徳永圀典の書き下し「日本国体論」その九  「国体論索引表」
 
平成21年3月度

 1日 統一性・連続性の秘密 地政学的な理由は別として、最も重大なことは、日本民族の理性の所産である。「我、欲、知」に穢されずに「道は自然に法る」の生活を天皇以下の日本人が続けてきたからである。 この「生存法則的生き方」が外来文化を安住せしめ、落ち着かせた大きな理由でもある。
 2日 受働随順 人間生活は「受働随順」を原型を基礎として成立するが、この生命作用を基本とし、能動的創造性の理性を支える原理を成り立たせてきたから日本は 世界無比の統一性と連続性を保持し得たのである。それは生命が永遠不滅にして不変不動の法則であり作用だからである。
 3日 受働性 人間は、この型を無視して生きることはできない。親の子として生まれ、親に随って生き、兄弟姉妹と共同生活を営みつつ一定の社会共同体の中に入り、 公共体の成員として成長する。
人間は個人としてのみ生きることも、個人で歴史を作ることもできない。
 4日 国家

人間というものは、根本規定として、親の子としての受働性と公共体の一成員としての共同体を持つことにある。この共同性ないし公共性を保持するのが、いわゆる型・独自性・固有性と言える。そしてこの型が他の型と区別される要点は、

血族と地域とを止揚契機として含む共同の歴史を持つことによってであるが、更にこれを権威あるものとして自覚する時に定まる。この型を権威あるもの、価値あるものと自覚せずして社会公共体、即ち国家は統一性と連続性を保持できない。 
 5日 精神感奮 生命が途絶え、人間性が崩壊し、社会は腐敗、堕落、退廃して大混乱に陥った場合、これを本然の姿・像、即ち生存法則に戻すには、個人的に威儀を正し、社会的には祭儀を盛んに行わなくてはならぬ。
威儀を正すとは、自ら信ずる道(神)を中心に立て、
不変不動不滅の信念を貫き「百万人たりとも吾往かん」の精神、態度を堅持することであろう。祭儀を盛んにすとは祭神を中心に氏子、国民、大衆を神事に集中せしめ感奮興起させ一人一人の心境を高め神にむすびいかなる難事も突破せしめることであろう。
 6日 自然法則

祭儀を明らかにして威儀を正し、一貫する点で歴史上、天皇の本質に優るものはない。そのまま愛国心であり信仰心なのである。

神道原理の生命作用、宇宙法則の人間的行為として実体化しているのが天皇なのであり自然法則と合致している。
 7日 天皇の本質 本来は天皇のことを「すめらみこと」と称していた。外来の中国は唐・隋文化の影響を受けて天皇となったのである。

すめら」は同化の意。「すめる」は清澄、純真、純粋の意である。
すべる」は統べる、統一、統治の意である。「みこと」は命、生命、生命作用のこと。

畢竟(ひっきょう)するに、天皇とは、
「清澄、同化、締結、統一」の作用をなす存在という意味である。
即ち、宇宙の生命法則のままの原理に立ちち統治することであり、「私心、我意、我欲」があってはならぬ存在
なのである。
 

 8日 古事記 古事記には、祖神が、その皇孫をこの国の統治者として遣わされる時に、宝鏡を与え、この鏡を視ること吾を視るが如くし、殿を共にして斉き祀るようにと、さとされたと記されている。 この伝承は、祖神と同居し、神と共にある心境で祭祀と政治に当るべきことを教えられたものと解される。
 9日 天皇とは 祖神は、天皇は「寝ても起きても、大御神と一緒に生活してゆく精神態度を教えたものである」。 また、「神と同床共殿する精神が無ければ、天津日嗣の天皇にはなれないし、天皇は無心、無我、無欲であり、私心、私欲、我意、我意があってはならないのである。
10日 天皇の天業 天皇は欲望を持たない。名誉、地位、財産を求めない。何ものをも欲しない現人神になる為に生まれ、育ち、修行されることを天業とするのであり、人と競争したりすることのない立場の人であらねばならない。 これらを裏付けているのが「むすび」の思想である。これは日本古来の伝統的思想であり、万物万象を悉く生成化育せしめてやまないという生命・宇宙法則である。従って天皇は「むすび」の作用により万物万象を悉く生成化育せしめてやまない存在である。
11日 しろしめす 天皇の本質は、「しろしめす」という古語によく現れている。しろしめすの義は、万邦をしてその所を得せしめ、兆民をしてその堵に安んぜしめ、人の天分を発揮せしめ個性を明らんにし、人をしてその所を得せしめるものである。権力、権勢、武力、財力

征服、支配により占領統一することではない。「しろしめす」「しらす」は、「うししはく」領有私有と異なり、自己を空しうして宇宙萬有を生成化育する精神により治めるという意味である。「しろし」「しらし」は、知らし、知る、治ろしめすという義である。

12日 天皇の本質 「むすび」の作用を果たす立場である。すなわち、宇宙生命のはたらきを、人間的行為化するものであ。 これは神の立場と同じである。他宗教では教典であろう。
13日 天皇の機能

