佐藤一斎「言志晩録」その六 岫雲斎補注 

       平成25年3月1日-3月31日

1日 129.          
聖人の治、世に棄人なし

物の所を得る。是れを治と為し、事の宜しきに(そむ)く。是れを乱と為す。猶お(えん)を治むるがごときなり。樹石の位置、其の格好を得れば、則ち朽株敗(きゅうしゅ)(はいが)も、亦皆趣を成す。故に聖人の治は、世に棄人(きじん)無し。 

岫雲斎
適材が適所にあれば天下は治っていると言う。事の不均衡は乱れである。これは丁度、庭園を整えるのと同じである。樹木や石の配置が格好好ければ、朽ちた木の株も、割れた瓦でも趣きを添える。だから聖人の治世には棄てられる人材は無い。

2日 130.        
  
()()は簡浄にすべし
歴代開国の初、人々自ら(やす)んじ、治務(はなは)(ひま)なり。(しょう)(へい)日久しければ、則ち(かみ)は台閣より、(しも)は諸局に至るまで、規則完備し、簿書(ぼしょ)累堆(るいたい)し、愈々久しうして愈々多し。(ここ)に於て瑣末(さまつ)の式法、(はん)()()えず。亦勢の必至なり。此の時唯だ当に務めて苛細(かさい)を除き、(これ)を簡浄に帰するを以て要と為すべし。平世著(へいせいちゃく)(がん)の処蓋し(ここ)に在り。 

岫雲斎
古今の歴史を通観すれば、どの国でも、開国当初の時には人々がみな安らかに落ち着いており政治上の事務もまことに閑散としている。太平の世が続くと、上は内閣から下は諸官庁に至るまで規則が完備し、帳簿書類が山積し、日を経るに従い益々それが多くなる。このような些細な仕来たりが多くなり煩瑣となり乱雑にたえないことになるのも自然の趨勢である。かかる時、務めて些細なことは排除し、簡潔でさっぱりすることが肝要である。平和の時代にあっての着眼点はここにあると思う。

3日 131.          
財を賑わすは租を免ずるに如かず
財を賑わすは租を免ずるに如かず。
利を興すは害を除くに如かず。
 

岫雲斎国民の懐を豊かにするには租税の減免をするのがよい。利を得るには害になるものを除外するしかない。

4日 132.          
役人や大臣の心得
仕えて吏と為る者は、宜しく官事を視ること家事の如く、公法を守ること()()の如く、僚友を待つこと兄弟(けいてい)の如くすべし。
則ち能く職分を尽くすと為す。唯だ大臣の(きょう)()(らい)磊落(らいらく)(らく)として、当に長松(ちょうしょう)(ろう)(かい)の風雨に振撼(しんかん)せられざるが如くなるべし。
則ち其の()()必ずしも人後(じんご)()らじ。
 

岫雲斎
仕官して役人になり事務を執る者は、自分の家庭の仕事をするように丁寧に公の法規を守る、天の命令を聞き卜筮(ぼくぜい)(()())を以て占う時のように厳粛に、同僚の友との交友は兄弟のように仲良くしなければならない。さすれば、よくその職分を尽くしたとなる。ただ大臣ともなると、胸中には、いつも大きな志を持ち、コセコセせずに高い松や檜の古木が風雨に振り負けないように小人どもに動かされてはならない。さすればその政治上の務めは人に負けることはない。

5日 133.          
大臣、大将の適格者
(がん)(けつ)の心を抱く者にして、以て台閣に居る可く、礼楽の実を得る者にして、以て将帥に任ず可し。 

岫雲斎
高山の岩屋の中に棲み、世間を超越した精神を持つ人物こそ内閣に列し天下の政治を執行できる。また礼儀を心得て身を慎み、心を和らげる音楽の本質の分る人間こそ初めて大軍を統率できる大将として適任である。

6日 134
功利の徒の言説は警戒を要す
国に道有る時は、言路開く。慶す可きなり。
但だ(おそ)る、功利の徒、時に乗じて紛起(ふんき)群奏(ぐんそう)し、其の実或は(おおい)相左(しょうさ)する者有るを。
深く察せざる()からず。
 
