昭和時代を生き抜いて思う

私は1931年、昭和6年に生まれた。先の大戦・大東亜戦争体験者の一人である。昭和19年旧制鳥取一中に入学、だが鳥取は田舎の山陰でありアメリカの飛行機グラマン戦闘機がビラを落としたのを遠望しただけであり戦火に遭うことはなかった。

だが、田舎とて戦争末期から敗戦直後には物資は不足し食糧もさつま芋の蔓、カボチャが主食に近かった。

でも、戦時中ながら日本の教育システムの中で恵まれて育ったと言えよう。塾にも通う必要もなく、家庭教師も不要、自力で努力することを誇りに思った中学生、高校生の敗戦前後であった。敗戦しても日本を否定するような感覚は無かった。

敗戦後の日本は特に悲惨であったが、東アジアでは

「日本だけが西洋の植民地にならなかった事。明治時代の先輩が日本の独立を護って呉れた事、そして日本に産業を確立してくれていた事」を凄く感謝した思いが強かった。

だが、敗戦の後遺症は大きく、将来の日本は豊かなアメリカとか西洋のような暮らしには程遠いであろうと思っていた。

処が敗戦後二十年近い昭和40年代になると、アメリカでは日本製の車を競って求められるようになった。

戦後早々は物質的生活は不如意であったが、私は、日本は世界列強の五大国の一つの国民であると、精神的には矜持を失うことは皆無であった。

寧ろ、心中深く青少年時代に不如意な生活を送ったことはこれからの人生航路に決して無駄ではないと感じていた。

それから数十年経た現在、平成27年だから昭和20年から70年になる。

敗戦国日本、そして日本を包囲した戦勝国・ABCD包囲網の国々、アメリカ、イギリス、チャイナ、オランダの現状はどうか。

勿論大国アメリカはまだ世界一の軍事力と経済力のリーダーであるが、財政は疲弊し、戦後直後のあの圧倒的な経済力は見られない、疲弊惨澹たるものがある。あの大英帝国イギリスは、もはや陰の薄い存在である。

チャイナ、戦争終結後70年でやっと経済的な力をつけ台頭してきたが、国民のレベル、教育、モラル、国土の自然環境の劣悪ぶりは民族自滅を予感させるものがある。オランダは、戦前は世界一の植民地大国でありその反動は惨澹たるものと言える。

 

韓国など、見かけは日本の遺産のお蔭で先進国に見えるが、技術とかにオリジナリティもなく不安定で近年は国の綻びが伺えだした。

 

そして、各国の国民生活ぶりを概観すると、感覚的だが、日本人の生活は実に豊かで安定し、日本人は世界一の長寿、そしてモラルも世界一と言えるだけでなく、日本人の生活文化態様が、世界中に拡散しており人間生活に最適だと認識されつつあるように思える。

人間生活には日本式生活態様が実に快適なものであると証明されつつある。その上に医療初め技術の進歩も先端的で希望がある。

さらに古来からの日本人の叡智から生まれた天皇の存在、伊勢神宮遷宮に見る日本文化の重厚さ、実に素晴らしい叡智溢れる仕組みを内臓している日本という国に改めて感謝するのである。

    平成27年3月1

    徳永日本学研究所 代表 徳永圀典