時には文学を

時には文学に触れて心を癒したいと思う。

平成27年3月

1日

竹取物語を紐解く、わが国最古の物語の冒頭部分をそのままご披露して見よう。 

1日 かくや姫の生い立ち 

「今は昔、竹取の(おきな)といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、さかきのみやつことなむいひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。
それを
見れば、三寸(さんずん)ばかりなる人、いとうつくしうて()たり。翁いふやう、「我あさごと夕ごとに見る竹の中におはするにて、知りぬ。子としなり給ふべき人なめり」とて、手にうち入れて家へ持ちて来ぬ。()(おうな)にあづけて養はす。うつくしきことかぎりなし。いとおさなければ()に入れて養ふ。 -----------------------------------------------------------------------
ヤマト言葉には安らぎがありますね。うっとりするような優しい感情が溢れています。それが我々の祖先だったのですね。
やはり文学は心が和むようであります。

2日 平安時代

つらつら考えて見れば、平安時代、桓武天皇が平安京に都を定めてから源頼朝が鎌倉に幕府を開くまでの約400年間が平安時代である、即ち794年から1192年まである。この期を中古の文学と言うと覚えている。宮廷を中心とした貴族文学が隆盛を極めた。貴族達は優れた教養を身につけ、宮廷の女性達もまた豊かな才能を示したと言える。当時の欧州と比べて比較にならない先進性のあるものであった。

3日 唐風 平安時代初期には、中国文化の輸入、模倣が盛んで天皇中心に貴族の間には漢詩文が流行している。例えば「凌雲新集」、「文華秀麗集」など勅撰漢詩文集が編纂されている。
4日 唐風から和風へ

しかし遣唐使が廃止された頃、即ち894年、から次第に日本独自の文化が育ってきている。その大きな力となったのが平仮名の発明と普及であった。平仮名は漢字より自由に使え、きめ細かな表現に適した文字で、これは現在の中国とか韓国には無く、その後の日本人の感性の洗練さ向上に大きな貢献をしている。この文化的功績は特筆大書すべきもので、祖先に感謝すべきものである。誠に在り難いなと思う。
この平仮名を使いこなして女性は勝れた文学作品を生み、男性は繊細で美しい表現能力を磨いたのである。

5日 平安時代の文学作品

かくや姫の生い立ち
竹取物語、わが国最古の物語の一部をそのままもう一度ご披露します。

今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、さかきのみやつことなむいひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうて()たり。翁いふやう、「我あさごと夕ごとに見る竹の中におはするにて、知りぬ。子としなり給ふべき人なめり」とて、手にうち入れて家へ持ちて来ぬ。()(おうな)にあづけて養はす。うつくしきことかぎりなし。いとおさなければ()に入れて養ふ。

作者は(みなもとの)(したがう)と言われる。

永観二年、984年に出来た「三宝絵詞」の序文によると、物語は当時、既に「浜の真砂よりも多かった」と記されております。その中でも竹取物語は古物語とされています。

6日 徳永が簡潔に要約 初めに、この物語を徳永が簡潔に要約してみましょう。 

竹取の翁が切倒した竹の中から生まれた「かぐや姫」は美しく成人するのです。このかぐや姫に、石作(いしづくりの)皇子(みこ)、阿部右大臣など五人の貴公子が求婚します。姫はこの五人に夫々難題を与えてそれを果たした者の妻になると約束します。五人はさんざん苦労の末、いずれも姫の望みを叶えることができない。最後に(みかど)が求婚するのですが、かぐや姫はこれも断りまして、仲秋の名月の夜、天から降りてきた迎えの使者とともに天に昇りまして月の世界へ帰ってゆくという物語であります。
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もう非現実の世界へ昇天するような安楽の情緒に漂うような感情になってきます。文学の徳であります。

