「為政 第二」徳永岫雲斎訳述
平成28年3月17日--4月9日
原文 | 読み | 現代語訳 | ||
17日 | 一、 子曰、爲政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之。 |
子曰く、政を為すは徳を以ってす、譬うれば北辰その所に居りて、衆星これを共にするが如し。 |
孔子は言われた。為政者は大衆の見本となる有徳者でなくてはならぬ。そうであればその徳を慕って大衆が集まる。例えば北辰を中心に他の星が連動するようなものだ。 |
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18日 | 二、 子曰、詩三百、一言以蔽之、曰思無邪。 |
子曰く、詩三百、一言以ってこれをおおえば、思いよこしま無し。 |
孔子は言われた。詩三百、一句で断定すれば「心の真実の表現」である。 |
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19日 | 三、 子曰、導之以政、斉之以刑、民免而無恥、導之以徳、斉之以礼、有恥且格。 |
子曰く、これに導くに政を以ってし、これを斉うるに刑を以ってすれば、民免れて恥なし。これを導くに徳を以ってし、これを斉うるに礼を以ってすれば、恥有りて且つただし。 |
孔子は言われた。治世を法制のみに頼ったり、治安に刑罰のみ用いたりすれば大衆はその法制や刑罰に該当せねば何をしても良いとなる。逆に道徳に基づき、治安に社会規範を第一とすれば恥じを知ることとなり、正しい。 |
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20日 | 四、 子曰、吾十有五而志干學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩。 |
子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳したがう。七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず。 |
孔子は言われた。私は十五才で学問に心がけ始めた。三十才で独立した。四十才の時、自信が出来て惑うことがないようになった。五十才、天が与えた使命を自覚し奮闘した。苦難の道の経験から、六十才となると他人の言葉を聞くと細かい気持ちも理解可能となった。七十才ともなると自分の心のままに行動しても規範から外れることは無くなった。 |
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21日 | 五、 孟懿子問孝。子曰。無違。樊遲御。子告之曰。孟孫問孝於我。我對曰無違。樊遲曰。何謂也。子曰。生事之以禮。死葬之以禮。祭之以禮。 |
孟懿子、孝を問う。子曰く、違うことなかれ。樊遅、御す、子之に告げて曰く、孟孫、我に孝を問う、我答えて曰く、違うなかれ。樊遅曰く、何のいいぞや。子曰く、生けるときはこれに事うるに礼を以ってし、死せるときはこれを葬るに礼を以ってし、これを祭るに礼を以ってす。 |
孟懿子が孔子に孝の意味を問うた。その答えは「違わないようになされよ」であった。孔子の馬車は弟子のはんちが御者であり話された。「孟子の子孫が孝について尋ねたので、違ってはなりませんと申した。はんちがどういう意味かと聞くと、「父母が元気な時は、礼に従ってお仕えし、お亡くなりになれば、礼により葬り、礼を守り祖先となられた御霊をお祭りすることだと。 |
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22日 | 六、 孟武伯問孝。子曰。父母唯其疾之憂。 |
孟武伯、孝を問う。子曰く、父母には唯その疾をこれ憂えよ。 |
孟武氏が孔子に孝の意味を質問された「父母に対して、病気ではないかと、ただただ心配することだ」と。 |
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23日 |
七、子游問孝。子曰。今之孝者。是謂能養。至於犬馬。皆能有養。不敬何以別乎。 |
子游、孝を問う。子曰く、今の孝は、能く養うを謂う。犬馬に至るも、皆能く養うあり。敬せずんば何を以ってわかたんや。 |
門人の子游が孔子に孝の意味をお尋ねした。孔子は申された「近頃の孝は親を食わせるだけだ。犬や馬でも食わせている。それだけなら同じことではないか。父母に対して尊敬するということがなければ何処で区別できようか。 |
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24日 | 八、 子夏問孝。子曰。色難。有事弟子服其勞。有酒食先生饌。曾是以爲孝乎。 |
子夏、孝を問う。子曰く、色かたし。事あれば弟子その労に服す、酒食あれば先生に饌す。曾ってここを以って孝となさんや。 |
子夏が孝の意味をお尋ねした。「父母に接する時に優しく・・・これが難しい。仕事であれば弟子が先生の為に働く、食事であれば先生に差し上げる。同様な調子で父母に接したとて、それで親孝行と考えるのか」 |
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25日 |
九、 |
子曰く、吾、回と言う。終日、違わずして愚なるが如し。退りぞいて私を省り見れば、亦以って発するに足れり。回は愚ならず。 |
孔子が申された、顔回と話すことあり。一日中、私が語っているのに黙って聞き同意するばかりで馬鹿のようである。だが顔回が部屋に帰った後、彼の行いを色々よく研究してみると、私の教えをよく理解し新たなことも明らかにしている、馬鹿ではない。 |
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26日 |
十、 |
子曰く、そのもちいる所を視、その由る所を観、その安んずる所を察すれば、人いずくんぞかくさんや、人焉んぞ捜さんや。 |
孔子が申された。 その人の日常行動をしっかり視る、その人物の経てきた過去を観察する。その人間の思想・信念・信条を勘案、目標としている着地点を察する。そうすると、その人物は自分を隠すことはできないであろう。本当の人物の姿が洞察できる。 |
