安岡正篤先 「経世と人間学」 3 

平成21年3月

名言・卓説

 1日 習慣

1.アミエルの名言
人生の行為に於て習慣は主義以上の価値を持っている。何となれば、習慣は生きた主義であり、肉体となり本能となった主義だからである。誰のでも主義を改造するのは何でもない事である。 それは書名を変えるほどのことに過ぎぬ。新しい習慣を学ぶことが万事である。それは生活の核心に到達する所以である。生活とは習慣の織物に外ならない。
(スイス・アミエル日記)
 2日 本質的要素 アミエルの名言であります。そこで人間とは何か、人間内容について一寸触れておきたいと思います。人間には「本質的要素」と「附随的要素」があります。本質的要素というものは、これがなければ、形は人間であっても、人間ではない、つまり人間にとってなくてはならぬ本質をなす もの、言い変えると「徳性」であります。人を愛する、人に報いる、人を助ける、あるいは明朗で清潔である、正直であるというようなことがなくなったら、これは人間ではありません。
これが本質的要素であります。
 3日 附随的要素 これに対して附随的要素というものがあって、これを大別しますと二つに分けることができます。一つは、知性・知能という又別の一つは技能であります。ほかの動物と異なり特に発達した知能や技能によって人類の文明が開発されたのですから、 当然この知能・技術というものは大切なものには相違ありませんが、人間そのものから申しますと、要するに附随的要素にすぎません。どんなに有用なものであっても、貴重なものであっても、これは属性であります。
 4日 第二の天性

これに対して、もう一つ本質的な要素、徳性に準ずるものが「習慣」であります。

これは「第二の天性」と言われる如く、非常に大切なものであります。従って習慣は知性や技能と異なり本質的な要素と申せましょう。
 5日 イデオロギー闘争 これに対して、イデオロギー闘争という、知性あるいは理論闘争がありますが、これは「観念の遊戯・論理の遊戯」でありますから、物事の解決にはなりません。

現にソ連・中共では、この論争が盛んに展開されておりますが、理論そのものでは絶対に解決になりません。やはり本当の人格・知性によって初めて解決がつくものであります。 

 6日 正しい生活とは また人間をつくる上においても、このようなイデオロギーや、技術・技能では駄目であって、本当の正しい生活、正しい心構えが必要であります。 それがあって、私達は正しい習慣・正しい(しつけ)を身につけることができます。我々の正しい生活とは「習慣の織物」と申してもよろしい。従って子供の頃は「良い(しつけ)」を、大人になってもよい習慣をつけることが何よりも大切であります。
 7日 治病(ちびょう)

