人物と教養F 平成25年3月  安岡正篤先生講話 

   第五講 仏教について()

平成25年3月

1日 シナの国境意識

処が中国というところは、あのように広漠たる大陸国であります。だからそこに土着した漢民族はヨーロッパ的な国境観念などというものをまるで持たない。ただ彼等にとっては彼等民族が実現した文化だけけが誇りであり、生命でありまして、彼らはその文化の及ぶ程度によって境界をつくつたのです。即ち文化の最も発達した所を「中」と言って(これが中国の名の由来です)、それを中心に外側へ順に「五服」などと称する区画を設け、更に外側の辺境を東夷(とうい)西戎(せいじゅう)南蛮(なんばん)北狄(ほくてき)と分けている。その辺境を化外(けがい)と言って、台湾もその中に入れておるわけであります。

2日 台湾へ渡航禁止令 歴史的に台湾を最初に発見したのはポルトガル人でありまして、その後スペイン人がはいって来、続いてオランダ人が入ってきたのでありますか、やがて国姓爺合戦で名高い漢民族の勇士・鄭成功が彼等西洋人を追っ払って支配するようになりました。一時、政権の維持が危くなって、援助を明に請うたり、日本に請うたりしたこともあります。そうして清朝になってからは、一度その化内にはいったことはありますが、その後は台湾への渡航を禁止し、禁止令を三度も出しております。
3日 アジア最初の民主国家・台湾

ご承知のように清朝は満州族出身で、中国本土を支配すること300年に及びました。そして遂に孫文等による辛亥革命が成功して、漢民族の中国を回復し新しく中華民国が出現したわけでありますが、実はその辛亥革命の前、即ち日清戦争で清国が日本に敗れた時に、台湾は大統領制の台湾民主国という国を建て、世界に向かって独立宣言をしておるのであります。台湾民主国はその後間もなく日本によって平定されましたけれども、これはアジアにおける最初の民主国家であります。

4日 化外の地の台湾

このように、歴史的に見て参りましても、台湾と中国本土との関係は極めて薄いのであります。そして今度の大戦で日本がその領有権を放棄したのでありますが、然しそれがどこに帰属するかと言う事は、当時サンフランシスコ講和会議に参加した国々の議決を待つことになっておるのですから、中共が俺の方に帰属するのだと言うのは、明らかに国際法的にも許されないことであります。それを日本政府や政党関係者が何を苦しんでとやかく言う必要があるのか、非常識も甚しいものがあります。

5日 人間学
徳性と習性・知能・技能

これは一例でありますが、要するに学ばぬからこう言う混乱が起るのです。「学んで思わざれば(くら)し。思うて学ばざれば(あやう)し」で、人間・学ばぬと真実がわかりません・そういう人生の生きた問題を解決することの出来る正しい学問を身につける、というのが教養というものであります。そして、そこから更に進んで、人間と言うものの本質、それから生ずる根本義について、明確な概念或は信念を持つことが大事であります。

6日 人間学

そこで、今までの講義の中でも、時々人間学というものに触れたわけでありますが、就中みなさんに思い起こし改めて思索し把握しておいて頂きたい幾つかの根本問題があります。

7日 人間とは何ぞや

第一は「人間とは何ぞや」という問題であります。これは又限りない広汎なことでありますが、特に大事なことは、人間の大切な要素というものをはっきり把握することであります。前にも申しあげたように、人間には本質的要素と付属的要素が、即ち本性と属性があり、もう一つ大事な習性というものがあります。

8日 人間の本質的要素と付属的要素 本質的要素とは、これあるが故に人間は人間であって、これを失えば形は人間であっても人間ではない、という大切なものです。これに対して、あればあるほど良いに違いないがもそれは程度の問題であって必ずしも大小多寡を問わない、少しぐらい乏しくともさして変わりない、というのが属性であります。
9日 徳性 それでは、人間の本性は何かと言うと、言うまでもなく徳性であります。徳性にはいろいろありますが。例えば明るいということがそうです。人間は日月光明から生まれたのですから、明るいということは最も大事な本質であります。また従って清いとか汚れがないとか、或は務めるということも天地・宇宙は限りないクリエーション(創造)でありますから我々も常に何者かを生む努力をしなければなりません-大切な徳性であります。その外、人が人を愛する、人に尽くす、報いる等々、一々挙げれば限りがありませんが、色々な徳性があります。
10日 人間たるの本性・本質

