ローマ法皇の押奪自由条約が植民地の始まり

この条約により、最初はポルトガルとスペインによって分割された。

さて、

コロンブスのアメリカ大陸発見は15世紀でした、1492年、以来この500年間、白人の植民地にならなかったのは日本だけでした。皆さん、ご存知でしょうか。

コロンブスのアメリカ大陸発見した二年後、大航海時代になり、ローマ法皇がポルトガルとスペインに世界各地の選り取り自由のお墨つけを出したのです。 

その条約とは、なんと

ローマ教皇アレクサンドル6が定めたトルデシリャス条約大西洋上に西経46度の子午線が基準(明石は東経135)東をポルトガル、西をスペインの領土とした。

このため南米大陸では、ブラジルのみがポルトガル領となった。1529サラゴサ条約では現在のインドネシアにあたるモルッカ諸島の東297.5リーグ(ニューギニア島中央部に相当する東経14430分)を境に、東がスペイン、西がポルトガルの領土とされた。

ルデシリャス条約14946月7日スペインポルトガルの間で結ばれた条約で、当時両国が盛んに船団を送り込んでいた「新世界」における紛争を解決するため、教皇アレクサンデル6世の承認によってヨーロッパ以外の新領土の分割方式を取り決めたのです。

本条約において西アフリカセネガル沖に浮かぶカーボベルデ諸島の西370リーグ(1770km)の海上において子午線にそった線(西経4637分)の東側の新領土がポルトガルに、西側がスペインに属することが定められた。名称の由来は、条約が批准されたカスティージャトルデシリャスの地名からとられている。

サラゴサ条約もまた同じ意図によって、1529に両国の間で批准された条約である。

この2つの条約の結果、

世界はポルトガルとスペインによって分割された。

その後、イギリス、フランス、オランダなどなど、我も我もと植民地獲得の大航海時代、イギリスが産業革命に成功し17世紀の覇者・スペインの無敵艦隊を破り18世紀にはイギリスは世界の覇権国家となりました。

1945年、日本の敗戦となりアメリカが覇権国となりました。

戦後当時のイギリスポンドは1008円、ドルは360円でした。国力は落ちて、現在はポンド145円、ドル94円。

欧米の植民地にならなかったのは日本だけ。

江戸末期から明治時代の武士は彼等の陰謀を見抜き、西洋人にこの日本を植民地化させてなるものかでしたね。 

そして、昭和20年、日本は敗戦という瀕死の状態でしたけど、その結果、アジアの白人植民地を一掃して、みな独立国にさせた。 

これを称して、人類最高の良いこと。私は、この名前の本を出版しております。