人、不善を積むこと多くして心神欝悸(うつき)する。医家知らずして却って草根樹皮(そうこんじゅひ)を以て之を治せんと欲するもが難い哉。

(ただ)(まさ)に己に反り、過を改め、倫理を改め、過を改め、過を改め、倫理を正し、恩義を厚くすべし。此の如くんば(すなわ)ち薬なくして喜あり。 (谷泰山)
 8日 泰山逸話 寛永年間に出た、土佐の谷泰山(じんざん)の言葉であります。泰山は山崎(あん)(さい)、浅見(けい)(さい)について学んだ、学識・信念ともすぐれた人でありまして、日本の代表的な人物を学界思想界から選ぶとすれば、その選にはいる人であります。不幸にして幼少の頃から多病であって、病と闘いながら真剣に学びまして、その性格も極めて清浄であります。 師匠の浅見(けい)(さい)と意見を異にし、一時義絶されたことがあありますが、それでも意見主張をまげず、師にも屈しなかったた人であります。ところが、(けい)(さい)の著書「靖献(せいけん)遺言(ゆいごん)」を常に坐右におき、弟子たちにそれを講じたという本当に私心のないゆかしい人柄でありました。
 9日 不善の積み重ね この文章は平素多病であった泰山が苦しんだその病に関して書いたものであります。不善を積み重ねると内にこもって、心臓や肝臓等の内臓が円滑に働かなくなる。医者はその原因を知らないからいろいろ薬をもつて治癒しようとするが、 それはなかなか難しい。そこでよく自己を反省して、過を改め、人のふむべき道を正し、すべてに感謝の気持ちを厚くすると薬もいらず病は治ってしまうものである。
10日 西洋の医学 泰山は五十六歳で歿しておりますが、当時としては短い生涯ではありません。これは病弱の身ながら、この文章のように常に節制につとめた結果であります。昨今の西洋医学をみても、こういう方面が非常に進歩してきま した。西洋の優れた学者・心理学者等は、驚くほど精神的になると同時に西洋の医学・道徳学というものを研究しておりまして、時々襟を正すと申しますか、頭のさがることがよくあります。
11日 内蔵と感情 例えば、最近の学説によりますと、我々の内臓諸器官は単なる物体ではなくて、たえず呼吸をし話をしている、という大変面白い事実であります。我々の感情のあり方、情緒・エモーション等によって、内臓諸器官の活動は刺激されるので、内臓の障害は大体感情に起因するものが多いのであります。 また内蔵諸器官ばかりでなく、汗や呼吸なども心・情緒と密接な関係があり、肉体的変化なしに感情というものはなく、感情を抜きにして肉体的変化はありません。
12日 肝腎腰 さらに面白いことは、我々の肉体には時計があると言われておることであります。暦の上で子の刻と申しますと、夜の十一時が境となりますから、今夜の十一時過ぎに生まれた子供はその生日が明日の日附になるわけです。従って、日常生活はこの十一時を限度に終わって就寝するようにしなければなりません。 また我々の内臓において一番大切なものは即ち肝腎なものは、言葉通り肝臓と腎臓であります。これに要、即ち月をつけた腰を加えて、肝腎(かんじん)(かなめ)と申します。この三つが代表的な大切なものですが、これに次いで心臓をあげます。
13日 心臓 心臓の働きは常に血液を運行させておりますから、一番病気にかからないものです。従って心臓を病むというのは殆ど肝腎腰の影響によります。 腰を痛めると、上体下体の統一が破れて多くの障害がおこりますから、絶えず腰を大切にして、腰抜けにならぬよう、よい姿勢を保たねばなりません。
14日 肝臓・腎臓・心臓 肝臓は午前一時から三時の間にエネルギーを蓄えるものであります。この時間には一番休息を与える必要があります。一時頃になっても酒を飲んだりマージャンをしたりしておりますと、非常に肝臓をいためます。 また腎臓は午前五時から七時の間が充電の時間であります。心臓は午前十一時から午後一時の間がそれに当たるので、昼食後演説をしたり過激な運動をする事は最も心臓によくありません。
15日

最後に肺でありますが、これは午前五時から七時であります。従って、毎日遅くとも六時には起床して深呼吸をすると宜しい。大体人間は肺の容量の六分の一位しか呼吸をしておりません。従って肺の底には悪い空気がたまつたままであります。
そこで朝起きると必ず深呼吸をする必要があります。

