日本の「叡知」(遷宮年を寿ぐ) その三
平成25年3月
1日 | 感じとる宗教 | 神道は「感じとる宗教」なのである。だから俗な事で嫌いだったが、「パワースポット」という事も神道の回帰現象なのかも知れぬ。それは巨岩とか、巨木とか、山とかに神を感じた日本人の神道の原点と同じ現代的感性なのであろう。自然な感性に於いて感じ取る神様であり自然への感謝と畏敬がそこに見られる。だから神道は「言挙げしない」、自然に感じる宗教である。 |
2日 | 言葉はいらない |
何故かわから無いけど神社に参拝して気持ちがすっとする、頭でない、知識でもない、けれども心が清々しいことを実践する。言葉はいらない、それが日本人らしい宗教・神道なのである。 |
3日 | 心身を浄化と拍手 |
聖なる空間を訪れて神秘的な伊勢神宮の神前で、拍手を打ち、静寂な中で、心身を浄化させている、清めている。これ人間の生まれたままの原点回帰なのですね。無意識に幼児のように無意識に人間の原点に返っているのである。素晴らしいではないか。 |
4日 | アメリカ式の公民館 |
戦前、神社の境内にある籠り堂とか、社務所は周辺部落住民の溜り場所だった。敗戦して、この場所での集会を止めさせるのが神道停止の近道と考えた進駐軍が考案したのがアメリカ式の公民館である。神社集落での寄り合いを大切にして祭りを盛んにして住民の結束を高めることは、とても日本人的な伝統維持策なのである。大事にしなくてはいけないと思う。 |
5日 | 極楽、地獄、煉獄 |
仏教でも、キリスト教でも地獄に、煉獄に落ちるという思想がある。これは信者に対する脅しである。だから、それに落ちない為に素晴らしい未来の極楽に行ける為に、と言うような考えが原点にある。 |
6日 | 中今の精神 |
然し、神道には地獄・極楽の思想はない。それより、現在を感謝しつつ懸命に生きるというのが神道ではあるまいか。それを神道では「中今」の精神と言う。過去・現在・未来に捉われないで永遠の過去と未来の中間にある「今」、当に今の中、中今を最良の時として、この瞬間を精一杯生きることである。生かされている今、神様の恵みを受けている今、それに感謝する心である。 |
7日 | 日本の原理 |
神道は清浄を旨としている、それは明るいことでもある、それには常に清潔にしなくてはならぬ。暗くてはカビも生える、だから、「ハラエタマエ」であり「キヨメタマエ」となるのである。それには、簡潔で簡素にしておかなくてはならぬ。神社の建物も皇室も簡素であり簡潔を旨とするのが共通である。それは「もったいない」の精神にも通ずる日本の原理なのである。 |
8日 | 浄明正直 |
私は毎朝、祝詞をあげているが、日々、清く、明るく、正しく、直く生きる事を祈っている。これが「浄明正直」である。正に神道は清らかと清浄が信仰の中心である。身を清める、常に祓う、そして毎日生活を営む。歯を磨き、顔を洗うのも禊の儀式、昔から知らず知らずの間に、自然に朝起きてから寝てしまうまで新道的生活、即ち「惟神の道」を歩いている。 |
9日 | 日本人の美意識 |
伊勢神宮は心のふるさと、とは昔からの謂いであり、日本人の歴史的原点である。それは精神的なもののみでなく、神宮の美しさに於てでもある。神々しい、厳かな場所で日本人の意識を蘇えさせるのである。日本ならではの空間であり場である。 |
10日 | 玉砂利の参道 |
あの伊勢神宮の、掃き清められた玉砂利の参道を歩むときの清々しさで先ず心が引き締まる。右手に見える神路山の麓に靡いている日の丸の国旗を横手に見ると、思わず背筋が凛として日本人の意識が再生する。 |
11日 | 淨闇 |
遷宮の儀式は夜中である、淨闇の中で執り行われる遷宮祭は想像を越えるもので、日本人の美意識をさらにかき立てられる儀式と思える。 |
12日 | 簡素美 |
単純なものほど美しい |
13日 | 唯一神明造 |
内宮御正殿の、シンプルで直線的、しかも力強さ。唯一神明造です。基本構造は、萱の屋根と、掘っ建ての檜の柱、高床の穀倉に似た素朴と単純な造りである。 |
14日 | 日本人らしさ |
ここに日本人の原点を見出して欲しい。ここに「日本人らしさ」を確認して欲しいのであります。建築物だけではない、神社にある神宝、装飾品、そして献納された品の数々が実に素適な感性が伺えるのだ。 |
15日 | 清明な心のみ |
献納された美術品には、みな奉納者の名前がないそうである。ここが実は感動するのだが、これこそ神道だと言いたくなるのだ。それは、神様に捧げるのに地位や名誉は不要で、清明な心からのものが必要なだけであると言う。 |
