安岡正篤の言葉 平成27年3月  徳永圀典選

 

独は絶対

 独という文字は絶対を意味する、自らに足りてなんら他に俟たざることを独という。自分が徹底して自分によって生きる、これを独という。人間というものは案外自己によらずして他物によって生きている。妻子を頼りにして生きている。地位を頼りにして生きている。世間の聞えを考えて生きている。そこで地位をなくした、(くび)になったというともうぺちゃんこになるも神経衰弱になる。

  人物・学問

人間人生とも無限

 大体、人間の内容も人生も無限なものです。これが仮に暫くの間こういう夫々の形をとっているにすぎないのです。真の我々の生命、存在というものは無限そのものであります。随って人間の思想とか学問とかいうものの本質も無限です。それを知識というものが必要に応じてある限定をするに過ぎないのです。

               安岡正篤先生講演集

 

本来の日本人

 戦後、日本人は素直を失って流行に弱く、目にあまるような阿諛(あゆ)迎合(げいごう)を恥じとせず、触らぬ神に(たた)りなしで、なるべく面倒なことはそっとしておいて、滅多な口はきかぬがよいという風になって来たことは事実である。然し、これは断じて日本人の本来の性質ではない。日本人は古来、清く明るき心、さやけき心、(なお)き心を旨として、何事によらず素直を愛して来たものである。是を是とし、非を非とする、良心の発露が(なおし)である。           醒睡記

 

老の意味

 老という文字は、単に年を取るという意味ではなく、なれるとか錬れるという意味で、老子と言えば非常に錬れた人物をおのずから意味します。これは中国民族の最も敬意をこめた尊称なのであります。そういう意味で、老は老ゆると言うことであるが、老いも老朽でなく、いくら老いても(かた)ばらない、固まらない、朽ちないという逆な意味、一般に解するとは別な意味で、老は永遠の生命、不朽な生命を意味し、一つの理想的人間像を物語る言葉となるのであります。

                 東洋学発掘