人つくり本義」その七 安岡正篤 講述 「人つくり本義」索引
人づくり入門 小学の読み直し
三樹 一年の計は穀を樹うるに如くはなし。
平成23年3月
3月 1日 |
人間も植物と同じく剪定する必要がある |
明道先生曰く、道の明らかならざるし異端之を害すればなり。昔の害は近うして而ち知り易し。今の害は深うして而ち弁じ難し。昔の人を惑わすや其の迷暗に乗じ、今の人に入るは其の高明に因る。自ら之を神を窮め化を知ると謂ひて、而も以て物を開き努を成すに足らず。 |
3月 2日 |
言周へんならざるなしと為して、実は則ち倫理に外れ、深を窮め微を極めて而も以て堯舜の道に入るべからず。天下の学、浅陋固滞 |
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3月 3日 | 五衰 |
程明道先生曰く、「道の明らかならざるし異端之を害すればなり」、道の明らかにならないのは、つまり根本に対する異端邪説が害するからである。本筋から離れて行うから、これず害になる。人間も植物の栽培と同じで剪定をしなければならない。異端邪説と言った枝葉末節を取り除かねばならない。 |
3月 4日 | 青少年時代に欲望のままにさせておくと |
第一に懐の蒸れと云って枝葉が茂る。これを取り除かねば風通しが悪くなる。そうすると梢止まり(うら止まり)と言って梢の延びが止まってしまう。これを放っておくと、根上がり・裾上がりということが始まる。地中から養分を吸い上げる根の力が弱くなって、根が上がってくる。それに乗じて必ず虫がつき、てっぺんから枯れてくる。これを梢枯れと言う。これが五衰というもので人間も同じこと。青少年時代に欲望のままにさせておくと、直ぐ成長が止まり色々な虫がついて駄目になってしまうことは確かであります。 |
3月 5日 |
その弊害も昔は近くて知りやすかったが、今は深くてなかなか弁じ難い。昔の人は知識が余り発達しておらなかった為に、従って無知である。その無知に乗じて人を惑わす。今の知に惑の入りこむのは、知識が発達して何でも分るために、その発達した知識につけこむ。自分自身は深いところを極め、宇宙人間の造化を知っておるんだと思うて、しかもその知性というものはどうかと言うと、開物政務、本当に物を極めた性能を開発して、それをなおさねばならぬ人間社会大切な務めを完成してゆく役には立たない。 |
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3月 6日 | 本当の道とは |
文章や議論等が行き届いておるようであって、実は人間同志の理念に外れ、そうして深を極め、数を極めて堂々たる恰好はするが、然も人間の本当の進歩向上を計る道に入ることが出来ない。おおよそ世の中の学というものは、浅くて卑しく、或はかたくなに停滞しておるのでなければ、逆にこういう風に開物政務にはならないのである。これは、よらねばならぬ本当の道が明らかでないからである。 |
3月 7日 |
そこでよこしまな、でたらめな、或は変なみだりがましい説が競い起こって、民衆の耳目を塗りつぶし、天下を汚濁に溺らせるのである。高才明智のある人も見聞になずんで、酔生夢死して自ら覚ろうとしない。これみな正しい路がいばらで荒れ阻まれ、神聖な門がふさがってしまっておるからで、これを開いた後に、何が本当の知であり、道であるかという事 |
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3月 8日 |
陶侃広州の刺史となる。州に在って事無ければ輒ち朝に百甓を斉外に運び、莫に斉内に運ぶ。人その故を問う。答えて曰く、吾方に力を中原に致さんとす。過爾に優逸せば、恐らくは事に堪へざらんと。 |
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3月 9日 |
其の志を励まし力を勤むる者皆此の類なり。後に荊州の刺史となる。侃・性聡敏にして吏職に勤む。恭にして而て礼に近づき、人倫を愛好し、終日膝を斂めて危坐す。?外多事にして、千緒万端なれども遺漏有る罔く、遠近の書疎手答せざる莫し。筆翰流るる如く、未だ嘗て壅滞せず。疎遠を引接し、門に停客無し。常に人に語って曰く、大禹は聖人なるに乃ち寸陰を惜めり。衆人に至っては当に分陰を惜むべし。豈逸遊荒酔すべけんや。生きて時に益無く、死して後に聞ゆる無きは是れ自ら棄つるなりと。 |
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3月10日 |
諸参佐譚戯を以て事を廃する者あれば、乃ち命じて其の酒器蒲博の具を取って、悉く之を江に投じ、吏卒には則ち鞭?を加う。曰く、樗蒲は牧猪奴の戯のみ。老荘浮華は先王の法言に非ず。行うべからざるなり。君子は当に其の衣冠を正し、其の威儀を摂むべし。何ぞ乱頭を養望して自ら弘達と謂う有らんやと。 |
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3月11日 |
陶侃列伝にある。陶侃が今の広東地方の長官になった。毎日役所にあって仕事が無ければ、朝積んである瓦を書斎の外に運び、夕暮に又それを内に運ぶ。人がそのわけを訊ねた処、答えて言うには、吾方に力を中原に致さんとす。丁度、南北朝の大動乱の始まる直前であります。今に本土が大動乱になれば、私は懸命の力を捧げねばならぬ。いい加減にのせくらしておったならば、恐らくはその任に耐えることが出来ないであろう。その為に、今から身神を鍛え力をつくっておくんだと。 |
