これぞ真実「全員が嘘つきの社会・中国」
「モラルの完全に死滅した中国」 宮崎正弘氏
宮崎正弘氏の「中国大破綻」を読んだ、212頁から214頁をご披露する。
朝起きてから寝るまで、生まれてから死ぬまでウソをつくのが中国人のDNDである。
泥棒の現行犯でも「いやオレは盗んでいない。この品物が勝手にオレの手の中に飛び込んできたのだ」と平然と嘯くのが中国人の特徴である。
ある電線工場。痩せた中国人工員が帰りがけに太っているので訝しんだ係官が裸にして調べたらコイルを躯に巻きつけていた。とがめると「いや、これは勝手にオレの躯に絡みついてきたんだ」と嘯いた。
実は「ウソ」という漢字は確かに中国語にあるが、日本語の「ウソ」の意味がない。発音はシーで、意味は「静寂に」である。ならば日本語の言う「ウソ」に該当する中国語は何か。それは「詐話」か「詭話」と表現する。
つまり全員がウソつきの社会で、飛びぬけてウソをつく人を指し、こういう人種が集まって競争を繰り広げているのが中国共産党である。
孔子様、孟子様が生まれた国で、なぜ道徳、モラル、義侠心が失われたのだろう。
三世紀に漢王朝が滅亡して、魏・呉・蜀の三国志時代になるが、この頃は多少はモラルが回復した時代であった。
「多くの義侠心あふれる人物や忠義を示す物語が次々と再現された。今も、人々に愛読される「三国志演義」は中国人最後の美徳を記録したものと言える。劉備の仁義と慈悲、関羽の忠義、張飛の勇敢さ、趙雲の胆力と知謀、諸葛亮の智恵と忠誠は代々語り継がれ、読み継がれ、永遠の傑作となっている。(陳破空著、山田智美訳「品性下劣な中国人扶桑社)
日本人の誤解は、この価値観が現代中国にまだ生きているという錯覚にある。
戦後の京都学派などは、中国の大人は徳の高い、尊敬に値する人が多いと盛んに書き散らしたが、今の中国にそういう人間は何人いるかの?
安岡正篤らが説いた中国古典の教養高い人が果たして生き延びているのか?
中国では、とうに道徳は死に絶え、「中国の歴史は正義が悪に勝つことはなく、最後はいつも悪が正義に勝ち、腹黒さが忠義に勝るのである」(陳破空 前掲書)。
つまり「三国志演義」は、「中国人最後の美徳物語」でしかない。(ついでに書くと「三国志演義」は小説であり史実ではない)
そして最悪の共産党が天下を取って、モラルは完全に中国で死滅した。そう、「完全に」である。
「富貴不能淫、貧賤不能移、威武不能屈、此之謂大丈夫」、富有になっても正常であり、貧しても姿勢を貫き、暴力に屈せず、権力にひざまずかない。こういう人を大丈夫と言う」と孟子は教えた。
だが、現代中国では、こうした精神は雲散霧消し、中国人は道徳的に退嬰化し、三国志時代とは異なる民族になった。
勇気や鋭気、創造的な思索、思想、創造力が失われ、その反面で、自己中心主義、独りよがりで冷酷非情、目先の私利だけが生き甲斐となった。
その結果が国際法による国際秩序を理解できず、中華思想で武装した「中華の秩序」を他国に押し付ける図々しさを身につけ、傲岸不遜な帝国主義的国家になりさがってしまった。