宗教の本質に関して その三 岫雲斎圀典
平成24年3月度
1日 |
「古木にあっては幹よりも枝が先に枯れることもある。生あるものは必ず死に、会うものは必ず別れなければならない。故に人は依頼心を捨て、自分が自分の頼りになるように自分を光とするがよい」。「自らを灯明とし自らを拠りどころとせよ」。 |
2日 |
私はこれが究極の理だと思っている。自分を光とするとは、自分が光り輝くように自分の心や言動をよく調え、自分の心を豊かにすることだ。私にはこれで充分であった。 |
3日 |
お釈迦さまの悟られた内容を「四諦」という。諦は諦めるの意味ではない。「真理を明らかにする」という意味のサンスクリット語である。 |
4日 |
四つの真理とは、「苦諦」、「集諦」、「滅諦」、「道諦」である。「苦集滅道」である。 |
5日 |
「苦諦」とは、どうしてこの世の中に苦しみがあるのか、その原因を考えること。苦の原因は煩悩や執着だという真理である。この世は苦しみに満ち溢れているという真理」。 |
6日 |
生きている以上「生老病死」の四苦から逃れられない。それらの苦しみを経て最後は死が待つ。生まれて来ること自体が既に苦である。 |
7日 |
更に四つの苦をお釈迦さまは分類された。「愛別離苦」、「怨憎会苦」、「求不得苦」、「五蘊盛苦」である。 |
8日 |
欲望の最大、最悪のものが渇愛、むさぼるような欲望である。生きている限り、心が動いている限り、絶えず様々な苦しみに悩まされるのが人間であり人生。 |
9日 |
「十二因縁」無明、行、識、名色、六入、触、受、愛、取、有、生、老死である。お釈迦さんの結論は明快、人間の苦しみの根源は十二因縁にあるような「無明」にある。 |
10日 |
それなら無明を消してしまえばよい、苦を消滅させる真理だから「滅諦」である。「これあれば、かれあり」、「これ生ずれば、かれ生ず」、「これ無ければ、かれ無し」、「これ滅すれば、かれ滅す」と云われた。 |
11日 |
「八正道」 「道諦」我々は、どうすれば、無明を滅し涅槃に至ることができるか。お釈迦さまは菩提樹の下でその方法を悟る。これが最後の「道諦」である。道とは涅槃に至る道、無明を消滅させる方法、この方法を「八正道」という。 |
12日 |
「八正道」とは、八つの正しい実践方法。 @正見(正しく見る) B正語(正しい言葉) D正命(正しい生活) |
13日 | 色々と、仏教に関して所見をものしてきたが、私は、結局は、仏教は、宗教は、「生の哲学」でなくてはならぬと信じるものである。それは、最終的には、「自己研鑽」であり真摯に人生を歩むには、この八正道を踏むことだと申して良いのかもしれない。 完 |