中国、あれやこれや その27
平19年3月

 1日 中国に近づくと乱れた日本 日本人の江戸時代の学者も、日本がうまく行く時は、中国と「不即不離」の関係の時だと指摘している。何れ記載する事もあろうが今回は、中国の毛沢東の熱心な支持者であって現在は慟哭の中に祖国・中国と決別した「石平(せき へい)氏」の著述から引用する。 日本も、治世期と乱世期が周期的にあったが、日本歴史でこの「治」と「乱」のサイクルは、中国大陸との関り方に強く影響されていると石平氏は指摘している。
 2日 日本の激動期は 日本が激動する時代は必ず、中国に進出した時、或いは中国と深い関係を持った時だと石平氏は言う。 逆に日本が中国大陸から遠ざかって緊密な関係を持たない時期、或いは中国政権との交渉を中断した時に日本は長期的な繁栄を享受している事実があるという。
 3日 歴史的事実 上述の傾向は、早くも古代から現れている。遣隋使・遣唐使の派遣が集中した飛鳥時代はおそらく日本が有史以来、初めて中国と濃厚な関係を持った時代である。日本は蘇我入鹿暗殺に始まる「大化改新」、「白村江の敗戦」が招いた国防上の危機 そして古代最大の内乱「壬申の乱」を連続して経験する激動の時代となっている。朝鮮半島の白村江の唐王朝と一戦交えた天智天皇の近江朝廷は僅か二代で滅んだ。この後には長期安定の平安時代―三百年近い平穏な歳月―を迎えている。
 4日 遣唐使廃止と日本の平和 平安当初は断続的に遣唐使は続けられたが、遣唐使の廃止894年以後200年にわたり日本は中国と没交渉の時代に入る。まさに「唐土」から遠ざかって「平安」があったということになる。 長い平安の時代はやがて「保元・平治の乱」により終止符となる。内乱安定の功労者、平清盛は、音戸の瀬戸や大輪田泊の修築をして中国・南宋との貿易を盛んにした。中国との通交ルート再開であり再び日本は中国に近づいた。
 5日 平家は国際派政権 「唐土」との貿易など無縁の、東国の「田舎武士」の源頼朝たちが立ち上がると、国際派の平清盛は忽ちにして崩壊した。 平家政権の後の鎌倉幕府は、中国大陸とは関係の薄い政権である。大陸との唯一の接点は政治と無関係な禅僧を鎌倉に招いた程度。鎌倉幕府は百数十年の長期間政権の維持をしている。
 6日 大陸は「祟り神」

不運な鎌倉幕府
不運なことに、鎌倉幕府は、自ら進んで大陸との交渉を求めないが、今度は向こうからやってきたのである。厳密には中国からではない、中国大陸を制圧したフビライによる元寇の襲来である。 日本の武士は団結してこれを撃退したが、戦争で疲弊し幕府は弱体化し鎌倉幕府崩壊に繋がった。大陸の「(たた)り神」から逃げ得なかった。
 7日 足利義満の大バカ 室町幕府体制を完成させた足利義満は、中国との間に勘合(かんごう)貿易を確立、これは中国の明王朝に貢物を差し出す「朝貢貿易」の形式を取っているから、その為に義満は進んで明王朝の柵封体制に入り、その臣下として「日本国王」に成り下がった。 義満は金儲けのために武士の誇りも、日本の政治リーダーとしての主権意識も矜持も捨て去った男である。モラルも気概も無い金儲け主義の室町幕府は長く続かなかった。
 8日 中国関係で大焼けどの秀吉 戦国時代の内乱に終止符を打った秀吉、日本で初めて中国征服を本気で考えた。明王朝を倒すという途方もない膨張計画の為朝鮮半島で軍事行動をした。

敗退し豊臣政権は一気に衰退の道を辿る。そして秀吉の死とともに滅亡は時間の問題となってゆく。秀吉の大陸への野望が政権短期の原因ともなったとも言える。

 9日 鎖国の家康 江戸幕府は中国に関して言えば一度も中国と国交を結んだこともない。貿易も長崎の「唐人屋敷」のみの限定で中国との関係は極めて希薄であった。 そして江戸幕府は平和な300年を維持し続けたのである。
10日 近現代に見る因果関係 この中国と希薄な関係が日本の安定を齎すという事実。昭和時代、昭和6年から20年までの14年間、日本政府は満州事変を起して中国大陸に本格進出し全面戦争に突入する。日本歴史でこれ程に中国にのめり込んだのは有史以来のことである。 結果は周知の通りである。
この14年間は最も日本は苦難に満ちた歳月であった。そして大東亜戦争敗北となり遂に有史以来の「日本本土占領」という悲哀を経験した。大陸中国と関係を持った所以である。
11日 敗戦後の平和

