吾、終に得たり 10.  岫雲斎圀典
              
--釈迦の言葉=法句経に挑む
多年に亘り、仏教に就いて大いなる疑問を抱き呻吟してきた私である。それは「仏教は生の哲学」でなくてはならぬと言う私の心からの悲痛な叫びから発したものであった。平成25年6月1日

平成26年3月

1日 266句

(かて)をひとに乞うがゆえに 彼は比丘(びく)にあらず けがれある法を 身に持つ間は なお比丘とは よびがたし

他人に食べ物を乞い歩くから比丘ではない。あらゆる教えを学んだからとて比丘とは言えぬ。

2日 267句

ひと()しこの世にて 福業(よし)悪業(あしき)とを 共に離れ た清浄(きよらか)なる 行いをなし 智慧をもて 世を渡らんに 彼こそは 比丘(びく)とよばれん

この世で善いこと、悪いことと二つを捨て、ただ清く暮らし、行いを正し、聡明に生活する者こそ比丘と言われるべきである。

3日 268句

唯 黙すればとて おろかにして 知ることなくば ()()にはあらず 智者は 権衡(はかり)を 手にするがごとく 善きをとり

沈黙を守っても愚かで智慧が無ければ聖者とは言えぬ。度量衡を手にするご如く善を自ら選び

4日 269句

あしきをすてて 黙せるがゆえに 彼は()()なり 人 もしこの世にてて 善悪の二つを はからんには これによりて 牟尼とは呼ばれん

悪を行わず沈黙があるからこそ聖者と言われる。この世で、善と悪、この二つを量り知るものこそ聖者と言われる。

5日 270句

生命(いのち)あるものを (そこな)うは聖者にあらず すべての 生きとし生けるを そこなわざるがゆえに 聖者とはよばるるなり

命あるものを害う者は聖者ではない。あらゆる命あるものを損なわないから聖者と呼ばれるのだ。

6日 271句

身に 戒を保つことにより または聞くこと 多きにより はたまた 三昧(やすけき)をうることにより あるいは (しず)かにる住処(ところ)に 臥すことによりて

ただ道徳的行為によっても、また多く学問することによっても、精神を統一することをしても、また閑静に臥したからとて

7日 272句

これらのみによりて われは 凡夫の知らざる 出離のたのしみには 達せざるべし 比丘よ いまだ漏尽(さとり)に至らずは こころ安んずるななれ

それらのみで、世の中の人々の知ることの出来ない出離の精神的喜びは自覚はできない。おお比丘よ、盲目的欲望から自由に出来ない間は、決して心を安んじてはならぬ。

8日

第二十品

道行(みち)

273句

八つ()()こそ すぐれたるもの かの四つの教句(おしえ)こそ 真理(まこと)の最上なり もろもろの法の中にて むさぼりを離るること 最もとうとく 両足(ひと)の中にては (ちえ)(そな)えたる仏陀(ほとけ)こそ 最も尊し

八正道が最上の道である。苦集滅道の四句は多くの真理の中で最上のものだ。盲目的欲望を絶つことは諸々の徳の中で最高のものなり。人間のもつ最高にして尊貴なものとは真理を洞察する眼を持つことである。(八正道=正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)