こういうものがあって、初めて人間であり、明らかにこれは「人間たるの本性・本質」であります。“貴様、それでも人間か”、とはよく口にする言葉ですが、かりに“何故人間でないと云うのか、人間とは何だ”と反駁された時に言下にびしゃっと答えられるようでないといけません、今日の親子の悲劇の一つは、そういう人間の大事な問題について親がはっきりと答えられない処にあるのです。

11日 父親たるものは

倅は学校でくだらぬ講義を聴いたり、愚にもつかぬ新聞・雑誌等を読んで、なかなか屁理屈を言うことがうまい。処が親父の方は、実務について経験や常識は発達しているけれども、理論・イデオロギーなどというものから遠ざかっておる為に倅から反駁されると、へどもどして、“お父さんはもう古いよ”などと言われると、つい“そうかなあ”ということになって参ってしまう。そういう処からくる混乱や断絶が意外に多いのです。父たたる者は少なくとも倅の屁理屈などに対しては言下にぴしゃっとやるだけの教養・識見を持っている必要があります。

12日

人間の本質的要素

況や、国会議員・大臣においておやでありまして、野党議員の愚劣極まる質問もさることながら、これに対して大臣がぴしゃっと決めつけるような答弁が出来なくて、折角の議場をわざわざ混乱に陥れるような事がどれだけあるか分りません。誠に困ったことであります。そこへゆくと明治時代は大臣にしても、代議士にしても、はるから立派でした。それだけ、人間が出来ておったということです。こういうことが人間の本質的要素であります。

13日 付属的要素

これに対して知能とか技能というものは人間の属性、即ち付属的要素であります。成る程、我々の知識とか技術、知能とか才能というものは、あればあるほど宜しい、結構なものであります。そして、これあるが故に近代文明というものは津々としてとして発達してきました。然し、こういうものは、通常の人間であればみなある程度持っているのであります。よく出来るとか、出来ないと云うても、それは態度の差であって、人間たる事に於いて別段何の関係もありません。それどころか、却って知能や技能が人間たることを損うことが多いのであります。その証拠にバカは余り犯罪をやりません。罪を犯すのには相当知能や技能が要るからです。殊にこの頃は知能犯・技能犯が多くなっておりますが、知能・技能というものはともすれば人をダメらします。その点、バカは自然のままの人間ですから、大体し善人で、人間味が豊かであります。これは子供も同じ事で、幼い時ほど自然ですから、それだけ正直であります。

14日

知能・技能は徳性で裏付ける

そこで知能・技能というものは、徳性を持って初めて好ましいもの、嘉すべきもの、尊いものになるのでありまして、反対に徳から離れるに従って悪くなり、いつわりになります。これを称して「偽」と言います。偽は人が為すと書きますように、第一に技=わざという意味があり、第二に「いつわり」という意味があります。知能・技能というものは徳性から離れると、往々にして偽になったり、奸になったり、邪になったり致します。その最大の例が近代文明です。近代の科学技術文明というものは、つい最近までは人類の非常な誇りでありました。処がそれが次第次第に自然を汚し、自然の理法を破るという思わざる問題が発生して参りまして、その結果今日では、人類は文明によって発達したが、その文明によって滅亡する、と言われるようになってきておるわけであります。

15日 習性 それから最後の習性でありますが、これは「習・性となる」とか「人生は習慣の織物なり」と言われるぐらい人間にとって大事なものでありまして、その意味では本質的要素の中に加えることもできます。そもそも習という字は、上の羽は()()、下の白はしろ(、、)ではなくて鳥の胴体の象形であります。即と雛鳥がだんだん成長して、親鳥の真似をして羽を広げて翔で稽古をする、という意味であります。そこで人間はなるべく早いうちに良い習慣を身につけさせる、これは徳性に準じて大切なことであります。
16日 社会混乱の原因