岫雲斎
国に正しい道が行われている時は、下の者も思うことが言えるがこれは誠に喜ぶべきことである。ただ危惧するのは、功利を目的とする人達が言路の開かれているのにつけこんで、彼方此方に現れて色々奏上し、中には大いに国家の進む道と違うことがある。この点は大いに注意を要す。
7日 135.          
世清き時と世濁る時
世清き時も、亦(すなわ)ち小天の処有り。世濁る時も、亦(すなわ)(しょう)(とく)の処有り。 

岫雲斎
世が清らかに治っていると思われる時でも、良からぬ所は少しはあるものた。油断は禁物である。世の中が濁り乱れていても幾分は良い所があるものだ。

8日 136.          
政治の要訣
「水至って清ければ、則ち魚無く、木(ちょく)に過ぐれば、則ち蔭無し」とは、政を為す者の深戒なり。
(かしこ)遺秉(いへい)有り。此に(たい)(すい)有り。
()れ寡婦の利なり」とは、(はん)して政事と()す。
(たまたま)好し。
 

岫雲斎
「水が清らか過ぎると魚がすまない。木が真っ直ぐ過ぎると蔭が出来ない」とは、政事が綺麗過ぎると人材が集らぬということである。これは政治をなす者の深い戒めである。また「あすこら取り残さされた稲束があり、ここに稲穂が落ちている。頼る者のいない寡婦もこれを拾って(とく)をする」とあるのは、これは政治面で見たらまあ良いことである。

9日 137.          
幕政謳歌論
その一
(せつ)(めい)に、明王、天道を奉若(ほうじゃく)して、邦を建て都を設け、后王、君公を樹て、承くるに大夫、師長を以てすと。此れに()るに、封建の制は天道なり。(とう)()三代相沿()りて、治を保つこと久遠(きゅうえん)なりき。秦已後(しんいご)変じて郡県と為り、而して世数(せすう)も亦促せり。余聞く、西洋諸国は地球を周回し、国土を分かちて五大州と為す。而れども封建の邦、惟だ我れを然りと為すのみと。又独立自足して、異域に仰ぐ無く、?(わずか)に漢蘭の二国有りかれの来たりて貿易するを許す。是れ亦良法なり。我が邦に在りと雖も、古代は則ち制、漢土に()れり。 神祖に至りて、郡県は其の名を存じて、封建は其の実を行う。神算ならびし無しと謂う可し。郡県の世、王室(まつりごと)を失い、海内(かいだい)すなわち土崩(どほう)瓦解しき。惟だ封建は則ち列候各々其の土を守り、庶民も亦其の主の為に保護す。是れ其の固き所以なり。然れども国に興廃有るは、則ち気数の自然なれば、人力を以て之を守るは又人道の当然なり。我れ幸に此の土に生れ、堯舜の(たく)(もく)(よく)すれば、自ら慶する所以を知らざる()けんや。(りゅう)柳州(りゅうしゅう)の封建論は、吾が取らざる所なり。 
10日 138.          
幕政謳歌論 
その二
沿海の(こう)(こく)鎮兵(ちんぺい)たれば、外冦は覬覦(きゆ)(やす)からず。但だ内治何如(ないちいかん)を問うのみ。内治には何の別法か有らん。謹んで祖宗の法を守り、名に(したが)いて以て実を(うしな)うこと勿れ。 敬みて祖宗の心を体して、(やすき)(ぬす)んで危きを忘るること勿れ。然るに後天変畏るるに足らず人言(じんげん)(いまし)むるに足らず。(いわん)や区区たたる(りん)(かい)の族に於てをや。尚お(うれ)うるに足らんや。
11日 139.          
こん内のことは政庁に感応す
人主のこん内の事は、外人の知らざる所なり。然るに外廷(がいてい)感応(かんのう)の機は、(まさ)(ここ)に在り。国風の(はく)初頭(しょとう)関しょ(かんしょ)は則ち此の意なり。

