学而(がくじ) 第一」徳永岫雲斎訳述

原文 読み 現代語訳
3月1日

一、

子曰(しのたまわく)
学而時習之(まなびてつねにこれをならう)不亦説乎(またよろこばしからずや)(とも)(あり)自遠方来(えんぽうよりきたる)不亦楽乎(またよろこばしからずや)人知而不慍(ひとしらずしていからず)不亦君子乎(またくんしならずや)

子曰わく、学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。朋あり、遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子 ならずや。

孔子は言われた、どんな時でも学ぶことを続けて、いつでも活用できるように復習もする。学問が自分の身につくのは何と愉快ではないか。
忘れないで突然、友人が遠方から私を訪ねて来てくれた。懐かしくて心が暖まる思いだ。世間が私の実力を見る目がなくても堪忍して怒らない、それが君子なのだ。

2日

二、

(ゆう)()(いわく)()()(ひとと)(なりや)(こう)(ていに)(して)(かみ)(おか)()(もの)(すく)(なし)(かみを)(おかすを)(このまず)(して)(らん)()(なすを)(このむ)(ものは)(いまだ)(これ)(あらざる)(なり)君子(くんしは)務本(もとをつとむ)本立而(もとたちて)道生(みちしょうず)孝弟也者(こうていなるものは)其為仁之本與(それじんをなすのもとか)

有子曰く、其の人と為りや孝弟にして、上を犯すを好む者鮮し。
上を犯すことを好まずして、乱を作すを好む者は、未だ之れ有らざるなり。
君子は本を務む。本立ちて道生ず。
孝弟なる者は、其れ仁をなすの本か。
 
有先生言う、人柄が、父母に尽くし兄など年長者を敬うようであれば、反逆するような人物ではない。反逆しない傾向の人物であれば反乱を起こすことは無い。
君子は人間としての根本修養に努める。根本が確立すれば人間の生きる道が分かる。

人間の根本的な道とは、父母への孝養であり、目上を敬うこと、即ち孝悌(こうてい)が人間愛であり仁である。





有先生とは(ゆう)(じゃく)という孔子晩年の弟子。
3日

三、

子曰(こうしのたまわく)巧言(こうげん)令色(れいしょく)鮮矣(すくなし)(じん)

子曰く、巧言令色、鮮なし仁。

孔子は言われた。他人に対して人当たりが良すぎ、言葉が巧みで、表面を飾り立て過ぎる人は、どちらかと言うと本当の仁愛や誠実に欠けるようだ。 

4日

四、

曾子曰(そうしいわく)(われ)(ひに)(わがみを)(みたび)(さん)(せいす)爲人謀而忠乎(ひとのためにはかりてちゅうならざるか)與朋友交言而不信乎(ほうゆうとまじわりてしんならざるか)傳不習乎(ならわざるをつたえしか)

曾子曰く、吾、日に吾が身を三たび三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか。 曾先生言う、私は毎日三度反省する。他人の相談にいい加減でなかったか、友人との交際では言動が正しかったかどうか、未消化の知識を伝授していないか。
5日

五、
子曰(しのたまわく)(せんじょう)千乗之国(のくにをみちびくには)敬事而(ことをけいして)(しん)節用而(ようをせっして)愛人(ひとをあいし)使民以(たみをつかうにときを)(もってす)

子曰く、千乗の国を導くには、事を敬して信、用を節して人を愛し、民を使うに時を以ってす。 孔子が言われた。国の政治の担当者は、物事の処理に人民を欺くことなく、公の経費は節約に留意し、人々の心や生活を豊かにするようにし、人民を使役する時は農閑期にするように心掛けるがよい。
6日

六、
子曰(しのたまわく)弟子入則(ていしいりては)(すなわちこう)出則悌(いでてはすなわちていたれ)謹而(つつしみて)(しん)汎愛衆而(ひろくしゅうをあいして)親仁(じんにちかづけ)行有餘力(おこないてよりょくあらば)則以学(すなわちもって)(ぶんをまなべ)

子曰く、弟子入りては則ち孝、出でては則ち悌たれ、謹みて信、汎く衆を愛して仁に近かづけ、行いて余力あらば、則ち以って文を学べ。 孔子は言われた。青少年は家庭では孝行、社会生活では目上の人に従いなさい。
言動を謹んで言行を一致し、人々を愛しなさい。そして余力があれば古典を学びなさい。
7日