処が、この大切な根本問題を、前にも指摘しましたように明治の日本は忘れて、それこそスターリンや毛沢東ではないが、「追いつけ・追い越せ」の大躍進を実行して、西洋近代文明の吸収に熱中したわけです。そうしてその結果、世界の奇跡とまで言われる程の偉大な成績を挙げたのはよいのですが、やはり速成には手落ち。手抜かりがあるものでありまして、最も大切な人間教育?徳性を涵養し良い習慣を身につけて、それに基づいて知識・技術を授ける、という点に於て大きく抜かってしまったのです。その結果、文字どおり偏向知識人、非人間的技術者が続出して、日本の近代文明、近代文化というものはすっかり歪曲されてしまいました。これが今後の終戦の時に日本に大いに祟ったばかりでなく、今日の社会的混乱もそこに原因があると申して宜しいと思います。

17日

まあ、かような事を先に申しあげたわけですが、それを今改めて思い出して確認しておいて頂きたいのでありますが、全て今日の悩みはそういう錯誤からきておるのです。例えば公害問題にしても、もっと早くシンギュラー・ポイント、ハーフ・ウエイに気がついて対策を講じておれば、こういう大きな問題にならなかったはずであります。

18日 預言者・郷に容れられず

政治の混乱も亦然り。個人の健康、国家・民族の健康、政治・教育の健康、全てが今大変な危機にあると申してよかろうと思います。にも関わらずそれを意識し自覚する人は非常に少ないのであります。それどころか、偶々早く気がついてそれを警告すると嫌がる。「預言者・郷に容れられず」と申しますが、民衆というものは真実を言われることを好まない。却ってそういう先見・先覚の人をあらーミスト(警告家)だの、クライシス・モンガー(危機屋)だのと言うて排撃します。

19日 「四P」の時代

今、アメリカを初めとして文明諸国は「四P」の時代であるなどと言われます。第一はピルズ(経口避妊薬)。こんな簡単なもので避妊できる。これが男女関係の乱れる一つの原因になっておることは周知の通りであります。第二はペスチサイズ(農薬)。これも識者はもう十数年も前から採りあげて問題にしてきたことであります。第三はポリューション(汚染)。第四がサイケデリツクス(幻覚剤)。この四Pによって人類文明は滅亡する。少なくとも、このままでゆくと10年乃至20年以内に文明諸民族は半減するだろう、と言うて大騒ぎしているわけです。

20日 人間の錯誤

全てこれ人間の錯誤が起っておることでありまして、病気にしても犯罪にしても、政変にしても戦争にしても、具体的に申せば通貨問題、ドルショック問題がその好い例であります。これはベトナム戦争が進行するにつれて十分予想されたことであります。けれどとも政府当局者はそれを採りあげなかった。それで今になって政府の責任を云々するのでありますが、然し迂闊であったのは経済界も同罪であります。

21日 中国問題

迂闊と言えば、最も甚だしいのは中国問題です。ニクソン・周恩来の会談が始まると、まるで大事件でも起こったかのような騒ぎ方をするのでありますが冷静に考察すれば、格別驚くほどのことでもありません。それこそ思考の三原則に還って善処すれば、いくらでも対策は立つのであります。それよりも、恐るべきは日本国内の問題、特に政界の動揺・混乱・分裂現象であります。そして、それに伴って当然経済界も混乱してくるでありましょう。そうなると、何とかして日本を手に入れようというのが中国の狙いでありますから、必ずその混乱に乗じて彼等の自由になる傀儡政権を日本に樹立すべく全力を挙げて工作してくることは明瞭であります。処が日本人はそういうことに対して全く無自覚であります。処が日本人はそういうことに対して全く無自覚であります。

22日 巧妙な仕掛けは本当に驚く

例えば、この頃、在日華僑の中国本土に住む親・兄弟・親戚等に対する送金が目立って増えてきております。これは本国政府が責任を以て渡すと言明しているからです。と云ってもその送金はドルなり円なりを直接本土に送るわけではないのです。所謂、中日貿易を行っている中国の代表機関に払い込むのであります。するとそれが本国へ通知される。向こうの政府当局はそその通知された額に応じて、米の切符だのと言った人民券で指名人に支給するわけです。だから日本にある代表機関には現金がたまる一方であります。そしてその現金はどうするかと言うと、全て対日工作費に流用されるわけであります。そういう巧妙な仕掛けは本当に驚くべきものがあります。

23日 深刻な謀略・闘争の国・中国

中国という国は、この頃は皆さんも否応無くご承知でありましょうが、革命後、今日に至ってなおかつ安定しない。安定しないのどころか益々洗脳や粛清が深刻になって、憲法の草案にまで毛沢東の後継者として明記されていた林彪を始め、劉少奇ら有力者を次から次へと姿を消しています。今やポスト毛を狙って深刻な謀略・闘争が演じられているのであります。