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27日 |
十一、 |
子曰く、故きを温めて新しきを知る、以って師たるべし。 |
孔子が申された。 古人の書物に習熟し、そこから現代に応用できるものを知る。そういう方こそ人々の師たる人に相応しい。 |
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28日 |
十二、子曰、君子不器。 |
子曰く、君子は器ならず。 | 孔子が申された。 君子と言うのは、一技や一芸に秀でた人間のことではないのだ。 |
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29日 |
十三、 |
子貢、君子を問う。子曰く、先ず行なうその言や、而かるのちにこれに従う。 |
子貢が君子について尋ねた。孔子はこう答えられた。「まず実行、その後で、自分の見解を述べる、そのような人こそ君子だ」 |
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30日 |
十四、子曰、君子周而不比、小人比而不周。 |
子曰く、君子は周して比せず、小人は比して周せず。 |
孔子が申された。 「君子は公平で且つ偏らないものだ。徳のない人々は馴れ合うが、利害で対立してしまう」。 |
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31日 | 十五、 子曰、学而不思則罔、思而不学則殆。 |
子曰く、学びて思わざれば則ちくらし、思いて学ばざれば則ちあやうし。 |
先生がこう申された。 |
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4月 1日 |
十六、 子曰、攻乎異端、斯害也已矣。 |
子曰く、異端を攻むるは、これ害あるのみ。 |
孔子が申された。 正統な先王(聖人)の道以外の異端な学問をやるのはただ害悪があるだけだ。 |
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2日 | 十七、 子曰、由、誨女知之乎、知之為知之、不知為不知、是知也。 |
子曰く、由よ、汝に之を知るをおしえんか。これを知るは、これを知ると為し、これを知らざるは知らずとなす、是れ知るなり。 |
孔子が申された。 子路(由)よ、お前に知るとは何かを教えよう。自分が知っていることは知っている。知らないことは正直に知らないとする。それが本当に知るということだよ。 |
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3日 |
十八、 |
子張、禄をもとめんことを学ばんとす。 子曰く、多く聞きて疑わしきをかき、慎んでその余を言えば、則ち尤寡なし、多く見てあやうきを闕き、慎んでその余を行えば、則ち悔い寡なし。 言・尤寡なく、行ない悔い寡なければ禄その中に在り。 |
子張が就職の方法について教えを求めた。 孔子は諭された。「多く学び、疑問を解き、その他、確かな点でも慎重に発言すれば、間違いが少なかろう。 多く経験して不安な諸点を解消し、その他の確実なことに就いても慎重に言動すれば過ちが少ないであろう。 発言にミスがなく行動にも過ちが無ければ就職は自然と決まるのではないか」 |
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4日 | 十九、 哀公問曰、何為則民服、孔子対曰、挙直錯諸枉、則民服、挙枉錯諸直、則民不服。 |
哀公問うて曰く、何を為さば則ち民服さん。孔子対えて曰く、直きを挙げて諸れを枉れるに錯けば則ち民服す。枉れるを挙げて諸れを直きに錯けば則ち民服ぜず。 |
魯の哀公が孔子に尋ねた。 「どうすれば民衆は心服するのか」。 孔子が申された。 「まっすぐな人を登用し、曲がった連中の上に置けば、民衆は服従する。その逆では心服しません」 |
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5日 |
二十、 孝慈則忠、挙善而教不能則勧。 |
季康子問う、 民をして敬・忠にして以て善を勧めしむには、これを如何せん。 子曰く、これに臨むに荘を以ってすれば則ち敬せん、孝慈もてすれば則ち忠ならん。善を挙げて不能に教うれば則ち勧めしめん。 |
季康子が尋ねた。 |
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6日 | 二十一、 或謂孔子曰、子奚不為政、子曰、書云、孝于惟孝、友于兄弟、施於有政、是亦為政也、奚其為為政。 |
或るひと、孔子に謂いて曰わく、子なんぞ政を為さざる。 |
ある人が孔子に向かって言った。 |
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7日 |
二十二、 |
子曰く、人として信なくんば、その可ならざるを知らざるなり。大車軛なく、小車軛なくんば、それ何を以ってこれをやらんや。 |
孔子が申された。 |
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8日 | 二十三、 子張問、十世可知也、子曰、殷因於夏礼、所損益可知也、周因於殷礼、所損益可知也、其或継周者、雖百世亦可知也。 |
子張問えらく、十世知るべきか。 |
子張が尋ねた。 |
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9日 | 二十四、 子曰、非其鬼而祭之、諂也、見義不為、無勇也。 |
子曰く、其の鬼に非ずしてこれを祭るは、諂うなり。義を見て為さざるは勇なきなり。 |
孔子が申された。 「世には正しいことと不義がある。自分の祖霊でないものを祭るのは他者や霊に取り入り福を得ようとするもので不義である。正しいものでありながら実行しないのは勇気が無いからだ。 |