戦後の日本人の強欲


  今日の世相を見るにつけ思う。それは、すべての人々ではないが、国民の強欲、或は、足るを知らぬ、際限なき欲望人間の強欲と言ったほうがいいのかも知れない。

 私は、毎晩就寝するためお布団の中には入る時に思う、有難いな、こんなに暖かい寝床に入れてと心から感謝しつつ睡眠に入るのである。日本人の大方の方々がそうであろう。他愛の無いごく当然のように思っているに違いないことである。

 私は思うのだ、戦前は勿論、敗戦直後早々は当然、大正・明治時代の、素封家と言われた人々、また中世のヨーロッパの王侯貴族の人々も、現代の日本人の庶民のような、温かいベッドに就寝していなかった。冷えて寒いお布団、自分の体温で温まるまでは寝付かれなかった。湯たんぽとか炬燵は利用したが、それには事前の色々な準備を必要とした。便利さとか個人的快適さが違う。食事でも、いとも簡単に、土地の作物や果物だけではなく、世界中から取り寄せた美味しいものが毎日食べられる。

 夜は、あの織田信長が珍重したブドウ酒など、ふんだんに飲むことができる。豊臣秀吉や徳川家康より、遥かに現代の庶民は、日々贅沢な暮らしをしているのである。それが高じて飽食の様相を示している日本人だ。

 それも、ここ半世紀の間に急速にこのようになったのである。現代の日本人庶民は、戦前の、大正・明治時代の、或は中世ヨーロッパの王侯貴族以上の、「人間として恵まれた状況」で日々の生活をしておるのである。

 これらが、「当然と思う勿れ」と私は言いたいのである。その為に、地球を人間が侵食しボロボロにしつつあるのではなかろうか。聞く処によると、日本人の飽食により、日本人の残飯は、途轍(とてつ)もない大量のもので、数字は失念したが、それが有効に活用されたらアフリカの子供たちの飢餓も救える程のものだと。
 このような認識の上に立つと、
1.日本人は、総じて、豊かで、世界の中では、極めて恵まれた質の高い庶民の暮らしをしている。
2.こんな事態は、いつまでも続くものではないとは歴史が証明している。
3.政治家も、マスメディアも、企業家も、親たちも、それを口に出さない。為に欲望の歯止めを失っている。
4.私などのような世代は、貧しい日本を体験し、耐えることを知る世代の人間であり、「足る事を知る者」であり、上述のような感慨にふけるのである。
5.日本人は、飽食であり、贅沢であり、傲慢であり、謙虚さを喪失していると確信する。
6.日本人は脚下照顧し、生活を収縮しなくてはならない天の時が到来しつつあるのだ。大地震を待つまでもないのだ。
7.アメリカは強欲経済を追求してきたから現在のような破綻に近い国家となりつつあるのだ。
8.今回のアメリカ発の「世紀の大不況」だが、これは歴史のバブルの崩壊である。
日本は不景気に弱音を吐いてはならない、なぜなら、まだ日本人は贅沢である。
これを大きな試練として、当たり前になっている貪欲な生活スタイルを転向させる「絶好の機会」にしてはどうであろうか。
9.日本は、「大量生産、大量消費」という「欧米の原理」を戦後の根幹思想とした、その「西欧の思想」が限界状態にあることの証左が現在の現象である。
10.日本人は「日本の原点」に回帰しなくてはならぬ。
それは、「勿体無い精神」であり、「簡素」の原理である「神道の原理」に他ならないのである。

 敗戦後の「アメリカ式思考」は間違いであった。我々は「覚悟」の時を迎えつつあるようだ。それは、「新しい歴史的パラダイム」への移動の「歴史的大転換期」による動乱必至の覚悟が必要ある。日本人よ、昔の日本人の心に回帰すれば幸せになる。

           平成20年12月1日

                    徳永日本学研究所 代表 徳永圀典