7日 ヤマト言葉

それに比して、現代の政治、メディアの騒々しさには庶民の神経は逆なでされてグチャグチャになっていますね。

ヤマト言葉、そう日本人とは昔からこういうような感性なのですね。外国に毒されきった悲哀を感じます。毒々しい会話、過激な言葉、人間とし情けないものだと感じますね。 

8日 竹取の翁

では、更にこれを詳しく語ってみましょう。既に申しましたように 
竹取の翁、
可愛い、小さなかぐや姫を見つけました。家につれて帰って育てます。

9日 石作皇子

石作皇子と仏の石鉢
石作皇子は、にせ物の「仏の御石の鉢」を錦の袋に入れ、造花の枝で飾って持参するのですが、姫に見破られます。

10日 求婚

五人の貴公子の求婚
多くの求婚者のうち、最も熱心に通ってきた五人の貴公子に難題を出します。

11日 車持皇子 車持(くるまもちの)皇子(みこ)
玉の枝を作らせた(たくみ)たちが訴えました、偽物の「蓬莱の玉の枝」だと。
12日 阿部右大臣 阿部右大臣は「火風の(から)(ぎぬ)」を唐から取り寄せた、燃えない筈の唐衣は姫の前でめらめらと焼けてしまう。
13日 大伴大納言 龍の首の玉を探しに九州のほうまで船で行くが、嵐に遭い、両目を大きく腫らして帰り諦める。
14日 石上中納言

石上中納言は、燕の子安貝を手に入れるため籠に乗り家の棟に上がるが燕の糞を掴んで落ちて腰を抜かし死んでしまう。

15日 帝の求婚 かぐや姫の噂を聞いた帝は宮廷にむかえとするが、姫は使者にも会わない。帝は不意に姫を訪ね漸く帝は姫を見ることができたが・・。
16日 泣く姫

月を見て泣く姫
帝と姫は手紙をやりとりしていたが三年後の春ころから姫は月を見てはひどく泣くばかりとなり、月の都から迎えが来ると翁に打ち明ける。

17日 兵士

帝の派遣した兵士
十五夜の夜、帝が遣わした二千人の兵たちは、姫を月へ行かせなまいとして翁の家の廻りを守り固めた。

18日 翁の悲しみ 竹取の翁と(おうな)は悲しみの余り病となる。帝も病み臥してしまわれる。天に近いという富士山頂で、かぐや姫が翁と(おうな)に残した手紙と不老不死の薬を焼かせる。
19日 月に昇る姫 真夜中に満月の十倍もの光がさしてきて空から大勢の天人が降り、かぐや姫に天の羽衣を着せて一緒に天に昇っていってしまう。
20日 平安時代の文学作品一覧表

では、その他、平安時代には、どのような文学作品が生まれたのか下記に列挙して分類し一覧表にした。

年号

西暦

天皇

作品

作家など

天応元年・

延暦

781

桓武

神楽、催馬楽

794年平安遷都

元弘仁五年

814

嵯峨

凌雲新集

小野峯守ら

弘仁九年

818

嵯峨

文華秀麗集

藤原冬継ら

弘仁十一年

820

嵯峨

日本霊異記

景戒

天長四年

827

淳和(じゅんな)

経国集

良峯安世ら

寛平六年

894

宇多

竹取物語

未詳

延喜五年

905

醍瑚

古今和歌集

伊勢物語

紀貫之ら

未詳

承平五年

935

朱雀

土佐日記

紀貫之

天慶三年

940

朱雀

将門記

未詳

天暦元年

947

村上

後撰和歌集

(みなもとの)(したごう)

天延二年

974

円融

蜻蛉日記

藤原道綱母

天元三年

980

円融

宇津保物語

未詳

(えい)(えん)元年

987

一条

落窪物語

未詳

長保(ちょうほう)二年

1000

一条

拾遺和歌集

花山院ら

長保(ちょうほう)三年

1001

一条

枕草子

清少納言

寛弘四年

1007

一条

和泉式部日記

和泉式部

寛弘五年

1008

一条

源氏物語

清少納言

寛弘七年

1010

一条

和泉式部日記

紫式部

長和二年

10213

三条

和漢朗詠集

藤原(きん)(とう)

万寿二年

1025

後一条

大鏡

未詳

長元元年

1028

後一条

栄華物語

未詳

天喜(てんぎ)三年

1055

()冷泉(れいぜい)

堤中納言物語

未詳

康平二年

1059

()冷泉(れいぜい)

更科物語

菅原(すがわらの)孝標女(たかすえのむすめ)

承暦元年

1077

白河

今昔物語集

未詳

大治(たいじ)元年

1127

崇徳

金葉和歌集

源俊頼

仁平(じんぺい)元年

1151

近衛

詞花(しか)和歌集

藤原(ふじわらの)(あき)(すけ)

