日本海新聞 潮流寄稿 平成19年3月2日
岫雲斎「喜寿の散文偈」
岫雲斎とは私の雅号である。正式には徳永岫雲斎圀典と申す。岫雲とは高山の中腹を出入りする雲のこと、私は登山を好む。斎とは本来、整えるの意、祭りにあたり起居や食事を整えて身を清め、心を戒める「清明心」の意もある。
学問に相応しく私の好む字である。ちなみに日々起床四時、読経後、直ちに書斎の硬い椅子に立腰して事始め。
さて今年遂に喜寿を迎えた。喜寿の賀は七十七才、喜の草書体からきている。それにしても、よくぞこの年まで健康で永らえたものだ。戦時中勤労動員の疲弊で肋膜炎、休学一年、あばら骨が浮き出たスポーツと無縁な男の成れの果てである。
残り少なきわが命とは心に銘じているが実感に乏しく、許す限りの余暇は登山に明け暮れている。愚かしき人間だが、まあ、いずれ間違いなくお迎えは来るのだから、精一杯!と開き直って生きている。
命とは動くことと見つけたり、一切は心より発す、万物の進化に停滞無きが如く自らも生ける限り化していかねばならぬと自戒し日々努めている。俗事とて然り、齢は重ねしが政・経・歴史・古典の学習に日々余念無し。近年、再び戦前派作家の歴史小説、古き時代劇の味ある人間描写に痺れ、荻生徂徠の「学問は歴史に極まる」を深く感じることしきりである。
又、私のHP愛読者が多く、為に日々の工夫・研究が不可欠で心身頭脳とも休息する暇はない。
一方で「死との対決」もおさおさ怠るわけには参らぬ。我が身微なりと雖も浩気の所産、太虚に還るに心事を留めんか、逆修を受けて七年となる。
終に臨むに「無に生じ無となりて消ゆいのちかなこの世のことは空の空なり」と認めてみたもののそうはいかない生身の煩悩。死を忘れたり、深刻に思い詰めたりを繰り返す愚かな人間だ。
「はてさて、俺は哲学も宗教も歴史もたいして学問勉強してこなかった、身につかなかった、そうして七十七年も生きてきて、ここにこうしておる哀れで愚かな俺だ、そのくせ昔より少しも出来ておらぬ、俺など所詮はたいした人間ではないと思うと、この胸が張り裂けそうだ、俺は身命を賭した仕事をしないで生きてきたからであろうかと呻吟する。
対価を得る社会で地位・名誉・カネを得ても大したことではない、心は満たされる筈はない、ただただ謙虚に人間の道を修めてなんとか安心立命を得て、人知れず静かにこの世を終わるのが一番よい道であろうか」、などとファウスト博士のように悩む。
「このお婆さん、難しい本を読んでいるとも思えんなあ、学問があるとも思えない、頭が切れるという顔でもない、大金持ちでも無さそうだ、勲何等とかを貰っているとも思えぬ、でも、黙っていなさるけど、いつもなんとなく暖かいんだなあー、柔和そのものだ、このお顔を見ているとなんだかホットする、不思議だなあ。このお婆さん、おカネにも疎いみたいだ、政治にも無関心だ、難しい世界情勢など何にも知らないな、でも何か持っているぞ、ほのぼのとした暖かいものがジーンと伝わってくる、何かしらないけれど・・。人間はこれだけでいいんだ、これだけで・・」と分かったような思いに沈む。
夢幻・空華の我が生涯よ、願わくば、連天の白鳥、一瞬に消え去る水天一碧の如き命終あらんことを。
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