下賀茂(しもがも)  

    二三騎は木の下かげにはたはたと

          扇つかへり下賀茂の宮   与謝野晶子 

多分、葵祭のことであろう。古風な実に古風なものがここらに残っている。最も古くから開けた場所なのである。

上賀茂神社は正式には、賀茂(かも)(わけ)(いかずち)神社(じんじゃ)であり、

下賀茂神社は、賀茂(かも)御祖(みおや)神社である。

何れも上代以来の古い神社、王城鎮護の神である。 

私は下賀茂神社の祭神は「にぎはやひ」の父親、即ちスサノオであり、上賀茂神社は、スサノオの子供の「にぎはやひ」であろうと推測している。 

「にぎはやひ」は、本当の天照大神でこの国の創始者であろうと思っている。 

それが証拠に「にぎはやひ」の神の別名はこうである。 

(あま)(てる)(くに)照彦天(てるひこあめの)火明櫛玉饒速(ほあかりくしたまにぎはや)(ひの)(みこと) 

その他、ワケイカズチ(別雷)、クラオカミ(?)、フルミタマ(布留御魂)、コトサカオ(事解男)、トヨワケ(豊日別)、アメノミナカヌシ(天御中主)、クニトコタチ(国常立)、クニノサツチ(国狭槌)、オオトシ(大歳、大年)、ヤマトオオクニタマ(日本大国魂)、カナヤマヒコ(金山彦)、オオモノヌシ(大物主)である。 

この神こそ本当の天照大神に違いないのではなかろうか? 

因みに、「にぎはやひ」の神の父親、日本の創始者・スサノオの別名はこうである。 

神祖(かむろぎ)熊野(くまの)大神(おおかみ)(くし)御気(みけ)(ぬの)(みこと)八大竜王、天王、ヤツルギ(八剣)、ヤチホコ(八千矛)、ホムスビ(火産霊)、カグツチ(迦具土)、オオワタツミ(大綿津見)、オオヤマツミ(大山祇)、カミムスビ(神皇産霊、神魂)、シラヒワケ(白日別)、ハヤタマオ(速玉男)、フツシミタマ(布都斯御魂)、イカズチ()、タカオカミ

この神様こそ、那智熊野神社の主祭神スサノオであり、四つの社の中央に祭られ、右端は天照大神の社となつている那智熊野大社である。

参考

崇神天皇御時始(『扶桑略記』)・崇神天皇六十五年現給(『帝王編年記』『水鏡』)によると、

熊野本宮の創祀は文献上上記の通りでその内容は下記の様なあらまし。

崇神天皇六十五年に熊野連〔くまののむらじ・又くまののあたえ〕大斎原(旧社)において、大きな櫟(いちい)の木に三体の月が降りてきたのを不思議に思い「天高くにあるはずの月がどうしてこの様な低いところに降りてこられたのですか」と尋ねましたところその真ん中にある月が答えて曰く、
「我は證誠大権現(家都美御子大神
素戔嗚大神)であり両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」
との神勅がくだされ、社殿が造営されたのが始まりとする降臨神話。当地は神話の御代より熊野の国となっており、大化の改新(西暦六四五年)まで続く。
連(むらじ)とは大和朝廷時代に、主として神別(しんべつ)の諸氏が称した姓(かばね)で、臣(おみ)と並ぶ有力豪族が多い。神別諸氏とは天神地祇の子孫と称する氏のこと。



                          岫雲斎圀典