天皇の機能は我が国固有のもので、「天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)」と「天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)」と「万世(ばんせい)一系(いっけい)」の三つである。

これは他国には見られない。人類文化を創造し恩恵を与えた民族は例外なく自国固有の独自的文化を築きあげて開花し普遍的文化へと生長したものである。
14日 進歩的文化人とは
頑迷固陋の頭脳保有者

当初から普遍的文化などあり得ないのである。一つの独自性が時を得て世界へと拡散普及し普遍性になつたものである。従って、普遍性世界性は固有性独自性を離れて存在するものではない。

然るに、日本では、愚かにもこの原理の解らぬ輩がいる。ここに大きな誤謬があるのが戦後の進歩的文化人?の錯覚と無知と偏見的反日である。
15日

日本文化の拡散

日本の文化が近年広く世界に拡散し受け入れられつつあるのはご案内の通りである。それは人間生活に自然に受け入れられる日本文化の特徴であり21世紀の主流となりつつある。日本文化は普遍的文化となるに違いない。
平成20年、アメリカのサブプライム問題の破綻を契機に一挙

に欧米の原理、即ち、大量消費、大量生産、マネーゲームは資源の世界的枯渇から一挙に噴出した。これは過去500年の欧米・白人原理の行き詰まりの様相なのである。21世紀は日本文化こそ世界の普遍性となるであろう。
16日 天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)

天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)」とは、天津神々、即ち天御中主神、高御産霊神、神御産霊神、うましあしかびひこぢの神、天之常立神のことである。

日嗣(ひつぎ)とは霊嗣(ひつぎ)であり、霊魂精神を日に日に承け継ぎ、これを万邦兆民に普及し神の恩恵に浴せしめ子々孫々栄えせしめる意義がある。
17日 随神(かんながら)の道

天津日継を理解するには随神の道の原理を理解せねばならぬ。古事記上巻の第一頁、天地(てんち)開闢(かいびゃく)に「天地初めて発けし時、高天原に成れる神の名は、天御中主神、次に高御産霊神、次に神産霊神、この三柱の神はみな独神と成り坐して、身を隠したまひき。

次に国わかく浮きし脂の如くして、くらげなすただよへる時、葦かびの如くもえあがる物によりて成れる神の名は、うましあしかびひこぢの神、次に天常立神、この二柱の神もまた、独神となりまして、身をかくしたまひき。上の件の五柱の神は別天津神」に始まっている。
18日 天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)

これは、我が国、神ながらの道は天地開闢と共に始まりつ、宇宙萬有の道、即ち宇宙生成発展の原理原則を人間生存の法則とし、これを実現開化することを目的とし民族の理想としていることを物語っている。

天津日嗣は、この森羅万象を生成化育する法則を継承し、伝道宣布して行くことを言うのである。
19日 自然の原理の日本の神様

神道以外の文化思想教義は、仏教、キリスト教、マホメット教を初めとして儒教、ヒューマニズム等すべて理性の所産である。理性の思索により創造されたものは完璧を誇る理念と雖も必ず無理があるものだ。人間という個性また自我から出発した理性であるから限界があるのだ。

然し、神ながらの道は、宇宙の実在を司る法則、生命作用を基としそれを人間に適用するものであるから、宇宙の法則そのものに合致しておることとなり自然なのである。
20日 天皇の原理

この永遠不滅の原理である宇宙の法則を原理としている神ながらの道は、諸外国の理性を根底とする理性万能主義ではない。生命の生存法則は無限の新陳代謝、流転流動、循環還元である。理性はこの活動を無視して生命に逆らう恐れすらある。

ここに諸外国の思想文化と日本のそれとの相違がある。
この永遠不滅の原理を、日に日に承け継ぎ、その原理に忠実にならんと祈るのが神であり天津日嗣であり、その中心が天皇なのである。
21日 ゴッドと神の違い 江戸時代には、キリストのことを「耶蘇」と言い神とは言わなかった。日本り神とは違うものであると認識していたのだが、明治初期に来日した宣教師が、耶蘇を神とし日本の神様と混同してしまった。

西洋人のゴッドは、本質的に異なる。彼らのゴッドは造物主としての全知全能の専制的支配者である。我が国の神は、隠れ御霊魂―かみ、即ち宇宙萬有を生成なのである。生成化育する作用そのものを神というのである。 

22日 天壌(てんじょう)無窮(むきゅう) 天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)の道統を継承するから天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)となるのは当然である。人類は、人間以外の隠れた御霊魂を認めたのだが、これは各民族共通である。民族によりその霊的存在は表現・内容は異なり本質も異なる。 日本民族は共通する独特の言語、道統があり日本人の特質を形成している。これらを継承しているのが古事記の精神である。
23日 (むす)()の作用 上古の時代では、天然自然現象である、日月星辰、山川草木、風雨雷鳴、巨岩、深山渓谷の如きも、神として崇拝した。そして物体と霊魂との区別を思索し遂に霊作用の存在を知るに至った。これが宇宙、森羅万象を生成化育する法則、生命、エネルギーの発見であろう。 宇宙自然には、生成化育、発展開化に満ち満ちた「陽」の作用と、収縮し統一し整理秩序を立てる「陰」の作用が存在し、これを統合調和し新陳代謝・循環還元・流転流動せしめる造化の(むす)()の作用があることを知った。
24日 産霊