深呼吸の方法は呼吸の文字が示すように、先に肺にたまっている悪い空気を吐かなければなりません。すっかり吐き出してから吸うのが原則であります。そうしますと肺は能率をあげてエネルギーを蓄えます。こういうふうに我々の内臓には時計があると西洋医学の大家が解明しておるのであります。
16日 子供の病気 また大脳皮質発達していない子供について考えますと、本能的に愛情とか尊敬とか怒り等については敏感にうけとるようであります。だから幼稚と考えてはなりません。感情的に純真でありますから、大人からうける愛情とか怒りがそのまま赤ん坊の生理即ち健康に影響します。 病気というものは大抵赤ん坊の時の感情的情緒的に大きな打撃をうけたことが原因となっておる様です。
例えば、喘息患者は大抵子供の時に母親に甘えて育った者が多いと言われております。
17日 喘息 故人となられた終戦の際の陸軍大臣・下村定大将が喘息で苦しんでおられたので「あなたは子供の頃大変甘えん坊でお母さんに甘えましたねーー」と申しましたところ「先生それがわかりますか。 私は女ばかりの姉妹の中でただ一人の男の子でしたから、父も母も本当に甘えさせてくれました。それが喘息の原因になるとは恐ろしいことですねー」としみじみ語っておられました。
18日 交通事故 交通戦争と言われるようにも自動車事故が非常に増えましたが、医者の統計によりますと、事故を起こす者は大体に於て我が強く、せっかちで、目先のことに夢中になるという共通した性癖の者であると申します。そして、この性格の者は一度ならず二度も三度も、繰り返して同じ事故をおこしております。
これらの原因は運転技術の問題ではなく、心理的原因によるものです。酒の害や煙草の毒について申しますと、アルコールやニコチンによる外的な毒は割合
に軽く、問題は心理的感情的にやる飲酒喫煙が重大であります。例えば腹を立ててやけ酒を飲むとか、精神的苦痛をまぎらす為にむやみに煙草を()うなどは最もよくありません。そこで結論を申しますと、我々は常に安心感とか感謝の気持ちとか余裕をもって事に当っておりますと、どんなに仕事が忙しくとも、健康を害するようなことはありません。  
19日  六錯(ろくさく) (しゃ)を以て福ありと為す。()を以て智ありと為す。(どん)を以て為すありと為す。(きょう)を以て(しゅ)ありと為す。 (そう)を以て気ありと為す。(いかり)を以て()ありと為す。
   (
格言聯壁)
20日 六錯の口語訳 贅沢をして幸福であると思うのは誤りである。うまく人を騙して自分は頭がよいと思うのはいけない。貪欲の結果、物をあつめて自分にそれだけの手腕があると思うのはいけない。 小心で、ちょっとした事にも怖れている者が慎重派だというのは誤りである。
喧嘩ばかりしていながら自分には勇気がある等というのはいけない。上に立つ者が下の者を叱りつけて、いかにも威厳があると思うのは誤りである。
21日 六つの社会的錯誤 現代の世相を眺めますと、この六錯の人が極めて多く、この人達が社会を誤らせておると申してもよいと思います。誤りを誤りとせず、却って自分の手腕としたり、人を騙して自分は頭がよいなどと考えることは許されぬことでありますが、 毎日の新聞やテレビのニュースなどを見ておりますと、これらの者の犯罪があとを絶ちません。誠に困ったことであります。これを正さなければ日本は救われません。
22日 真の孝不幸 ある人、問ふ、人・患難に逢ふ、これ不幸なる事か。曰く患難は亦これ事を経ざる人の良薬なり。心を明らかにし、性を練り、変に通じ難に達する、正に此の処に在って力を()
人生最も不幸なる処は、これ偶々(たまたま)一失言して禍及ばず偶々(たまたま)失謀(しつぼう)して(こと)僥成(ぎょうせい)し、
偶々(たまたま)一恣行(いちしこう)して小利(しょうり)()ることなり。(のち)(すなわ)()故常(つね)となし、(てん)として意と為さず。則ち行を敗り検を(うしな)ふことこれより大なる患なし。
   (
格言聯壁)
23日 口語訳 ある人が、「心配こどや災難に逢うのは不幸な事ですか」と尋ねたところ、「艱難は世の経験を積んでおらぬ者に対する良薬である。心を明らかにして、奥深い本性を練り、色々な変化に応じて事を正しく図り得るのは、色々な艱難にあって実力が養われるからである。
人生に於ける最大のま不幸は、失言をしても運がよたために失敗や禍が身に及ばなかったり、また考え違いをしても偶然にうまく事が運んで成功したり、
或は我が勝手をやったのに小利を得ることである。そして、それを当たり前のように考え、世の中を甘くみると、遂に大きな失敗をして、締めくくりが出来なくなる。これが人生の最大の病である」。格言聯壁という支那の書物は清朝末期の金蘭生という有名な逝江地方の長者の著したものであります。
      (昭和四十四年九月十七日)