9日 274句

これぞ ひとの 知見(まなこ)(きよ)むるの道 かかるほかには道なし (なんじ)ら この道をすすむべし この道は 誘惑者(まよわし)を やぶるものなり

智慧と見識を清らかにするのはこの道だけでありその外には決してない。お前たち、この道を踏みはずなかれ、迷いに負けることはない。

10日 275句

汝等 この道を往かば くるしみの ()()に至らん われすでに くるしみの()を ()きたれば 今こそ (なんじ)らのために 道を説くなり

もしお前たちがこの道を踏みしめ進むならば、苦しみの終わりに到着する。既に私は迷いの矢を抜き取り直すことを知ったので、その道を説き示したのだ。

11日 276句

如来(ほとけ)は法を説く者なり (なんじ)らはただ つとめよ こころをおさめ この道を往くものは 誘惑者(まよわし)(きずな)を のがれん

如来はただ道を説くものである。お前たちはその道にただいそしみ励まねばならぬ。この道を踏み行う者は迷いから逃れることができる。

12日 277句

「すべての(もの)は無常なり」

と かくのごとく 智慧もて知らば 彼は その苦をいとうべし これ清浄に入るの道なり

「作られた全てのものは永遠ではない」即ち諸行無常。このことを智慧により見知した人々は、世の中の苦しみが厭わしくなる。これは清らかなる生に至る道である。

13日 278句

「すべての(もの)は くるしみなり」と かくのごとく 智慧もて知らば 彼は そのくるしみを厭うべし これ清浄に入るの道なり

「作られた凡てのものは苦痛なり」即ち一切(いっさい)(かい)()は真理なり。これを智識により見知すれば世の中の苦は厭わしくなる。これが清らかな生の道である。

14日 279句

「すべての(もの)は わがものにはあらず」と かくのごとく 智慧もし知らば 彼は そのくるしみを厭うべし これ清浄に入るの道なり

「凡てのものは我が物に非ず」即ち諸法無我。これを智識で知れば現象世界を厭うようになり、そして清らかな生を送ることができる。

15日 280句

起くべき時に 起きず わかき日を 怠惰にふけり (おも)()はよわく 恩量(はかり)すくなし かかるはげみなき者は

かかるはげみな者は 智慧さえ 道を知るあたわざらん

起きるべき時に起きず、若い力強き時に怠惰して、決心と思彙が弱く、事に励み無き安逸者は知恵による道を知らない。

16日 281句

ことばをつつしみ (おもい)をととのえ 身に不善(あしき)()さず この三つの形式によりて おのれをきよむべし かくして 大仙(ひじり)の説ける道を得ん

言葉を慎み、意思をよく統御し、身体上の不善をなさない。この三つの行いを清らかにすれば仏の説いた道を得ることができる。

17日 282句

ひたごころによりて 智慧は生まれん ひたごころなくば 智慧はほろぶなり この生ずると 亡ぶるの 二つの道を知り 智慧の増すがごとくに おのれを行ずべきなり

思惟を静め集めれば智慧が生まれる。思惟が散漫なれば智慧は滅びる。いかにすれば智慧が生まれるか亡びるか、この二つの道を知り智慧が増すように自らの修養が不可欠である。

18日 283句

単樹(ひとつき)を切らんより まよいの林を伐るべし 危難(おそれ)はこの林よりきたる まよいの林と 欲の下生(したばえ)とを切らば 比丘らよ まよい なきものとならん

一本の木を伐るだけでなく欲望の林を悉く切倒しなさい。欲望の林から恐怖が生まれるのだ。林と林の下生えを伐れば、比丘たちよ、その時こそ欲望は根絶される。

19日 284句

男性(おとこ)の 女性(おんな)にむかいて いささかなりとも 性欲(おもい)の小枝を たちきることなくば そのあいだ 彼の意欲(おもい)は なお繋縛(けばく)せらる 乳をしたう仔牛の 母牛より 離れがたきがごとく

ほんの僅かでも男が女に対する愛欲を断ち切ることが無ければ、男の心はそれに縛られる。それは乳を飲む仔牛が母牛に対するようなものだ。

20日 285句

(なんじ)の手にて 秋の蓮をたつがごとく おのれの()()をたつべし かくして 寂静(じゃくじょう)の道を養うべし この涅槃(しずけさ)は 善逝(ほとけ)によりて ときいだされたり

