日本、あれやこれや その47
平成20年3月

 1日 西欧に幻滅 戦後の日本人が西欧を良く知るにつけ幻滅を感じだした。自分たちが戦後も成功したのは、自分達が元々身につけていた文化そのものに在ると気づいた。まだ、多くの日本人の認識に到ってはいないものの、この考えは徳永圀典だけでなく、ハンチントン教授は明快に指摘しているのである。 日本は非西欧では最も西欧的近代化に成功したが、西欧化しなかったのも特徴と言える。日本の文明が基本的な側面で中国文明とは異なる、その上、西欧でもない、明白に日本の独自文化を形成しているのである。
 2日 ハインリッヒ・シュリーマン 彼は、ドイツの考古学者、ギリシャ神話の遺跡発掘者の言葉。 「この国には、平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもまして、よく耕された土地が見られる」。
 3日 昔の役人

シュリーマンの観察である。「役人たちが欲得ずくで、このげんなりするまでの警備に励んでいるのではないのは承知している。だから、尚更のこと、その精励ぶりに驚かされる。彼らに対する最大の侮辱は、例え感謝の気持ちからでも、現金を受け取るくらいなら「切腹」を選ぶのである」と感心している。

税関で荷物を解くのが大仕事な為、お金を渡し免除を願うが拒まれたことには「日本男児たるもの、心づけらつられて義務をないがしろにするのは尊厳にもとる、と言うのである」とその高潔さ、自尊心を賛美している。
 4日 貧乏は恥ならず 日本では、貴族階級であり、行政側である武士は、武士道も存在し、お金を逆に(さげす)む考えを持っていたので、他国の貴族階級と異なり、カネ儲けに走ることは無く、よって哀しいかな貧乏であった。然し武士道はそれを恥と思っていなかった。 また庶民も武士がお金を持っていなくとも敬っていたので搾取されない庶民は潤い、日本がみんな幸せになっていくのである。

現代の政治家・公務員は現代の武士である、肝に銘じよ。
 5日 自己抑制 トインビーは次のように言う「彼ら武士は、殆ど崇高と云ってよいような高い自己抑制の境地に到達した。即ち、もはやその外に超然としていられなくなった西洋化された世界の環境の中で、日本が独立を維持して行く為には、自分(武士)が犠牲を払わなければならないと確信し、自ら進んでその特権(武士)を放棄したのである。」 世界を見渡しても、通常、特権階級にある人間は、それを手放したくないため恋々とし、その後、下からの突き上げで革命が起こり処刑されてしまうのであるが、日本の武士は日本自体を憂いて、自らの特権を犠牲にし明治維新をやり遂げたのである。これは、義・誠・名誉を重んじ、損得勘定をとらない武士階級最大の、そして実在の武士としては最後の面目躍如たる所である。 
 6日 ゴッホの言葉 「日本芸術を研究すると、明らかに賢者であり、哲学者であり、知者である人物に出会う。その人は何をして、時を過ごしているのだろうか。地球と月との距離を研究しているのか。ちがう。ビスマルクの政策を研究しているのか。いや、ちがう。その人は、ただ一本の草の芽を研究しているのだ」 「まるで自身が花であるように、自然の中に生きる。こんなに簡素なこれらの日本人が、われわれに教えてくれるものこそ、まずは真の宗教ではないだろうか。
 7日 浮世絵がゴッホを変えた これは有名な話である。1855年と1867年、パリの万国博で、日本の版画、刀剣、蒔絵漆器、磁器、印籠などの工芸品が大いに話題となった。 それからジャポニズムに火がついたのである。多くの画家が、浮世絵の構図の思いがけなさ、形態の巧みさ、色調の豊かさ、絵画的効果の独創性」に衝撃を受けた。
 8日 ゴッホの慧眼 「僕らは、日本の絵を愛し、その影響を受け、またすべての印象派の画家は、共に影響を受けているが、それならどうしても日本へ、つまり日本に当る南仏へ行かないわけにはゆかぬ」

天才の鋭い慧眼は南仏を日本と見立て、まだ見ぬ日本や日本人をも見通して「日本人が素早く、稲妻のように素早くデッサンするのは、その神経が我々よりも繊細で感情が純真であるからだ」と言った。 