岫雲斎
人の君主の奥向きのことは知る所ではないが、然しそれは自然と政庁に感応して来るのは間違いない。詩経は国風の開巻第一にある関しょ(かんしょ)の一章はこの意味である。

12日 140. 関しょ(かんしょ)の化

関しょ(かんしょ)の化は、葛覃(かつたん)(けん)()に在り。勤倹の風宜しく此れより()を起こすべし。 

岫雲斎
関しょ(かんしょ)が世間に及ぼす感化は元はとと言えば、葛覃(かつたん)(けん)()の篇にある。勤倹の風はこれを基にして起きたものであろう。

13日 141.婦徳と婦道 婦徳は一箇の貞字、婦道は一箇の順字。 

岫雲斎
婦人の徳操は夫を正しく守って行く貞の一字に在る。また婦人の処世の道は従順の一字にある。(-ん、隔世の感あり)

14日

142.
婦女子の華美を戒む

婦女の服飾の美麗を以て習と為すは、殆ど不可なり。人の男女有るは、禽獣の雌雄(しゆう)(ひん)()有ると同じ。
試に見よ、(ゆう)()は羽毛飾有りて、()(ひん)には飾無きを。天成の状是くの如し。
 

岫雲斎
婦女子が服装を美麗に飾ることを風習とすることはよくない。人間に男女があるのは鳥に雌雄があり、獣に牝牡があるのと同じである。試しに見るがよい、雄には羽毛の飾りがあるが雌には飾りが無い。天然自然の有様はこのようなものである。

15日 143.
政治の外症と内症
大臣の権を弄するは、病猶お外症のごとし。劇剤一瀉(いっしゃ)して除く可きなり。若し権、宮?(きゅうこん)に在れば、則ち是れ内症なり。良薬有りと雖も施し易からず、之れを如何せん。 

岫雲斎
大臣が権力を悪用するのは身体で言えば外症であるから劇薬を使用して一挙に除去すればよい。然し、権力が大奥にあれば、これは内症であるから良薬があっても中々施し難い。どうするべきか。

16日 144.
奥向きの教育を思う
方今(ほうこん)諸藩に講堂及び演武場を置き、以て子弟に課す。但だ宮?(きゅうこん)に至りては、則ち未だ教法有るを聞かず。吾が意欲す、「宮?(きゅうこん)に於て区して女学所を(つく)り、衆女官をして女事を学ばしめ、宜しく女師の謹飭(きんちょく)の者を()き、之をして(じょ)(かい)、女訓、国雅の諸書を講解せしめ、(じょ)(れい)(ひっ)(さつ)(とう)(こう)、茶儀を併せ、各々師有りて以て之を課し、(かたわ)()(そう)(きょく)、弦歌の淫靡(いんび)ならざる者を許すべし」と。則ち?(こん)内必ず粛然たらん。 

岫雲斎
現今、各藩では学問所や武芸道場を設けて青年に勉強させている。ただ奥向きに対しては何らの教育方法がないようである。自分は次ぎのような教育にしたいとの意欲を持つ。「奥に区画を立て、婦女の学問所を作り多くの女官に女性の道を学ばせたい。慎み深い女性師匠を択び、女性としての戒め、訓え、和歌などの講義、また礼儀作法、習字、香道、茶の湯などの師匠をつける。傍らに、(そう)(きょく)、弦歌など、淫らでないものは許可する」と。さすれば奥向きは必ず粛然として正しくなるだろう。

18日 145          
幼主は交友を択ぶべし
人主の賢不肖は、一国の理乱に係る。(みょう)年嗣(ねんし)(りつ)の者、最も宜しく交友を択むべし。其の視効(みなら)う所、或は不良なれば、則ち後遂に邦家を誤る。(おそ)る可きなり。 

岫雲斎
主君の賢いか否かで国の盛衰が決まる。若年の後継者は交友を選ばなくてはならない。見習う人物が悪いと後日、遂に一国を亡ぼすに至るからである。これは恐るべきことである。

19日 146.
真の是非と仮の是非
凡そ事には真の是非有り。仮の是非とは通俗の可否する所を謂う。
年少未だ学ばずして、先ず仮の是非を了すれば、後に
およんで真の是非を得んと欲すとも、亦入り易からず。
謂わゆる先入主と為り、如何ともす可からざるのみ。
 