24日

そこでもソ連はそれを見越して、ポスト毛後に親ソ政権を作ろうと秘術を尽くして懸命の工作をやっておるわけです。況や、台湾の国民党政府においておやであります。特にソ連は中国工作と同時に台湾工作もやっておりまして、場合によってソ連と台湾との合作もあり得るという見方もなされております。

25日 日本人は単純

複雑怪奇な中国人

日本人のような単純なものから見れば複雑怪奇としか言うより外ありませんが、然し、これが実体でありまして、その意味で今マスコミを通じて騒いでおる政事か事業家などは、ともすれば他愛無いものであります。殊に我々のように長く中国を研究してきたものから言えば、ソ連、台湾よりも何よりも、今は日本が新中国対策に大いに手腕を振るうというか肝胆を砕くぐらいのことはあって当然だと思うのです。恐らく明治の日本人であったら必ずやるでしょう。

26日 中国の鼻息を伺っているようでは軽蔑と顰蹙を買うばかり

頭山満とか犬養毅とか陸奥宗光とか後藤象二郎とか、或は陸海軍の将軍達の中にも居った様な人々が今の日本の内外に多く居れば、さぞかし日中関係も活気を呈したことでしょう。それが全く逆でありまして、どなられたり撫でられたり、徒に向こうの鼻息を伺っているようでは、世界の国々から軽蔑と顰蹙を買うばかりであります。何によってこういう事になつたかと申しますと、一に無知からきているのであります。

27日 勝れた人物を政局や論壇に

専門的・職業的経験や知識はあっても、人間としての、或は政治家としてり教養・見識が無いからであります。実にこれは民衆・国家のために遺憾なことであり、国家の大計を誤らざらしめん為には、どうしても勝れた人物を政局や論壇に出すよりほかに途はないのであります。そうなると、我々は改めて民主主義政治というものを反省しなければなりません。と同時に欠陥を是正しなければなりません。それには先ず順序として一体、民主主義とき何であるかと言うことを知る必要があります。これに就いてし色々か解釈がありますが、一番勝れた民主主義の定義とも言うべきものに、やはり何と言ってもイタリーのマツチーニ mazzeniの名言です。マツチーニは民主主義についてこう言うでおります。

28日 民主主義の名定義

progress of all、through all、under the leading ofthe best and wizest

即ち民主主義というものは、東洋流に言うて「野に遺賢なからしむ」るように、国民のあらゆる階層を通じて自由公正に、最良にして最賢なる人物を択びだして、その指導の下に国民全ての進歩をはかって行く。これが民主主義だというのであります。これは民主主義議会政治の根本でありまして、これほど簡にして要を得た名定義は滅多にありません。 

29日 立派な人は滅多に出ない日本の政治

処がそれが叉、今日の日本に於いては逆になっているのです。全てがそうだとは申しませんが、どうも一般的に言うて、立派な人は滅多に出ない、また容易に出られないような仕組みになっています。これでは成治が乱れるのも当たり前であります。そもそも議会主義と言うものは、血で血を洗うようないがみ合いや喧嘩をやってはお互いに不幸であるから何とかもっと賢明な政治手段はないものかと言う所から長い間の悩みの果てにイギリスにおいて錬成されたものであります。

30日

従って、利害や主張の相反するものが集まって自由に議論を尽くして円満公正な結論を出す。そうして出した以上はそれまでの行きかがりを捨てて、その結論に従ってゆく。これが議会政治の在り方であります。処が今の議会政治は、特に野党など揚足の取り合い、何でも反対の押しまくり政治で、賢明な結論を出すという気がない。

31日 日本の国会は
不議会
これでは、議会ではなくて不議会であります。そこで香港の新聞などは、日本の国会を冷笑して「日本の議会は妙な議会である。会して議せず、議して決せず、決して行わず」と評しておる。本当にその通りでありまして、こういう事を放任しておいて政治を善くしようとしても、始めから不可能というものです。やはり、政治も思考の三原則に還らなければ解決の途はありません。これでは、大は国家・社会の問題から小は個人の生活に至るまでみな同じことであります。