(むす)()の「むす」とは、むす、むれる、むすこ、むすめの意であり造化生成現象である。

()とは、日、火と同じく、霊妙なるエネルギーの作用を言うのである。
25日 国体原理(今泉定助氏) 宇宙根本の(あめの)御中主(みなかぬしの)(かみ)の元霊は、発現して(たか)御産(みむす)霊神(ひのかみ)となり、還元して神御産霊神となった。この発現と還元とは、直に生霊(いくむすび)(たる)(むすび)玉留魂(たまつみむすび)の三魂の生成発展となる。 この二霊と三魂とは、霊魂不滅の本体であり本質であり互いに自性を発揮しつつ主観となり客観となり精神となり物質となり時間となり空間となり宇宙萬有を構成するのである。
26日 小は一菌、一毛より、大は日月星辰に至るまで、ことごとくこの二霊三魂により生成し、発展するのである。故に、宇宙萬有は不断に創造し発展してやむことを知らない。 この宇宙萬有、生成発展の原理原則を、人生社会に実現し徹底するものが実に日本国家である。
27日 別天津神

宇宙実在の始まりと同時に、天御中主神、高御産霊神、神産霊神、うましあしかびひこじ神、天常立神の五柱の神が現れた。これがいわゆる別天津神である。

これは宇宙自然を構成するエネルギー、生命作用、時間空間の三つの作用を表現したものである。
28日 神勅

天御中主神とはエネルギーを主宰する作用。

高御産霊神は陽の作用。
神産霊神は陰の作用。

宇麻志阿斯詞備比古遅神
(うましあしかびひこじのかみ)
とは生命作用を言う。

宇宙、萬有の生成発展の理法、これは生存原理であるが、天津神より祖神いざなぎ、いざなみの神に伝えられ

更に祖神より天照大神に伝承され、皇孫ににぎの命に継がれ、歴代天皇に受継がれてきたのである。伝承の第一神勅は、天沼(あめの)(ぬぼこ)であり、
第二神勅は御頸珠であり第三神勅は
宝鏡である。
そして第四が天壌無窮の神勅である。
 
29日 天沼(あめの)(ぬぼこ) 天沼(あめの)(ぬぼこ)の神勅は、「天津神諸々の命もちて、いざなぎ命、いざなみ命、二柱の神に、この漂へる国を修め理り固め成せ、と詔りて、天沼(あめの)(ぬぼこ)を賜ひて言依さし賜ひき」、「この矛を見ること猶吾を見るが如くせよ、我が御魂はこの沼矛に神留りに鎮まりて、汝が国土の修理固成の大成するのを守護すべし」と仰せられた。修理固成とは生み修め、生み理り、生み固め 生み成せ、という意であって、要するに国家国民を不断に創造・開花・修練・鍛錬・生長・完成せよということである。いわゆる万物万象を生成化育発展せしめる産霊の精神の発動を意味するのである。この根本精神は、祖神より天照大神に伝えられ、天照大神より歴代天皇に承け継がれ、天皇は全国民に一人の漏れもなくこれを宣布して努められることを大御心と称せられたのである。 
30日 御頸珠の神勅 「吾は子を生みて、生みの終に三柱の貴き子を得つ。と詔り給ひて、即ち御頸珠の珠緒もゆらに取りゆらかして、天照大神に賜ひて詔り給ひしく、汝命は、高天原を知らせ。と事依さし賜へり。故にその御頸珠の名をみくらだなの神という」。この神勅は、いざなぎの神御自らの御頸にかけられていた珠を天照大神に授けて「この御頸珠を見ること猶吾を見るが如くせよ、 吾の霊は天津神の御霊と共にこの御頸珠に留まりて汝の神功を守護すべきぞ」との詔であったから、天照大神は、この御頸珠をみくらだなの神として斎き奉り、この御頸珠を見ること、祖神を仰ぐが如くにして、生成化育発展の原理実現にあたられたのである。
31日 宝鏡の神勅 「吾児この宝鏡を見まさんこと当に吾を視るが如くすべし。共に床を同じくし、殿を共にして斎鏡と為すべし」。
古事記には「此の鏡は専ら吾が御魂として、吾が御前を拝くが如くいつき奉れ」。
即ち「此の御鏡を視ること猶吾を視るが如くすべし。吾は宇宙根本の大木である天津御中主神と共に、この御鏡りに鎮まりまして、悠久無限に天津日嗣の皇業を照覧守護し参らすべし」との大御心であった。
歴代天皇は、毎朝、宝鏡を拝して天照大神に対面し、その御精神を体して一体となり、かくして天皇は天照大神となりきってその大御心を国民に注がれるのである。
天皇は、寝ても覚めても天照大神になりきって万物生成化育に努められるのである。よほどの鎮魂を重ねられ自己超越されるのが天津日嗣の天皇であり、ここに現人神(あらひとがみ)と言われる所以である。