16日 | 鏡 |
私は神道のご本尊は「鏡」だと思う者だ、鏡に向って祈る、それは「己れの心」に対して祈るのである。ご神体の鏡には己れの心のみ写るのだ。素晴らしいではないか。 |
17日 | 民族の神 |
20年ごとの遷宮にしても、改めて「民族の神」に日本人の精神を見つめなおす機会となっている。日本人らしさを復元する機会とでも言えるのだ。 |
18日 | 日本人らしさ |
日本人らしさ、とは何であろうか。 |
19日 | 日本人の美意識の結晶 |
先ず、日本人の美意識、それは伊勢神宮がその結晶であろう。日常を超越した神々しいスポットなのである。これは皇居と相通ずるのは当然である。伊勢神宮のあの、芳香高い美しい檜、屋根の萱、単純な素材が構造と融合し統合美を現出しているのだ。神道は単純美の中に基本哲学を秘めている。ここらに、日本人は誇りと思うような域に達しておらなくてはならぬ。 |
20日 | 絶好の機会 |
遷宮とは、日本人の精神性を見つめ直す機会、そこに民族の叡知を感じて欲しいのである。日本人らしさを復元する絶好の機会である。 |
21日 | 日本人 |
日本人、それは「秩序の保たれた美しさ」、「清純さ」、「慎み深さ」、「謙譲」、「思いやり」、「調和と和の心」、「父祖を大切にして歴史と伝統を重んずる」、「絆と和」、「道徳心の高さ」というような感じであろうか。中国とか韓国人と違う、洗練された心の保有者であることに矜持を抱いてよいのである。 |
22日 | 日本人のオリジナルな心 |
神道には経典もない、教義もないと言われる。だが古事記、日本書紀、万葉集などに先人たちが残してくれた古代の記録こそ、日本人のオリジナルな心の姿であり教えなのではあるまいか。日本人らしい、宇宙観、自然観、人間観が躍動的に描かれている。自然と共にある人間というのが神道と思われる。 |
23日 | 日本最初の神 |
キリスト教の神とは天地創造の唯一絶対的存在である。古事記を読み解くと、日本の天地初発の神は「天之御中主神」である。最初からお成りの神で天地開闢の時に高天原に現われた。 |
24日 | 自然観が背景 |
次ぎは、高御産巣日神、神産巣日神など八百万の神々が続々と新たに生まれる。神は一つではなく、大自然や人とともに存在する、という日本人の宇宙観であり自然観が背景にあるのを知るべきである。 |
25日 | 「もののあわれ」の分る日本人 |
日本人は、「もののあわれ」の分る民族である。盛者必衰、生あるものは必ず滅ぶ、世の中は、はかない、という存念の分るのが日本人、だからこそ自然を、人間性を慈しみ、愛でる。余談だが、古代日本人には、愛するという存念はむかない、というより愛するだけでは浅薄な存念と思える。 |
26日 | 慈愛が日本人的 |
慈しみ、愛するの「慈愛」こそ感性的にぴったりである。そのような日本人だからこそ、生き生きと蘇生し復活させる為に永遠の遷宮を求めたのかもしれない。 |
27日 | 人類の救世主的存在 |
西洋の神は絶対で、自然を征服するかの如きで、それが西欧の原理であるが、日本人の思想には、自然と共に共存の思想が根源にある。だから、山川草木、森羅万象に神々が宿ると直観したのであろう。愚生の常に申す、日本の神様の原理こそ地球人類の救世主的存在である。これは理に適っている。 |
28日 | 大自然と一体 |
それは、人間は、自然に地球に生かされているということである。大自然の前では、人間など所詮は芥子粒ほどの存在、大自然の前で人間の限界を、分をわきまえているのだ。それを知った時、人間は力を発揮することができる。大自然と一体化しているからだ。 |
29日 | 神道の根源的哲学 |
人間とは自然と一体のもので、人間の生活環境の中で自然との一体化を目指して創意工夫をし、日々新たに生まれ変わろうとする、それは生命の人間の蘇りを意味する。これは神道の根源的哲学なのであろう。 |
30日 | 神様と魂の交流 の図られる重要な柱 |
そのシンボル的表現が「禊ぎ」であり、或は「拍手」ではなかろうか。禊ぎ祓いにより新しい生命が生まれたのはイザナギが罪穢れを犯しながらも次々と脱ぎ捨てて最後に水につかり神性を獲得してゆくのがその象徴であろう。これが神道の根幹をなす「蘇り」であろう。遷宮は蘇りなのである。我々の拍手も蘇りなのである。 |
31日 | 清潔は日本民族の固有の心性 |
日本の聖なる柱である心御柱が奉納される時、神宮の神職たちは、心を込めたお祓いを行い「一切成就祓」と呼ばれる祓詞を一心に唱えるという。この意味は「極めて汚きも滞りなければ穢れは有らじ 内外の玉垣清し浄しと申す」の意味の由。 |