新時代の暁に立って 中曽根康弘
従来の政治に倦み、長期の低迷の中で、国民の期待とともに誕生した民主党政権であったが、沖縄普天間基地問題に始まり、尖閣諸島や北方領土と言った国家の根幹をなす主権問題や、安全保障で未熟な対応に終始したことで、この政権のお粗末さが露呈してしまった。
声高に叫ばれていたマニフェストの行方も今となっては怪しくなってきた。
管総理の国会での答弁も、自信や気魄に欠け、国家を背負う気概が見えない。
また、一方の自民党も、政権奪還のかけ声はいいが、どのような方策をもってこの目的を果たすのか、国民の納得する確信ある提言が聞こえてこない。
ともに必死ともいうべき政治家の性根が見えない。
この時にあって政策論争は低調で、時艱克服の群像も見当たらない状況だ。
世界は東西対立の時代からナショナリズムの勃興、BRICSに代表される新興国の隆盛へし大きく変化し、経済のグローバリズムが世界を席捲している。
主としてアメリカとの関係を中心に見ていた外交政策も長い混乱と低迷期間の中で、世界においての再興の機会を逸してしまっている。
特にアジア情勢の変化が最も著しいこの時期に、中国や韓国との関係も長期的発展のための協力獲得の機会を逃がしていると言わざるを得ない。
要は、日本を取り巻く環境の変化にいかに新しい形で迅速に対応できるかという問題なのだ。
敗戦の惨状の中から出発した我々世代にとって国家の主権を回復し、世界の中で名誉ある地位を取り戻すことこそ政治の一つのメルクマールであった。今それを現実のものとしつつある我々にとっての課題は、その成果をもって次に、この国をどのように発展させるかという問題意識だ。
それは政治家にしても、企業家や労組にしても同じで、進むべき道を示さねば組織はいずれ衰退していく運命を辿ることとなる。
特に政治に身を置くものとなれば、この指導者としての自覚は必然であり責任である。
今、時代は価値の揺らぎにある。我々もこの歴史的認識のもとに新しい時代の地平を拓いていく覚悟わ持たねばならない。
それは、複雑な現代世界の中で、産みの苦しみの如く明治維新以上の衝撃を受け、また与えるものとなる。
政官財はもとより、この検討と用意のために、学術の世界も総動員して持てる力を結集しなければならない。
来るべき新時代への視野と展望をもとに導き出される国家像と、現状からの脱出方法を考えるべきなのだ。
さもなくば、日本は歴史の本流から消え行く運命となる。
我々は国民の生き方の多様性を担保しながら、確実な展望の下に多様な政策を戦略的に且つまた有機的に結びつけ実行していかなければならない。
教育にしても、産業政策や科学技術、国際化にしても、これに尽きる。
そして、そこに通底するのは、この国固有の歴史と伝統である。
国家の精神性と連続性とは国民の結束のもとに成り立つ。
我々は共に祖先が営々として築いてきた歴史の上に立って新しい文化を創造していかなければならない。政治権力は文化に奉仕するために存在するのである。