岫雲斎の「老荘思想雑感」 その三
1月12日から、急に思い立って「老荘」に就いてまとめて感慨をまとめ始めた、書き流しである。果してどのようになるのか。
平成24年3月度
1日 |
西洋の思想は、「論理一本槍」であろう。 |
2日 |
荘子は「道は聞くべからず、聞けばそれに非ず。道は見るべからず、見ればそれにあらず。道は言うべからず、言えばそれにあらず」と言う。 |
3日 |
日本人なら、わかったような気持ちがするが、西洋人は、そんな見えもしないし聞きもしないことをと・・。然し、世の中には、そんな事やものは一杯ある。これを西洋人に分らせれば日本人理解に一助となるのであろうが。日本人指導者自体がもっと老荘思想を理解し取り入れたらと思う。 |
4日 |
老荘思想の真髄は、人間の本当の楽しみとは何か、何の為に生きているのか、ということをトコトン追求していることだから、現代日本人こそ本当に必要な思想ではなかろうか。 |
5日 |
英語で習った「all work and no |
6日 | 人間本来の自然な生き方は、仕事に遊び心を取り入れ、遊びの中から仕事の発想も生む、自分の持ち時間を、いかに楽しむか、これは老荘的人生観と言えるのではないか。非日常に遊び心があれば新しい物の見方が湧いてくる |
7日 |
荘子の冒頭の途方もない、雄大さと神秘性に圧倒される。 |
8日 |
老荘を分り易く安岡正篤先生が述べておられる。 |
9日 |
では、老子型はどうか、「おっとりしていて風采も構わない、そしてズバリズバリと率直にものを言う「薬なんて飲むもんじゃない」、「栄養物なんていらないよ」というタイプである。 |
10日 |
荘子型の医者とは、一見無精者、患者に対して「大したことはない、人間はちと病気ぐらいあったほうが悪いことせんでいいかもしれん」などと言うタイプ。 |
11日 |
荘子の哲学の根本見たいな話がある。あの、宰相としては落第だった、ちょっとヒネタ宮沢喜一である。総理を励ます会の時、参加者にプレゼントを渡した、扇子である。その扇子に「坐忘」と書いてあったそうだ。 |
3月12日 |
坐忘とは、荘子が、孔子の一番弟子の顔回との対話の中で、孔子を揶揄した文章の中に出ている。これは荘子の哲学の根本と言われる。それは、「自分自身をも忘れた超越者の境地のことであり、何物にも拘泥しない自由無碍の生活を理想」とすることである。 |
13日 |
荘子が胡蝶になる夢を見た時の心境が「夢に胡蝶になる」である。胡蝶が荘子になったのか荘子が胡蝶になったのか、それは問題ではない。変化に応じて、自由に楽しみ、あるがままの人間世界を、あるがままに捉え、伸び伸びと生きることの重要さを暗示している。 |
14日 |
人間のチッポケな智慧、小手先の政策など、政治がやろうとする程、社会や人間の活力が殺がれてしまう。つまらない規制を無くした方が伸び伸びと自然に活力が出るのではないかと思うこともある。然し、現代の若者や戦後生まれ老壮年には、孔孟思想を少し身につけて貰いたい。 |
15日 |
まあ、大局観を養うには老荘を読むのがいいかもしれない。日本人は、今まで儒教一本やりであった。少し老荘的な価値観を取り入れてもいいかもしれない。 |
16日 |
世の中の価値観が、とんでもない程に狂っていると思っているのは私だけではあるまい。その自覚がないのは、しゃんとした価値観が確立していないからであり、人間の歴史を知らないからではあるまいか。 |
17日 |
今日ほど、世相が、日本も外国も狂っているのは間違いない。世の中の価値観が狂っているのだ。本当に、智慧のある人々、それなりの歴史を歩んだ人々は、直感的にみなそう思っているに違いない。私など、20年間、距離を置いて世相を見てきたから実によく分かる。世界も日本も、政治家も、国家さえも、爛熟して破綻寸前のように腐臭がプンプンとしているように見える。 |
18日 |