七、
子夏曰(しかいわく)(けんを)(けんとして)(いろを)(かろんじ)事父母能竭(ふぼにつかえてよくその)其力(ちからをつくし)事君能致(きみにつかえてよく)(そのみ)(をいたし)(ほう)(ゆうと)友交(まじわり)言而(いいて)有信(しんあらば)雖曰(いまだまなばずと)未学(いうといえども)吾必謂之学矣(われはかならずこれをまなびたりといわん)

子夏曰く、賢を賢として色をかろんじ、父母に事えて能く其の力を竭し、君に事えて能くその身を致し、朋友と交わりて言いて信あらば、未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ずこれを学びたりと謂わん。 子夏云う、「賢者に対しては顔色を正して師事し、父母に仕える時は全力を尽くし、主君には真心を以て 仕え、友と交わるには言行一致し信義を守る。そのような人物であれば、周囲の人達がまだまだだと云ったとしても、私はもう十分に学問を修めた立派な人物だと考える。
8日

八、
子曰(しのたまわく)
君子(くんし)不重則(おもからざれば)不威(すなわちいあらず)学則(まなびてもすなわち)不個(こならず)(ちゅうしん)忠信(をしゅとし)無友不如(おのれにしかざるものを)己者(ともとするなかれ)過則勿憚改(あやまちてはすなわちあらたむるにはばかることなかれ)

子曰く、君子、重からざれば則ち威あらず、学びても則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすることなかれ。過ちては則ち改むるに憚ること勿かれ。 孔子は言われた。君子は、重厚さ、中味の充実が無ければ威厳はない。学問していても堅固でない、つまり質の充実、真心を生きる上の主にすることだ。この忠と信を大切にする者を友としなければならぬ。自分に過ちがあったら、真心にてそれを改めることを躊躇してはいけない。
9日 九、
曾子曰(そうしいわく)慎終(おわりをつつしみ)(とおくをおえば)民コ歸厚矣(たみのとくあつきにきす)
曾子曰く、終わりを慎み遠くを追えば、民の徳厚きに帰す。

曾子言う、人が父母の喪でも祖先の喪でも、丁寧に真心を尽くせば世間の人々は心服するであろう。

10日 十、
子禽問於子貢曰(しきんしこうにといていわく)夫子至於是邦也(ふうしのこのくににいたるや)必聞(かならず)(そのまつり)(ごとをきく)求之(これをもとめ)(しや)抑興之(そもそもこれにあた)(えしや) 子貢曰(しこういわく)夫子温良恭儉譲以得之(ふうしはおん・りょう・きょう・けん・じょうもってこれをえたり)夫子之求之也(ふうしのこれをもとめるや)其諸異乎人之求之與(それこれひとのこれをもとむるにことなるか) 
子禽、子貢に問いて曰く、夫子の是の邦に至るや必ずその政を聞く。これを求めしや、そもそもこれに与えしや。子貢曰く、夫子は温・良・恭・倹・譲を以ってこれを得たり。夫子のこれを求めるや、それこれ人のこれを求むるに異なるか。 子禽は子貢に尋ねた、「孔先生は国を訪れると必ず政治に関して国の役人から質問を受けられる。これは孔先生が自分で求められたのですか。それとも彼らが求めたのですか」 子貢は答えた。「孔先生は、温・良・恭・倹・譲という五つの徳をお持ちです、だから先方から求められるのです。例え、先生が求められたとしても物欲しげな世人の求め方とは違うのです」。
11日 十一、
子曰(しのたまわく)父在觀(ちちいませばそのここ)(ろさし)(をみよ)父沒觀(ちちぼつすればその)(おこない)(をみよ)三年無改於(さんねんちちのみちを)父之道(あらたむるなくんば)可謂孝矣(こうというべし)
子曰く、父いませばその志を観よ、父没すればその行いを観よ。三年、父の道を改むるなくんば孝と謂うべし。

孔子が言われた。父親在世の時は、父の目指す所を見るのがいい。父親死後は父の行いを見るのが良い。三年の喪が明けるまで父の定めた家の在り方をそのままにしておくのであれば孝行だといえる。

 

12日 十二、
有子曰(ゆうしいわく)禮之用和爲(れいのようはわをもってたっとし)(となす)先王之道斯爲(せんおうのみちはこれをび)(となす)小大由之(しょうだいこれによれば)有所(おこなわれざ)不行(るところあり)知和而和(わをしりてわすれども)不以禮節之(れいをもってこれをせっせざれば)(また)不可行也(おこなうべからず) 
有子曰く、礼の用は和を以って貴しと為す。先王の道はこれを美と為す、小大これに由れば、行われざる所あり。和を知りて和すれども、礼を以ってこれを節せざれば亦行うべからず。

