出雲の国の不思議 @
平成24年3月
3月 1日 |
「出雲神話の現代的意義」 |
今年は「古事記」編纂1300年である。日本最古の書物、古事記、日本書紀より8年早い編纂である。 |
3月 2日 | 日本肇国の起源を考える最高のチャンス |
来年は、出雲大社は60年に一度の遷宮を迎える。伊勢神宮も来年は20年に一度の遷宮である。 |
3月3日 | 二つの神宮の遷宮 |
日本には、神社が多くあるが、この二つの神宮のみ遷宮を行うようだ。それうそうであろう、 |
3月 4日 | 出雲大社は巨大 |
さて、この出雲大社の祭神は大国主命である、命には、出雲神話、国譲りの物語がある。大国主命の単なる物語と受け止められているが、これには日本国創生の、いかにも日本人らしい隠れた歴史があるのだと思う。かかかる意味で、出雲は巨大である。 |
3月 5日 |
江戸250年、平安400年と言われる日本の平和のアイデンティティは大国主命の国譲りが発祥ではあるまいか。大国主命の国譲りは日本に平和の血を植えつけたのである。そこに「出雲神話の現代的意義」がある。 |
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3月 6日 |
出雲大社という実に規模の巨大な神殿が古代に建設された、それは国譲りの対価なのであろうが驚くべきものだ。最古は32丈、即ち96米と途方もない高さなのである。その後16丈の48米であったという。その証拠となる大黒柱の宇豆柱が発見されたのは数年前のことであった。東大寺大仏殿が46.8米だから圧倒的高さである。 |
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3月 7日 | 宇豆柱 |
発見されたのは、平成12年4月29日、西暦2000年で、直径1メートルを越す杉の巨木3本が束ねられて出てきた。同年10月には更に2組が発掘され、宇豆柱(棟持柱)、心御柱、南東側柱の平安時代の本殿跡であった。 |
3月 8日 | 朝廷と出雲の関係 平安時代の大建築ベストスリー |
平安時代の大建築ベストスリーは「雲太、和二、京三」とその巨大ぶりが記録に残っている。雲太は出雲大社、和二は東大寺の大仏殿、京三は京都御所の大極殿である。出雲大社は、大和朝廷の御所を凌いでいるのだから、それなりの政治的、歴史的に暗黙の了解があったということである。 |
3月 9日 |
現在の出雲大社の本殿は1741年に造営されたもので高さは24米、約8丈である。この高さになったのは、突如として倒壊した為で、鎌倉時代中頃から本殿の高さが4丈5尺になり倒壊記録が無くなったと言われる。 |
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3月10日 | 雲太 |
問題は、何故、こんなにも高大な神殿なのであろうか。 |
3月11日 | 神有月 |
また、憎々しいほどなのは、出雲国のみは11月は神無月でなくて神有月ということであろう。全国の神様が出雲に集られるという。国譲りの対価としは巨大な歴史的産物である。 |
3月12日 | 大和朝廷も強か |
然し、出雲一国だけの祭祀権であるが、大和朝廷も強かであった。それは、出雲国造家が代替わりの度に、天皇に参内して「天皇の長寿と繁栄を祝う賀詞「出雲国造神賀詞」を奏上し臣下の礼をとらなくてはならぬのである。 |
3月13日 | 天皇と出雲とは続いている |
新任の出雲国造は任命されるに際して上京し、負幸物という品々を天皇から下賜されて帰郷し、1年間長い厳しい潔斎を終えた後、一族と共に再び上京して天皇に賀詞を奏上する。それも二度繰り返すという膨大な儀式であった。献上物は、玉造の玉などの宝物であった。この儀式は最初が716年、元明天皇の霊亀2年である。 |
3月14日 | 民族の命のつながり |
日本は古代から連綿と間違いなく繋がっています。世界の驚嘆でしょうね。この神賀詞は「延喜式」の祝詞の巻に収録されております。 「高天の神主高御魂の命の、皇御孫の命に天の下大八島国を事避さしまつりし時に、出雲の臣等が遠つ神天のほひの命を、国体見に遣はしし時に、天の八重雲をおし別けて、天翔り国翔りて、天の下を見廻りて返事申したまはく、『豊葦原の水穂の国は、昼は五月蝿なす水沸き、夜は火べなす光く神あり、石ね・木立・青水沫も事問ひて荒ぶる国なり。しかれども鎮め平けて、皇御孫の命に安国と平けく知ろしまさしめむ』と申して、己命の児天の夷鳥の命に、ふつぬしの命を副えて天降し遣はして、荒ぶる神等を撥ひ平け、国作らしし大神をも媚び鎮めて、大八島国の現つ事・顕し事事避さしめき』 |
3月15日 | 亀大夫神事 |
出雲国造は職を継承する為に色々儀式がある。「火継式」という厳格な儀式である。それは、先の国造が亡くなると、継承者は直ぐに古代から伝来する火燧杵、火燧臼を以て意宇郡の熊野大社へ出かけ神火を熾す。この火で調理した食物を捧げて食べることにより初めて継承者は国造になることが出来るという。亀大夫神事と言われるものである。 |
3月16日 | 命のつながりの儀式 |
火継式は「霊継式」にほかならない。天皇も大嘗祭では同様なことをされて天照大神に捧げてから食べて、祖霊魂の引継ぎをされている筈である。遠い祖先から遥かな子孫まで霊魂は永遠に継承されて行くのである。民族の命のつながりの儀式の重要性を21世紀の日本人は感じなくてはならぬ。 |