岫雲斎
世の中の事は全てに真の善悪と仮の善悪がある。仮の善悪とは、世間の人が善いとか悪いとか言っていることである。年少でまだ学問が不十分の時に、仮の善悪を身につけると後になり真の善悪を知りたいと思っても容易でないことになる。これは「先入のものが主」となってしまったからで如何ともし難いのである。

20日 147.
人主、飲を好むは害あり
人主、飲を好むは(はなは)だ害有り。
式礼を除く外は、宜しく自ら禁止すべし。
百弊皆此れより興る。
 

岫雲斎
トップが酒を飲むのは甚だ害がある。儀式の場合はやむを得ないが、それ以外の場合は自ら禁止すべきである。色んな弊害はみなトップが酒を飲むことから起きている。

21日 148.
上役に対する態度
官長を視るには、猶お父兄の如くして、宜しく敬順を主とすべし。
吾が議()し合わざること有らば、宜しく(しばら)く前言を置き、地を替えて商思(しょうし)すべし。
(つい)に不可なること有らば、(こう)(じゅう)す可きに非ず。
必ず当に和悦して争い、敢て易慢(いまん)の心を生ぜざるべし。
 

岫雲斎
役所の長官に対しては、父兄に対するように敬し従うことを第一にするが良い。もし自分の意見と違うことがあれば、暫くの間、そのままにしておき、立場を替えて、自分が長官になったつもりでよく心に計り考えてみるべきだ。どうしても、長官の言うことに良くない所があれば、決して、かりそめにも従ってはならない。然し、この場合、必ず、ニコニコとして論じ合い決して長官を侮る心を起こしてはならない。

22日 149.
交友の道
僚友に処するには、須らく能く肝胆を披瀝して、視ること同胞の如くなるべし。面従す可からずと雖も、而も亦乖忤(かいご)す可からず。党する所有るは不可なり。(さしはさ)む所有るは不可なり。ぼう疾(ぼうしつ)する所有るは最も不可なり。

岫雲斎
同僚との交際は、すっかり心中を打明けてまるで兄弟のようにするのがよい。媚びたり(へつら)ったりするのは良くない。背き逆らうのもよくない。また党派をつくるのもよくない。己を頼み誇るのもよくない。妬みは最もよくない。

23日

150.
恩と怨

恩怨(おんえん)分明(ぶんめい)なるは、君子の道に非ず。

徳の報ず可きは(もと)よりなり。

怨に至っては、則ち当に自ら其の怨みを致しし所以を怨むべし。
 

岫雲斎
恩を受けたら恩を返し、怨みを受けたら怨みを返すというように、恩と怨みをはっきりと分けることは君子のしてはならないことだ。徳を受けて報いるのは申すまでもないことだ。怨まれた場合は、怨まれるに至った原因をよくよく考えて、その原因を怨むべきであろう。

24日

151.
人情の向背(こうはい)は敬と慢にあり

人情の向背は、敬と慢に在り。
施報(せほう)の道も亦(ゆるがせ)にす()きに非ず。
恩怨は或は小事より起る。慎むべし。
 

岫雲斎
人情が自分に向くか、背をむけるかは敬と慢の二字にある。即ち、人を敬すれば人に思われる。人を(あなど)れば人に背かれる。人に恵みを施すとか恩に報いる道も同様に忽せにしてはならない。恩とか怨は、小さな事から起るものである、慎まなければならない。

25日 152.
失敗は慣れない者に少なく、慣れた者に多い
官に居る者は、事未だ手に到らざる時、(はん)()()ずるが如し。歩々艱難すれども、(かえ)って蹉跌(さてつ)無し。
事既に手に到れば、阪路を下るが如し。
歩々容易なれども、(やや)もすれば顛賠(てんばい)を致す。
 

岫雲斎
役所で仕事をしている者は、事務に慣れない間は、そそれは坂道を攀じ登るようなもので一歩一歩が困難であるが、それで却って失敗は無い。これに反して仕事に慣れてくると、それは坂道を下るようで容易であるが却って躓くようなものだ。

26日

153.