 9日 土器は日本のものが世界最古 縄文時代、炎の文様をつけた「火炎土器」という素晴らしく芸術的な土器を創っている。 その土器は1万3千年前のものである。太古から優れた芸術的独創性を持っていた。
10日 インド・タゴールの言葉 「日本人はたんに、芸術の天才であるばかりでなく、人間の生活を芸術作品のように掌握しているのだ」 床の間には花が活けてあり、絵が描かれた掛け軸がかかっている。このような清楚な佇まいを見せる日本に対してのタゴールは「日本人は男女貴賎を問わず美を味わう能力がある」
11日 日本人の部屋 タゴールは言う「部屋はシンプルであるが、その「空間」が美をいや増している」と指摘している。この空間は物理的にものに拘らず、世界一短い詩である「俳句」と通ずると。 簡素、質素、清潔などの日本の特質、究極のそれは神社であり皇室なのだ。この日本の価値観こそ日本独自の文化の原点である。矜持を見出せない日本人は残念である。 
12日 タゴール引用の俳句 タゴールは日本人の芸術感覚の鋭さを指摘した。芭蕉の俳句である。「古池や (かわず)飛び込む 水の音」彼は、「これだけである!」、「これ以上はなにも言わない!」と驚いた。 詩人が手がかりを与えただけで、あとは傍らに身を退いて立つ、このように早々と身を退くことができるのは、日本人が物の姿を見極める想像力に恵まれているからであると。
13日 表現の抑制 爆発的な感情表現は、タゴールは言う、他のどの国でもいやという程見受けられる。
情緒的な感覚と、その表現を抑制することで、美の感覚とその表現を惜しみなく増大させることができるということに日本に来てから私は思い至ったと。

これは日本の他の詩歌も同様、雄略天皇の歌「()よ み()持ち ()(くし)もよ み()(くし)持ち この丘に ()()ます子 家告(いえの)らへ 名告(なの)らさね (そら)()大和(やまと)の国は おしなべてわれこそ居れ しきなべてわれこそ()せ われこそ()らめ 家をも名をも」をあげ、心眼が溢れていると。 

14日

美の王国

「日本人は美の王国を全面的に手に入れた」、「この国では、美意識が余りに豊かで、いたる所に見受けられる」、「日本人の眼と手は、いずれも、自然から美の手ほどきを受けたのである」 更にタゴールは
「これは日本人の一部の特権階級に限られたものではなく日本のあらゆる境遇の全ての男女に属するものである」
とまで言う。
15日 タゴールの感じた日本人らしさ.

日本への船旅でタゴールは「日本人らしさ」に出会う。それは明白に西洋とは異なるものであった。例えば日本人船長、「風格がありながらも素朴な人柄で、船客に対しても、もったいぶるものがない。

西洋の船長は、みな厳しく船客と一緒に食べたり冗談を言うこともない。タゴールは、日本人の船長はただ、人間であったと言った。この西洋にない感性が日本の文化と調和し日本で理想的に完成されるだろうといった。
16日 フェノロサ アメリカの思想家であり日本美術研究家。東大教授。法隆寺夢殿の救世(ぐぜ)観音(かんのん)で誰知らぬ人なし。この観音は秘仏で何百年の長きに亘り人の眼に触れなかったものである。彼は、岡倉天心と共に、強引に夢殿に入ろうとした。

僧侶達は仏罰により地震で寺が潰されると拒否するものの開扉となる。何百年の塵が積もり白い布がグルグル巻いてあった。その時のフェノロサの言葉である。「遂に、最後の巻き布がはらりと落ち、そしてこの驚嘆すべき彫像、世界に比類なき仏像が、何百年ぶりに眼前に現れた」 

17日 欧米崇拝の愚かさ 明治維新後の日本は、富国強兵の為に欧米文化を遮二無二取り入れ、西欧崇拝主義となり、日本古来の習慣風習、文物は否定されるという愚かしき潮流が跋扈した。 為に、雪舟や狩野探幽の絵が二束三文で売られるという、日本文化の危機であった。
フェノロサは、日本古来の美術に魅せられており、西欧の模倣より本来の日本美術を磨くことが未来に大切だという主張であった。
18日 精神文明は東洋が凌駕 フェノロサは指摘する「西洋のものであれば、何でもかんでも崇め貴ぶというふうに、西洋のものをそのまま日本に入れないで、先ず入れる前には、これは果して価値あるものか、どれだけ利益のあるものであるかということをよく調べてから輸入し利用するのがよい。そうしないと大変な害を受けそしてを損します。

他方、日本から西洋に出すべきものも沢山ある。日本には昔から固有の文明があって、長所が沢山あります。日本から西洋に出すべきものを出さざれば、西洋の文明が遂に得ることが出来ないものが多くあります。」これは鋭い指摘であるが、敗戦により更に輪をかけたように欧米至上主義の戦後となり日本は大切なものを喪失しつつある。 

19日 ブルーノ・タウト 近代ドイツの大建築家、日本建築に魅せられ、桂離宮、伊勢神宮、飛騨白川の合掌造りなどを絶賛。 「まことに桂離宮は、およそ文化を有する世界に冠絶した唯一の奇跡である」と褒め称えた。
20日 桂離宮の美 タウトは「涙ぐましいまで美し」く、「純日本的な、しかも全く独自な新しい美」で、「理解を絶する美」だと激賞した。

「すぐれた芸術品に接する時、涙は自から眼に溢れる」「自然的な簡素のうちに精妙を極めた天才的な細部をいくつとなく発見する。用材の精選とその見事な加工、あくまで控え目な装飾、私はもはやこれを表現すべき言葉を知らない」と賞賛の嵐である。 