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3月12日 | 後、荊州の長官となる。荊州は揚子江中流の要害の地で、南北勢力の激突する一つの中心地であります。侃は性聡敏にして官庁の職務に精励した。恭にして礼に近づき、人倫を愛好し、終日膝を揃えて坐っていた。当時は日本と同じ坐り方であります。役所の仕事以外に人間生活の用事が多く、それでいて万端遺漏無く親しいものや疎遠なものから来る手紙だの意見書だのには、一々答えざることがなかったという。 | |
3月13日 |
なかなか出来ないことであります。筆翰は流るる如く、未だ嘗って停滞したことはなかった。疎遠なものでも引接し、門に停る客がないくらいであった。常に人に語って言うには、 |
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3月14日 | 豚飼いの道楽 |
生きてその時代に益なく、死んで後に名も聞こえないのは、自分自らこれを棄てるのである。諸々の補佐役がつまらぬ娯楽や遊戯をやって仕事をしないものがあると、命令して酒器や博奕道具を取り上げ、悉く揚子江にぶち込み、下役人や防衛関係の下っぱ役人には鞭をふるつてこれをぶった。そうして言うには、賭事は豚飼いの道楽に過ぎない。 |
3月15日 | 威儀を整えることの肝要 |
老荘浮華は観念や文筆の遊戯で、見てくれはよいが、人間が法とするに足る正しい言葉ではない。行うべきでない。君子というものは必ず衣冠を正し、威儀を整えなければならない。頭を乱し、そういうことを以てしゃれておると思っておるような人間に、物に拘泥しない、人間の出来ておるという道理があろうかと。 |
3月16日 | 朋友の道 |
司馬温公嘗って言う、吾れ人に過ぐるもの無し。但だ平生為す所、未だ嘗て人に対して言うべからざるもの有らざるのみ。 |
3月17日 |
自分は人に過ぐるものがない。平凡である。但だ平生行うところ、未だ嘗って人に言うことの出来ないようなものがないだけであると。これは然し偉大なことだ。 |
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3月18日 | 妄語せざるから始めよ |
劉忠定公、温公に見え、心を尽し己を行うの要、以て終身之を行うべきものを問う。公曰く、其れ誠か。 |
3月19日 |
劉公、初め甚だ之を易とす。退いて而て自ら日に行う所と凡の言う所とを??するに及んで、自ら相掣肘矛盾するもの多し。力行すること七年にして而る後成る。此れより言行一致、表裏相応じ、事に遇うて坦然常に余裕有り。 |
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3月20日 |
(いん)も(かつ)も曲がらぬようにする撓木のこと。何事も力行することが大事であります。 |
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3月21日 |
丹書に曰く、敬・怠に勝つ者は吉なり。怠・敬に勝つ者は滅ぶ。義・欲に勝つ者は従ひ、敬・義に勝つ者は凶なり。(礼記) |
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3月22日 |
丹書は今日伝わっておりません。周の武王位について、太公望に皇帝の道を尋ねたところ、丹書に曰くと言って説明したということであります。 |
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3月23日 |
曲礼に曰く、敬せざること母れ。儼然として思ひ、辞を安定し、民を安ぜんかな。傲は長ずべからず。欲は従にすべからず。志は満たすべからず。楽は極むべからず。賢者は狎れて而も之を敬し、畏れて而も之を愛し、愛して而も其の悪を知り、憎みて而も其の善を知り、積みて而も能く散じ、安に安んじて而も能く遷る。財に臨んで苟免する母れ。狠うて勝を求むる母れ。分ちて多を求むる母れ。疑はしき事は質むる母れ。直くして而て有する母れと。 |
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3月24日 |
曲礼は礼記の一章。浅はかな人は、こんなことを一々苦にしておれば何も出来ないと云うが、それは大きな間違いであります。 |
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3月25日 | 君子に九思 |
君子に九思あり。 |
3月26日 |
世界最初の医書と言われる「素問」の第一章には、あらゆる害の中で恚(怒り)が一番悪いと言っている。近代アメリカ医学は、人間の感情と汗や呼吸等との関係を調べて、怒りが最も毒素を出すことを証明している。その毒素の注射をしたモルモットは頓死したと言うことであります。癌に罹る人に怒りっぽい人が多いそうであります。 |
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3月27日 |
従って、「おんにこにこ、腹立つまいぞや、そわか」が一番良いのであります。然し、余り怒らぬと人間はだれる。私憤はいけないが公憤は良い。それよりも自分の不肖に対する怒りは大いに発したいものであります。 |
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3月28日 -31日 |
伊川先生曰く、近世浅薄、相歓狎するを以て相与すと為し、圭角無きを以て相歓愛すと為す。此くの如きもの安ぞ能く久からん。若し久きを要せば、須く是れ恭敬なるべし。君臣朋友皆当に敬を以て主と為すべきなり。 程朱の学は、道徳的に見てカントの哲学に相通ずるものがあります。よく私は計圭角がありますと申しますが、圭とは玉ということで、人を論ずるのに、あれは圭角があるというのはよいが、己を論ずるのに、私は圭角がある、と自分玉にするのはとんでもないことであります。 |