事物を取り扱う心得

事物に応酬するには、当に先ず其の事の軽重を見て而る後に之を処すべし。仮心(けしん)を以てすること勿れ。習心を以てすること勿れ。
多端を厭いて以て(かり)(そめ)なること勿れ。
穿鑿(せんさく)に過ぎて以て
きょ住(きょうじゅう)すること勿れ。
 

岫雲斎
物事を取り捌いて行くには、先ずその事の大切さの度合を見てから処理しなくてはならぬ。いい加減な心でしてはいけない。慣習で手馴れているからと疎かにしてはならない。多忙を口実に粗略に扱うのもいけない。また根掘り葉掘り穿鑿して引き延ばしておくのもよくない。

27日 154.

権貴に対す
その一
大人(たいじん)に説くには則ち之を(かろん)じ、其の巍々(ぎぎ)(ぜん)たるを視ること勿れ」視ること勿れとは心に在り。
目には則ち熟視するも亦妨げず。
 

岫雲斎
孟子の言葉であるが、「自分より優れた立派な人に対して自分の説を開陳する場合には、心を平然と保ち、寧ろ相手を軽く視て、その巍々とした盛大な容儀に位負けしてはいけない」とある。視る勿れとは、心で視てはいけないことで、自分の目は相手を熟視しても差し支えない。

28日 155.

権貴に対す
その二
心に(せい)()を忘れて、而る後に権貴と(とも)に語る可し。 

岫雲斎
人は心のうちに、勢力や利益を得ようなどという野心を忘れ去って初めて権力者や貴人と対等に話ができるものである。

29日

156.

権貴に対す 
その三

権貴の徳は、賢士に下るに在り。賢士の徳は、権貴に驕るに在り。 

岫雲斎
権力者や貴人の守るべき徳は賢い人物にへり下ってその説を聴く所にある。また賢い人物のたるべき正道は権貴を恐れず自分の言いたい事を言う事である。

30日 157.

上官には敬慎、下官には敏速
上官、事を我に(しょく)せば、我れは宜しく(けい)(しん)鄭重なるを要すべし。下吏(かり)、事を我れに請わば、我は宜しく区処(くしょ)敏速(びんそく)なるを要すべし。但だ事は一端に非ざれれば、則ち鄭重にして期を(あやま)り、敏速にして事を誤るも、亦之れ有る()し。須らく善く先ず其の軽重を(おもんばか)り、以て事に従うを之れ(よう)と為すべし。 

岫雲斎
上役の仕事上の指示は、鄭重に慎んですることが必要である。
下役が自分に仕事を依頼してくれば適当に区切りをつけつつ敏速に処理するがいい。
但し、仕事は単一ではないから余りに丁寧過ぎて期限に遅れたり、敏速過ぎての失敗もある。
だから、仕事の軽重を十分考えてから着手することが肝要である。

31日 158.
事を為すの心得

人の事を()すには、須らく其の事に就いて自ら我が量と才と力との及ぶ()きかを(はか)り、又事の緩急と齢の老荘とを把って(あい)比照(ひしょう)して、而る後()()すべし。然らずして、(ぼう)()もて手を下さば、殆ど狼狽(ろうばい)を免れざらん。 

岫雲斎
仕事をするに当り必ず自己の度量、才能、力量を勘案しその仕事を為し得るかよく考え、またその仕事の急ぎ具合と自己の年齢、老若程度を比較し「成功する目安をつけて」から着手しなくてはならぬ。かかる事を思案せずに手を下したならば恐らく中途でうろたえることとなるであろう。 

31日の2 159
果断の原動力
果断は義より(きた)る者有り。智より来る者有り。勇より来る者有り。義と智とを併せて来る者有り。(じょう)なり。()(ゆう)のみなるは(あやう)し。 

岫雲斎
決断実行は正義感からのもの、知恵からのもの、勇気からのものとある。正義感と智恵の二つに基づいた決断が最上のものである。単なる勇気による決断は危険である。