるか。

  危機管理の成否は、マスコミの矢面に立つ人物で決まる。

  危機管理は、スポークスマン1人に限ることである。この人物次第で成否が決まる。

 大統領の報道補佐官、総理大臣の官房長官がこれに相当する。

 麻生氏の官房長官は、これらの諸点で実にお粗末である。

 彼の、貫禄、風貌、会話の妙、セクシーなじなど断然不足している。人間性の深みに欠けている。

 彼では、麻生総理大臣の付加価値は高めることは不能であろう。

こうして見ると、日本の政治家・指導者は器量小さく、また心得の欠けた人物ばかりとなっている。

戦後の、甘えた温室環境で促成された「モヤシのような政治家」ばかりとなっている。

国家の未来を暗示している。

青壮年よ、苦労を厭うな、人間、艱難を超えた人間でないと修羅場は乗り越えられない。

橋下大阪府知事の、あの「意欲」、「闘志」は青少年時代の苦労に根ざして、培われている。

日本の指導者・政治家よ、橋下知事に見習え!!!

平成21年3月1日

       徳永日本学研究所 代表 徳永圀典