大局観のない国会議員、大臣、近年のバカ総理、素養も大局観も哲学も欠けた連中が日本亡国に拍車をかけている。日本衰亡は為政者の資質による人為的要素に起因する。この国は本当にもう駄目かもしれない。橋下 |
19日 |
「老荘思想」と言うが、開祖とされる老子は伝説上の人物で、古代中国の春秋時代末期に実在したという説もあれば、架空の存在に過ぎないという説もある。 |
20日 |
荘子は、老子の思想を継承し発展させたと言われる。荘子は戦国時代に実在したと言われ、弱小国に生まれた荘子は戦乱の中で弱者の悲哀を痛いほど味わいつつ「荘子」を書いたのである。 |
21日 |
孔子の言葉がある、「天下に道あれば則ち見われ、道なければ則ち隠る」と。混乱した現代日本、或は世界のような時代には仕官をやめて身を隠すということであろう。世間との関係を絶って一般社会の規範外に生きるのである。このような生き方を「陸沈」というらしい。陸に沈むとは言いえて妙である。 |
22日 | 老子と若き孔子が面談したことが史記にある。概要は次ぎの如し。若き日の老子が、わざわざ老子を訪ね「礼」について教えを乞うたの
である。老子は孔子に会うとこう語った。 |
23日 |
「そなたは、古の聖人のことをよく口にするが、その身は既になく、骨さえ朽ち果てている。ただ彼らの言葉が残っているに過ぎない。それにそなたは君子、君子というが君子と言っても、うまく時勢に合えば君主に取り立てられるが、一歩間違えると風の吹くままに飛ばされる枯れ蓬のような存在だ。 |
24日 |
わしの座右の銘に「良賈は深く蔵して虚しきが如く、君子は盛徳ありて容貌愚かなるがごとし」と言う言葉がある。 |
25日 | そなたを見ると、驕り、欲望、気どり、邪心と言ったものが勝ちすぎている。それは皆、そなたにとつて無益なものだ。わしが、そなたに言いたいことは、それだけじゃよ」と。 |
26日 |
孔子はこれに深く感銘している。帰って弟子達に語った。「鳥は飛び、魚は泳ぎ獣は走る、それが分っているから鳥は弓で射落とせるし魚は釣り上げられるし獣は網で捕獲できるのだ。だが龍となると風雲に乗じて天に昇ると言われるが本当の事は知りようがない。老子に会ったが誠に龍のようなお人であった」と。 |
27日 |
史記によるとこの話を紹介した後に、老子の人となりに就いて、老子は、道を究め、徳の備わった人物であるが、彼の学問の骨子は「己を隠し無名である事」を旨としたと記してある。だが、老子と孔子の面談は作り話で疑わしいとされている。史記の荘子伝による荘子の人となりと思想は次の如しである。 |
28日 |
「荘子は博学で、ありつあらゆる事に通じていたが、その思想の根本は、老子の説に帰着する。文章表現が巧みで比喩を盛んに使って儒家や墨家を論難した。彼の表現は茫洋かつ奔放で王族・貴族は彼を使うことは不可能であった」と。自由人の面目躍如たるものがある。 |
29日 |
荘子が危篤の時に弟子に言った言葉がある。「天地はわしの棺桶、日月や星は宝器、万物は会葬者だ。その上に何を加えるものがあろうか。このまま打ち捨てて貰いたい」と。そして、更に言う、「地上に死体を放棄すれば鳥に食われてしまう。だが、地下深く埋葬したとて、何れは虫の餌になる。・・・自然に順応しようとしても真の順応は得られない。 |
30日 | 己の賢をたのむ者は知を働かせ却って事物に支配される。聖知の持ち主は、ただ無心に事物に順応するだけだ。賢知は所詮、聖知には及ばぬ。この道理を知らぬ者は、己の判断に固執してあげくそれが作為を弄することとなり、何時までも束縛から解放されない、悲しいことではないか」である。 |
31日 |
ここらに荘子の真骨頂があるように思える。 老子にしても荘子にしても、社会の底辺に身を置き、弱者の立場に恰も居直るようにして思想を形成していったのであろう。この思想は、強靭な精神に支えられていた。現代日本人に必要不可欠の精神となってくるのではなかろうか。 |