3月17日 |
大国主命 |
オオクニヌシは出雲大社の祭神であり日本神話を代表する神である。古事記上巻には、国作りから国譲りに至る苦難の道程がドラマティックに記述されている。 |
3月18日 | スサノオの六世の孫 |
「古事記」によると、オオクニヌシは、スサノオの六世の孫である。色々の名前を持っている、オオナムチ(大穴牟遅神)、アシハラノシコオ(葦原色許男神)、ヤチホコ(八千矛神)、ウツシクニタマ(宇都志国玉神)と5つの名前を持っている。 |
3月19日 | 因幡の白兎 |
有名な、因幡の白兎、鳥取県東部の因幡国は白兎海岸、古事記では「稲羽の素兎」となる。ここではオオナムチとして登場、稲羽のヤカミヒメに求婚する。兄神に従ったオオナムチはワニに皮を剥された兎に出会う。大きな袋を肩にかけ・・・の童謡が懐かしい。ウサギを助けたオオナムチは慈悲と智慧のある神として描かれている。この時、白兎の予言通りにヤカミヒメはオオナムチと結婚する。 |
3月20日 | アシハラノシコオ |
怒った兄神たちは二度に渡りオオナムチを殺すが、その度に生き返り、スサノオの根の堅州国に逃げて行く。スサノオの娘・スセリヒメは「いと麗しき神」と一目惚れ。ハンサムなオオナムチと見つめ合って結婚する。この時、スサノオからアシハラノシコオ(葦原色許男神)と呼ばれた。 |
3月21日 |
スサノオは大きな試練を色々と与えるが、オオナムチはスセリヒメの助力で幾度も乗り越えた。遂にはスサノオはオオクニヌシなれ、ウツシクニタマになれと言われる。そして、生太刀、生弓矢と天の沼琴を与えられる。 |
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3月22日 |
そこで、オオクニヌシは葦原中国に戻り、この太刀と弓矢で兄神たちを追放し国作りを始めたのである。オオクニヌシは少彦名神と力を併せて国づくりをしている。 |
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3月23日 |
さらにオオクニヌシは、またの名はヤチホコ(八千矛神)は越の国(新潟県)に才色兼備の女がいると聞いて出かける。官能的な歌を詠みかけて妻にかるなど、各地のヒメと婚姻する。つまりその地の統治者になっていったのである。 |
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3月24日 | 葦原の中つ国 | オオクニヌシにより平定された葦原の中つ国は豊かに栄えた。それを、高天原のアマテラスからの再三の要請により、宮殿建設を条件に皇孫に譲りオオクニヌシは自ら身を隠したのである。 |
3月25日 | 人と人の「縁」を司る神 |
多くの苦難を乗り越えて甦るオオクニヌシ、単に男女の縁結びだけでなく、人と人の「縁」を司る神として深い信仰を得ることになるのである。 |
3月26日 | 出雲大社本殿の不思議 |
処で、出雲大社であるが、不思議な内陣である。参拝者が拍手を叩き拝礼する内陣の方向には、実は祭神のオオクニヌシはおられない。拝礼の方向は本殿の塀の外にあるスサノオ社なのである。オオクニヌシは拝礼の方向、内陣右側に鎮座ましまして西の方向を向いておられるのだ。 |
3月27日 | 出雲の反骨精神 |
なぜであろうか。出雲は見えぬ所で大和政権に逆らっているのである。大和政権は中国伝来の思想である「天子南面す」の思想に準拠している、だが出雲大社は社殿は南向きに建てても祭神の座だけは、それまで通りに西を向けたまま譲らず、政治では頭を下げても信仰は高く堅持したのであろう。出雲の反骨精神躍如たるものがある。 |
3月28日 |
本殿が創建された経緯は「古事記」の「国譲り」神話に概略次のように記載されている。オオクニヌシが天照大神たちの天つ神に国土を譲る時、「天つ神の御子の宮殿の如く、太く高い柱と、天に届くほどの屋根の宮殿を造って欲しい」と条件を出しているのだ。 |
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3月29日 |
要するに出雲大社は、神が住む宮殿であること、そして建設するのは、国を譲り受けた側の天つ神(大和政権)ということなのである。大和政権は、威信をかけて、高大で荘厳な建物―神殿を造ったと思われるのだ。実際、出雲大社は古くは天皇により造営されているらしい。 |
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3月30日 | 伊勢神宮より巨大 |
国譲りの成果であろう、出雲大社は神社建築として抜きん出た大きさである。アマテラスの伊勢神宮、権力者で栄華を極めた藤原氏の春日大社より、遥かに巨大なのである。 |
3月31日 | 大注連縄 本殿の千木 |
出雲大社の拝殿の「大注連縄」も普通の神社と異なっている。長さ8メートル、太さ3メートル、重さ1500キロ。他の神社と逆で、縄のない始めを向かって左にして掛けてある。歌人の寂蓮法師は、後鳥羽上皇の建久元年、1190年、西行が没し、東大寺が再建された年であるが、出雲大社に参詣した。本殿の千木が、雲の中まで分け入っているさまを見て、この世のものとは思えないと驚嘆している。 |