そして昭和20年から昭和47年の日・中国交回復まで、大陸と隔離されていた。この間、日本は驚異的な高度経済成長を遂げ黄金の時代を迎えている。

これは一体、どのようなことなのか。単なる偶然の産物か、何か法則でもあるのだろうかと「石平氏」はこのように疑問を投げかけている。
12日 石平氏の
「やがて始まる米中「最終対決」時代
中国の人民代表大会は、台湾独立阻止を目的とした「反分裂国家法」を採択した。「非平和的方式」の表現で台湾に対する武力行使権を盛り込んだこの法律は、台湾で進行する大陸からの分裂の動きに対して中国政府が「武力を以てでもそれを阻止しなければならない」と明記した点がポイントである。台湾に 対する戦争発動の法的根拠を与えたものである。温家宝首相初め、あらゆる機会を使い「この法律は決して戦争法ではない」と弁明に躍起となっている。然し、一連の弁明は逆に「反分裂国家法」と「戦争」の関連性を印象づける結果となった。
13日 石平氏も統一賛成 大半の中国人と同様に、この点で中国政府の立場に賛同しており、台湾と中国大陸とはいずれ何らかの形で統一されるべきと考えているとしている。 私は反対である。満州を当然のように中国と看做すことも反対である。あれは漢中国のものではない、女真族のものであり漢にとり夷荻の筈である。台湾とて古代中国は夷荻として見向きもしていない。石氏はやはり中国人だ。
14日 中国の早期開戦論 20047月、中国の国際問題専門の全国誌の「環球」の記事によると中国精華大学教授の閻学通氏へのインタビューで閻氏は「2005年から2006年」という具体的時間をあげて台湾への軍事行動の開始を提言した。 閻氏は台湾海峡での軍事衝突は直ちに中国とアメリカとの軍事衝突になると見解を示し「米中双方の台湾問題に対する政策は、事実上、軍事衝突の全面準備段階に入った。これは大変危険な状況だと思う」と認識を示した・
15日 閻氏の「早期開戦論」 「台湾独立派勢力は既に台湾の法的独立を2008年以前に行おうとする時間表を制定している。中国がもし2008年以前軍事行動を行さなくては中国により大きな危害を与えることになろう。つまり2005、6年の間に軍事衝突が起きれば台湾の法的独立を阻止することができるが 

もし2008年まで行動を延ばして台湾の法的独立が実現されれば、そこから引き起こされる軍事衝突はより大規模なものとなり、より大きい災難をもたらすだろう」閻氏の背後には最高指導部か、一部の人間の思惑が反映されているし考えるべきであろう。 