第三講 理財

24日 (こう)(じゅつ)の真義

新年劈頭(へきとう)、新築間も無いこの講堂の講義始めに当たることとなりまして、本当に肝銘を深くしておるところであります。年頭の恒例に随いまして本年の干支について少しお話をいたします。今年は(こう)(じゅつ)(かのえ)(いぬ)であります。

この(いぬ)の字をよく(じゅ)―真ん中の一を・としがちでありますが、これは音を「じゅ」と発音しまして、まもるという意味になります。衛戍(えいじゅ)病院のじゅはこの(じゅ)を書きまして、(いぬ)ではありません。
25日 (こう) (こう)には三つの意味があって、第一の意味は昨年の干支を継承する、或は継続するという意味であります。第二は、昨年の色々の失敗や過失を償うという意味であります。現在は殆ど使いませんが、庚の下に貝の字を書きますと、つぐと言う意味になります。
第三の意味は極めて大切でありまして、更新するという意味であります。
つまり昨年を継承し、色々な失敗や過失を償って、これを(あらた)めるという意味であります。また干支の支のほうの()―音は「じゅつ」、訓は「いぬ」は本来、犬と何の関係もなく犬とするのは俗説であって、まんざら無意味ではありませんが、これは茂という字と同じ意味であります。
26日 繁栄の中の没落

植木の栽培が一番好い例ですが、余り枝・葉が茂りますと、木の為によくありません。第一に風通しが悪くなり、第二に、日ざしが悪くなって虫がつく。第三に虫がつき出すと、梢から枯れ始める。或は根あがりといって根が枯れたり、裾あがりとなって、裾から枯れ始め、遂には木全体が枯れてしまうので、

植木屋は始終、鋏を使って無駄な枝葉の剪定をいたします。これは植木の簡素化でありますが、これをやらないと生命が弱ることは何事にも共通した原則であります。一国一民族の文化や道徳もそうでありまして、その衰亡滅亡の歴史を調べますと、「繁栄の中に没落」しております。
27日 身体と享楽

私たちの身体も同様であって、割合に貧乏とか質素にはよく耐えるものですが、飲みすぎたり食べすぎたり怠けたりという贅沢や享楽には簡単にやられます。
精神もそうでありまして、なるべく純化・純一にしておく必要があります。

精神を複雑にいたしますと、例えば色々な煩悶に苦しんだり、感傷的であったり、或は多欲になりますと神経衰弱とか精神錯乱におちいります。一国の文化も享楽的になり、煩雑になりますと次第に衰亡します。
28日 歴史が証明

国民生活でもそうでありまして、国民が貧乏や苦難で亡びるということは殆どありません。必ず繁栄して享楽的になり、レジャーとかデカダンになって、急速に衰えるものでありまして、これは何千年にわたる東西の歴史が十分に実証済みであります。その意味において、現代の日本は誠に危険であります。

処が人間は贅沢になりこれを謳歌しているときは、こういうことを考えません。またこういうことを聞くことが面白くありませんから、抑えがきかなくなり、遂には繁栄の中の没落ということを繰り返す。そういう意味で現代の日本は非常に危機にあると申せましょう。
29日 日本は最後の段階 そこで、このまま進みますと、破滅・没落になるのですが、まだ一脈の陽気が残っております。これを表す文字が戌の中の「一」であります。 だからただ今のうちに弊害を去って、全てを簡素化すると助かりましょう。つまり戌の文字は、このまま継続して更新することができる最後の段階であることを表しておるわけです。
30日 (こう)(じゅ)の示唆

庭木の手入れなども年の暮れになるまい゛、即ち十一月までにしておく必要があります。これをほったらかしておくと、大切な植木がいたんでしまいます。

そこで庚戌の干支が示唆するところに従って、従来の反省をし、昨年の弊害を去ってよく更新する。本年に徹底してそれやらないと、来年、即ち昭和四十六年にはんなり荒療治が必要となりましょう。
31日 戌削(じゅっさく) なお現在は余り使いませんが、戌削(じゅっさく)という熟語があります。 これは不自然なもの、余計な弊害を伴う不用なものを思い切って取り去るという意味でありまして、明治時代まではよく使われました。