嘉応(かおう)元年

1169

高倉

梁塵秘抄(りょうじんひしょう)

後白河院

嘉応ニ年

1170

高倉

今鏡

藤原為経

文治三年

1187

後鳥羽

千載(せんざい)和歌集

藤原俊成

建久元年

1190

後鳥羽

(さん)()

西行

 

21日 概観

こうして見ると、794年、平安京に遷都して先ず、漢詩文の全盛期――文華秀麗集などの勅撰詩文集が編集されている。平仮名が発明され普及すると、和歌の全盛期が訪れ古今和歌集が現れる。勅撰和歌集も編纂される。894年、遣唐使が廃止された頃である。古今集全二十巻を初めとし勅撰和歌集が次々と生まれた、山家集のような私家集も現れた。

22日 古今和歌集

ここで古今和歌集について所見と見聞を開陳したいと思う。

古今和歌集

醍瑚天皇の勅命により作られたわが国最初の勅撰和歌集ですね。古今、とは万葉集以後、それから当今までです。歌の集という意味でありましょう。短歌中心で長歌を含めて全二十巻に約千百首が収められている。

選者は、紀貫之、紀友則、(おお)河内躬(こうちのみ)(つね)、壬生忠峯の四人。

23日 千百歌

万葉集が成立以後、平安時代にかけては漢詩文全盛時代であり和歌は一時期なりを潜めていたのである。貴族社会が安定するにつけ仮名の発明発達と共に再び盛んとなり遂に延喜五年、905年であるが醍醐天皇により勅が下されて編集されたのが古今集である。全部で二十巻、千百の歌が収められている。長歌が五首、旋頭歌が四首、旋頭歌四首、それ以外は短歌である。

24日 十三種に分類

各歌は、春、夏、秋、冬、恋、哀傷など十三種に分類。巻頭に前述の仮名序、巻末には紀淑望の書いた漢文の真名序と二つの序文を揃えている。

25日 歌風 歌風は、万葉集に見られる素朴さや力強さが薄れて、繊細優美な古今調と呼ばれるものになっている。時代と政治の安定、仮名の発達による感情表現の進化が見られるのである。
26日 掛詞 例えば、機知や言葉遣いの工夫により、優しく、優美な感じを漂わせている歌が多いといわれる。技巧も好んで見られる。掛詞、かけことば、或いは懸詞とも書くが、一つの言葉に二つ以上の意味を持たせ、上下の句にかけて用いる表現の技巧、音が同じで意味の違う語を利用した等々である。
 すみぞめの きみがたもとは 雲なれや
    たえず涙の 雨とのみふる
 壬生(みぶの)(ただ)(みね)      雨の降ると、袂を振る、二つの意味をかけている。
27日 仮名序

思いつくままに歌集に関するものを拾ってみる。
古今和歌集仮名序 伝源俊頼筆 美しい巻子本
やまとうたはひとのこころをたねとしてよろづのことのはとぞなれりける。
よのなかにあるひと、ことわざしげきものなれば、こころにおもふことを、みるものきくものにつけて、いひいだせるなり。・

28日 紀貫之

作者別に披露してみよう。
紀貫之 古今和歌集の選者の一人、仮名序を書いている。土佐日記の作者でもある。好きな二つ紹介する。
  春立ちける日よめる袖ひぢて むすびし水の こほれるを

      春立つけふの 風やとくらむ巻一春歌上・二
    風やとくらむは擬人、とくとむすぶは縁語。

29日 口語訳

無粋だが口語訳をものしてみる。
和歌は人の心をもととして、数限りない言の葉となって現れたものである。世の中に生きている人は、いろいろなことに出会うものなので、その時々に心に思うことを、見るもの聞くものに託して言い表わす、それが和歌というものなのである。

30日 紀貫之

作者別に披露してみよう。 

紀貫之 古今和歌集の選者の一人、仮名序を書いている。土佐日記の作者でもある。好きな二つ紹介する。
 春立ちける日よめる 
    袖ひぢて むすびし水の こほれるを
      春立つけふの 風やとくらむ
 巻一春歌上・二  風やとくらむは擬人、とくとむすぶは縁語。

31日 紀貫之 人はいさ 心も知らず ふるさとは
 花ぞ昔の ()ににほひける 巻一春歌上・四二  人は、ふるさとは、に対応している。