有先生言う、礼式とか作法は堅苦しくならず、(なご)やかが大切。古代の優れた人達の在り様も和やかを佳しとした。
とは言、誰もがどの場合にも和やかで、まあまあの馴れ合いだと礼式・作法が乱れる。
礼式・作法の折り目正しさを忘れず、バランスが取れないと礼式が崩れる。
 

13日 十三、
有子曰(ゆうしいわく)信近於(しんぎにちかけ)(れば)言可復也(げんふむべし)恭近於(きょうれいにちか)(ければ)遠恥辱也(ちじょくにとおざかる)因不失(よることそのしんを)(うしな)(わざれば)亦可宗也(またたっとぶべし)
有子曰く、信、義に近かければ、言復むべし。恭、礼に近ければ恥辱に遠ざかる。因ることその親を失わざれば、亦たっとぶべし。 有先生いう。約束の中味が良くなくても、道理や義に反するものでなければ言った通りにしてよい。相手へ馬鹿丁寧でも、作法に反するほどのものでなければ恥をかくわけでもない。他人への度を過ぎた依頼でも在り方にそう外れていなければ相手へ尊敬心を持ち続けなさい。
14日 十四、
子曰(しのたまわく)君子(くんしはしょくに)食無求飽(あくるをもとむることなく)(おるに)無求安(やすきをもとむることなし)敏於事而慎於(ことにびんにげんにつつ)(しみ)就有道而正焉(ゆうどうにつきてただす)可謂好学也已(がくをこのむというべし)

子曰く、君子は食に飽くるを求むることなく、居るに安きを求むることなし、事に敏に、言に慎み、有道に就きて正す、学を好むと謂うべし。

孔子は言われた。君子は腹いっぱいの美食、贅沢な邸宅に住みたいとは思わぬ。なすべき仕事は素早く処理し、寡黙にして出しゃばらない。意見があれば先ず優れた人格者を訪問し正して頂く、こういう人を好学の士という。
15日

 

十五、
子貢曰(しこういわく)貧而無諂(ひんにしてへつらうことなく)富而無驕(とみておごることなくんば)何如(いかん) 子曰(しのたまわく)可也(かなり)未若貧而樂(いまだひんにしてたのしみ)富而好禮(とみてれいをこのむものには)者也(しかざるなり)
子貢曰(しこういわく)
詩云(しにいう)如切如磋(さするがごとくせっするがごとく)如琢如磨(たくするがごとくまするがごとし)其斯之謂與(それこのいいなるか) 子曰(しのたまわく)賜也(しや)始可與言詩已矣(はじめてともにしをいうべきのみ)告諸往而知來(これにおうをつげてらいを)者也(しるものなり)

子貢曰く、貧にして諂うことなく、富みて驕ることなくんばいかん。子曰く、可なり。未だ貧にして楽しみ、富みて礼を好むものには若かざるなり。
子貢曰く、詩にいう、「切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し」、それこのいいなるか。
子曰く、賜や、始めて与に詩を言うべきのみ。これに往を告げて来を知るものなり。

愛弟門人の子貢(通称は賜)が孔子に尋ねた。貧乏だが、どんな手段での物乞いもしない、金持ちで物で威張らない。そういう在り方は如何と。孔子は言われた、まあまあだな。貧しくとも人間としての生き方を考えたり、金持ちでも物の道理を求める者には及ばないと。子貢は物が豊かなことでなく、精神を鍛錬する方が上と分かり、「詩経」にあります、石を切る、()ぐ如く、()つ如く、()する如く心を磨けと仰っりたいのですね。孔子は褒めた。()(子貢の呼び名)よ、お前は詩が分かるな、お前となら詩を話し合える。話をするとその先が見える力がある。

 

16日

十六、子曰(しのたまわく)不患人之(ひとのおのれを)不己(しらざるを)(うれえず)(ひとを)己不知人也(しらざるをうれう)

子曰く、人の己れを知らざるを患えず、人を知らざるを患う。 孔子は言われた。他人が己の能力・力量を知らないと言う不満を持つな。自分が他人の能力・力量を知らないことこそ反省しなさい。