16日 現実味ある台湾統一戦争 胡錦濤は着任早々、中国全軍に対して「軍事闘争」に備えようと呼びかけた。念頭にあるのは台湾統一戦争であろう。それ以来、日常的に中国軍と政府では軍事闘争準備が口の端にのぼる ようになった。駐日大使の王毅は東京都内講演で「台湾の李登輝氏について、トラブルメーカーが戦争メーカーになるかもしれない」と批判した。
17日 中国は本気 200536日、中国人民解放軍の総参謀長・梁光烈は、全国人民大会で「一日を争う精神を持って軍事闘争の準備を急ぐべき」との姿勢を示した。 台湾の行政院長(総理大臣相当)の遊錫?氏は「台湾が中国大陸から軍事侵攻を受けた場合、反撃として上海をミサイル攻撃することが出来る」と発言したという。
18日 中国の天下大乱の兆し 多くの危機的要素を抱える中国経済が失速、停滞する可能性、そして経済が失速した場合に政治的、社会的危機が爆発するかもしれない可能性を専門家の分析で見てきた。21世紀以後の中国には「天下大乱」の兆しが見え始めたのである。 中国が崩壊するとは限らない。国内情勢が最悪となったとしても、中国政府は政権と国家を崩壊から救出する最期の手段が残されているからだ。即ち台湾戦争を発動して台湾を奪還し祖国統一を実現させることである。
19日 中国唯一のコンセンサス それは台湾統一である。それは政権内から一般庶民まで、台湾奪還と祖国統一は民族最大の使命として認識されていると石平氏は言う。これは中国にとり聖戦になるとする。挙国体制となり国内危機を乗り越える。 戦時体制下では強権を持ち経済統制もできる、金融危機なども対応は容易となるとしている。
徳永は思う、日本の企業は惨憺たる結果を受ける。
20日 次の真珠湾 石平氏は言う、台湾戦争では国際的反発に直面する。アジアも日本も地域の重大な脅威とする。対抗措置を取るのは必至、しかも台湾が民主化を実現している、民主主義国への侵攻と西側諸国から強い反発を受ける。 中国は民族的な問題として妥協も後退も許されない。その到着点がどこになるのか誰も予想できない。中国は台湾戦争を転換点として国際融合、経済重視路線から離脱し孤立し、日米や西側諸国と対立する道を進むこととなる。
21日 中国の予測 多くの中国人学者の予測では、今後数年間に中国が直面するかも知れない経済状況が現実のものとなれば、かって日本が経験した「昭和恐慌」同様、かなり深刻なものとなる。 金融恐慌が爆発すれば中国全土に一気に拡大するのはおとぎ話ではない。既に大量失業や農村疲弊がある、中国が依然として安泰に見えるのは高度成長のお陰なのである。中国にとり台湾が中国と共産党を救う手段とみている。
22日 中国の障害物 それはアメリカ自体である。二期目のブッシュ政権は中国に対し協調よりも警戒を示し始めた。日米の「共通戦略目標」も発表し「台湾問題の平和的解決」が戦略目標と記載された。 これは中国の「反分裂国家法」制定への対抗意思表示であろう。アメリカはEUの中国への武器輸出を抑えた。本気で中国の軍事動向を警戒している。
23日 真珠湾アゲイン? 事態の推移を予測するのは不可能だが国家の利益と尊厳を何より重んずるアメリカと中国である。両国の直接の軍事衝突ともなれば、どのような結果を招きどういう事態が作りだされる か、どう収拾されるのか想像を超える。台湾海峡戦争の勃発は、中国とアジア・太平洋地域にとり、もう一つの「真珠湾」となる危険性さえも孕んでいる。
24日 米国と中国の価値観の相違 この違いこそ最大の対立の要因である。人権と民主化の問題。アメリカにとり民主主義という普遍原理は建国以来の使命であり国是である。 世界の民主化促進がアメリカ国民の神聖なる使命でありアメリカ存在理由であると看做してよい。アメリカは自由と民主主義を旗印に冷戦の勝利をしたのである。
25日 立ち塞がる中国 そのアメリカの民主主義の前に立ちはだかる最大の「非民主主義国家」は中国である。北朝鮮やキューバなどは小さな圧制国家でいずれ変質したり崩壊の可能性を含んでいる。 イスラム原理で対抗しているアラブ民族は小国に分散していて一つの政治的勢力には終結し難い。真っ向からアメリカの理念と政治制度に対抗するのは中国をおいて他にない。
26日 21世紀最大の問題 中国はある意味で対アメリカで、戦前の日本帝国に替わりアジア地域におけるアメリカのライバルとなる宿命にある。 経済規模だけで見てもアメリカの対中貿易赤字が2005年だけでも1600億ドルの巨額であり「米中貿易摩擦」が現実的問題にならないのが不思議なくらいである。
27日 米中間の新冷戦 台湾問題の行方こそ米中間の今後の進路と未来を占う最大のポイントとなる。 シナリオ「中国に於ける経済危機の発生、高度経済成長の失速→対台湾統→戦争開始→米中新冷戦時代の幕開け」。
28日 日本の行方 米中という大国に挟まれて両者と背反の極めて深い関係を持つ日本、中国は近隣で貿易の深い関係がある。 アメリカは政治的にどう進むべきなのか、中国とどう付き合うべきか。日本が直面する最大の課題ととなる。  
29日 日本企業の受難はこれから 中国への経済進出は一大ブームであり、13億人の市場を求めて競って中国に赴いた。中国市場を席捲する勢いで企業活動をしている日本。 中国の世界貿易機構WTO加入して以来雪崩れのように参入した日本企業。従業員の命や企業の命運をかけて中国進出している日本。さあ。これからが正念場である。
30日 変わり身の早い中国 反日本が一晩で親日的ムードに出来る国である。アサヒビール名誉顧問の中条高氏が「靖国参拝しない政治家に政治にあたる資格なし」と発言したことで製品ボイコットされた。その他数多くの大企業がある。 新しい歴史教科書をつくる会の編修に資金協力したと、三菱重工、日野自動車、いすず自動車、住友生命、味の素、東京三菱銀行、清水建設、大成建設等々をリストアップし圧力かけた。負けてはならぬ。
31日 中国の不買運動 それは枚挙に暇が無い。民間のない中国ではそれらは官製である。一党独裁の怖さ、危険度にどう対処対策してゆくのか。死活にかかわる大問題である。反日のみでなく市場競争の原理で政治的に不買を起させるのは 手軽にやれる国である。更に嘘を平然とつき、恥の概念の欠如した中国人民である。贋もの横行、海賊版被害60兆円、日本の被害は6兆円、悪貨は良貨を駆逐される。難儀な国・中国である。