秋の蓮を手で折るように愛欲を断ち切りなさい。さすればこの寂静の道を得ることができ自由の境地に到達すると仏陀は説かれた。

21日 286句

「ここにて この雨季(つゆ)を過さん ここにて 冬を かしこにて 夏をすごさん」

心なきものは かく思いて 死の近づくを さとらず

「ここで雨季を過そう、寒季と暑季の間は あそこで過そう」愚かしき者はこうして自らの死期の近づくのを悟らない。

22日 287句

もし人 おのが子 おのが家畜の愛におぼれ そのこころ すべてに(じゃく)さば 死王は彼を(らっ)し去らん まこと 眠れる村を 暴流(おおみず)の漂わし 去るがごとく

子供や家畜に愛を注いで執着する人は、洪水が眠った村を押し流してしまうように死は彼を伴って去って行く。

23日 288句

この義理(ことわり)を知りて 心あるひとは ただ おのずから 戒をまもり 涅槃(さとり)にいたるべき道を げにすみやかに 歩むべし

この深いことわりを知れば、心ある賢い者は道徳により身を守り慎み、速やかに自在の境地へと道を歩みなさい。

24日 289句

子も 父も 親族も 救護者にはあらず 死に 捉えられたる者を 親族も すくう(あた)わず

子も、父も、親戚も 死に捉えられた者は頼りにならぬ。救うことはできないのだ。

25日 290句

この義理(ことわり)を知りて 心あるひとは ただ おのずから 戒をまもり 涅槃(さとり)にいたるべき道を げにすみやかに 歩むべし

この深いことわりを知れば、心ある賢い者は道徳により身を守り慎み、速やかに自在の境地へと道を歩みなさい。

26日

第二十一品

(さまざま)

290

ささやかなる たのしみを棄てて ()し 大きなる たのしみを得んとせば かしこき人は 彼岸(さとり)の大楽をのぞみて 小さきたのしみを すてさるべし

もし小さい幸せを捨て去れば広大な幸福を得るとすれば、その小さい幸せは捨てるがいい。悟者はこうして大いなる安楽を得るのである。

27日 291句

(ひと)にくるしみを あたえるによりて おのれのたのしみを 求むるもの 怨憎(おんぞう)繋縛(けばく)にほだされて ついに怨憎を のがるるの日なし

他人に苦しみを与えて自らの幸せを得れば窮極的には怨みから逃れられない。

28日 292句

まこと なすべきを なおざりにし なすべからざるをなし 戯れにおぼれ しかも なすところ 放逸(なおざり)なるもの かかるひとびとに 悪習(まよい)増長(いやまさ)

せねばならぬ努めを怠り、してはならぬ行いをし、慎みもなく怠惰、こういう人には本能的衝動の悪習が増長する。

29日 293句

つねに 善くつとめて 身につつしみあり なすべからざることに 遠ざかり つねになすべきを行い 思い深く さとれるもの 悪習(まよい)は かかる人に消えん

常にいそしみ励んで自らの言動を反省し慎み、悪い行いもない人、かかる注意深さの思慮ある智慧のある人に迷いはない。

30日 294句

「愛」という母と 「我慢(たかぶり)」という父をほろぼし 「()()」と「常見(あり)」との 二人の(せつ)()(おう)をころし 「まよい」の国土(くに)と 「わざわい」の()(らい)とを 併せてほろぼして はじめて()羅門(らもん)は くるしみを離れん

妄愛という母、慢心という父を殺し、存在の常在と滅失の二人の殺帝王を殺し、主観的六根である「眼、耳、鼻、舌、身、意」と客観的六境である「色、声、香、味、触、法」の十二処の王国と「喜貧(むさぼり)」の従を滅ぼしてバラモンは苦しみ無きに至る。

31日 295句

「愛」という母と 「我慢」という 父とをほろぼし 「断見」と「常見」との 二人の婆羅門を うちとり 第五には 虎の如き「疑」を除きて はじめて婆羅門は くるしみを離れん

妄愛、慢心を去り、存在の常在と滅失の二つを捨てて五番目に虎のような疑うことを除去し得て初めて苦悩からのがれられる。