21日 タウトの観察 1 日本にやって来た時、まず感じたのは日本人の持って生まれた芸術性でした。それは日本の船に乗った際、寝室の上に器用に畳まれた青い縞の毛布が、一枚が「花の形」もう一枚は「波の形」になっていました。 これを見て「日本のスチュワードは、現代の汽船で働いてはいても、日本の浮世絵師や意匠家の器用さをその血の中に持っているのであろう」 
22日 タウトの観察2 タウトは日本人の特性として機能性重視を指摘している。別の表現では実用性である。いかに見栄えがよくても日本人は機能性が悪いと採用しないという。 だから機能的な西洋文明を維新後積極的に取り入れた。日本人の特性である、芸術性、機能主義、これが見事に具現化されているのが桂離宮だという。 
23日 質素な日本の建築物 機能性の高い日本の建築物は、極めて質素であると指摘し称えている。 御所さえも質素で「衣冠束帯に威儀を正した百官卿相の出いりする諸室も、簡素の窮みである。これほど質素な大臣たちの食堂(殿上の間)が世界のどこに見出されるであろうか」とタウトは述べている。
24日 ヨーロッパ宮殿と桂離宮 タウトは「ヨーロッパの宮殿が庶民階級に対し、上流階級との階級差を明示する企画があるのに対して、桂離宮は優れた趣味と優美さを備えてはいるものの、庶民との距離を創りだすものではなく市民的である」と述べた。 つまり権力や財力をひけらかし、金ぴかに飾り立てるという考え方もなく、そんな下劣な芸術性は持ち合わせていないという事でしょう、とも言う。
25日 世界に見出せない事実 日本はインカ帝国のように壊滅の悲劇にも遭わず「太古以来、その固有の独自な文化を、外部の妨害を受けることなく、自主的に今日まで進展させ得た」
太古の建築物が世界に存在する。
例えばギリシャのアクロポリスは廃墟であり、神々の墓標であるのに対して、日本は、その太古の建築物―伊勢神宮などーが存在し、かつ日本人の前に立って今なお稼動しているという「世界のどこにも見ることの出来ない事実である」と驚嘆するタウトなのである。
26日 セオドア・ルーズベルト アメリカ大統領である、但し、日露戦争時代の大統領で、日本を戦争に誘導した時のルーズベルト大統領ではない、それは従兄弟である。 「これを読め、日本の武士道の高尚なる思想は、我々アメリカ人が学ぶべきことである。・・この武士道は全部アメリカ人が修行し、また実行してもさしつかえないから、お前達五人はこの武士道を以て、処世の原則とせよ」。
27日 君を待っていた 日露戦争勃発時、金子堅太郎は米国出張を命ぜられた。ハーバード大学で大統領と同期であったからだ。日本は大国ロシアに大勝は無理で、国力も不十分、当初から戦争終結のタイミングを求めており金子を派遣したのである。 大統領は、金子の来訪を聞くや、3、40人の来客を尻目に金子の手を取りながら「君はなぜ早く来なかったのか。僕は、今か今かと待っていた」と相談に応じたのである、国家関係と友情も無縁ではなかった。 
28日 アメリカにもサムライは居た 「日本に同情を寄せている」、「今度の日露戦争は日本が勝つ」、「日本は正義の為、人道のために戦っている。ロシアは近年、各国に向って悪逆無道の振る舞いをしている。特に日本に対しての処置は甚だ人道に背き正義に反した行為である。 今度の戦も、ずっと初めから経過を調べて見ると、日本が戦さをせざるを得ない立場になっている。よって今度の戦は日本に勝たせなければならぬ。そこで吾輩は影になり、日向になり、日本の為に働く」とアメリカ大統領のルーズベルトは発言している。
29日 ジョン・ヘイ 当時のアメリカの外務大臣、中国の門戸開放、機会均等を唱えていたジョン・ヘイにも会いに行く、紹介状を渡しても中味を開けず、金子の顔をしげしげと見るばかり。 そして言う、「貴方には紹介状の必要はないではございませんか。紹介状を持ってくるには及ばぬじゃありませんか。」金子は会ったことがないから持参しました」
30日 海軍大臣 ヘイは「十四、五年前に会っている」というので驚く。ヘイは新聞記者であった時、知人の晩餐会で金子と会い、日本の憲法や米国議会の話をしていた旧知であった。 更に、海軍大臣に会った時も「君は俺を忘れたか」と言われます。彼もハーバード大学の同級生であった。
31日 信用の根幹は「武士道」 金子は、こうして重要なアメリカとの交渉役として、当にこれ以上はないほどの最高の適役であった。 明治人の適材活用の妙であり手法であり、国益に大きく貢献したのである。これも日本には武士道があり政治家が立派であったからである。